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寝台列車のススメ

1時過ぎに寝て3時半に起きた。それから起きていたか2度寝したか定かではないが、気付いたら5時半ぐらいだった。寝台列車なのであまりうまく眠れなかったかもしれない。fitbit で睡眠時間を記録できなかった。どうやら揺れている状態だと寝ていると判定されないみたい。

今回は出張中の運動はおやすみして疲労回復に努めてみることにした。

寝台列車のシングルツイン

シングルツインという部屋を予約していた、完全に忘れていたけど。どんな部屋かよく知らずに、いつもと違う部屋を予約してみようという好奇心だけで予約したと思う。値段はほとんど変わらない。一人でも二人でも使える個室 という構成になっていて、2階立てベッドのような作りになっていた。通路がほぼなく狭い部屋なので一人で使うなら一方の寝床を荷物置きに使える。今回は下で寝てみたものの、上の方が列車音は小さいらしい。私はとくに列車音は気にならない。上下のどちらで寝るかは気分で選択すればいいかなとは思う。カプセルホテルもそうだけど、歳をとって体が堅かったり体重を支えきれなかったりして、上の部屋によじ登るのが体力的にしんどい。だから下の階層に留まることが多い。1人で2つの寝床を利用できるという、ちょっと贅沢な部屋の作りに感心したのでまた乗ってみようとは思う。

寝台列車と朝のゆとり

寝台列車に乗って東京へ行くのはこれで3回目。だいぶ慣れてきた。寝台列車だと7時過ぎに東京駅に着いて、それから山手線で移動すると7時半には五反田駅へ着く。先にホテルへ行って荷物だけ預けて、カフェへいくと8時前ぐらい。それから1時間ほど作業ができる。東京出張時の往路を寝台列車に変えたことで朝の時間帯にゆとりができることに気付いた。これまで新幹線の始発に乗って9時前に五反田駅へ着いて、そのまま働いていた。このとき6時10分発の始発に乗るために5時半過ぎの市営地下鉄に乗る必要があって、5時半までには家を出る必要があった。逆算して朝の準備も考慮すると4-5時に起きることを強いられていた。EX 早特 で新幹線に乗ると3000円ほど安い。しかし、予約した時間帯でしか乗れないという制約がある。これは寝坊すると他の新幹線に乗ることができないというプレッシャーとなっている。必然として出張時はほとんど寝ないで始発に乗ることが多くなっていた。そんな状態で新幹線の中で寝ても疲弊してしまい、その状態のまま9時から働くことになる。これがけっこうしんどい。

ここまで書いて誰も始発に乗って9時出社しろと言ってないのに私が勝手にやっているだけではあるのだけれども。

この過酷な前日の夜から寝ずに早朝出掛ける生活に比べたら、前日の夜から列車内とはいえ、寝ながらゆっくり移動して8時前に最寄駅に着き、あまつさえカフェでのんびりできることの優雅さよ。体力的にも精神的にも朝のゆとりがまったく違う。もうよい歳なのだからせかせかした生活をやめて、ゆとりをもった行動に移していきたい。

東京豆漿生活 (とうきょうどうじゃんせいかつ)

せっかくだから五反田駅周辺の朝カフェを開拓しようと、毎回違うお店へ行こうと考えている。今回は8時開店の 東京豆漿生活 という台湾料理のお店へ行ってみた。開店と同時に10人ほど並んでいて狭い店内の座席はすぐ満席になった。ちょうど私が2人掛けの最後の空きテーブルだったぐらい。私の後には2-3グループ、テーブルの空きを待っていた。こんな人気店とは知らず、朝カフェでラップトップを開いてのんびり作業どころではなくなった。並んでいるときに食べたらすぐ出ていかないといけないとすぐに悟った。健康的な食べものが多いせいか、お客さんは女性グループが多かった。そういったグループはおしゃべりしてゆっくり過ごしているようにもみえた。

初めてのお店でなにを注文していいかわからなかった。とりあえず一番人気とあった豆乳スープを注文してみた。ここ数年で食べたことのない、やさしい風味がする朝食になった。 ひとことで言うとおかゆの豆腐バージョンのような食べもの。味付けも薄く健康にはとてもよさそう。あまりすごいおいしいという食べものではないけれども、朝から健康によい食べものをお腹に入れるという体験としてはよかったと思う。

自分で自分を信用しない

0時に寝て5時に起きた。朝から2時間ほどドラクエタクトしてた。

ふりかえりのフィードバック

先日 5日以上かけて非開発者向けのドキュメント を書き終えた。労力をかけてわかりやすいように書いたせいか、評判がよいという噂があり、ふりかえりのときにも先方の社内で共有されていて、他チームでも読まれているといったコメントをいただいた。それ自体は嬉しいことだ。一方で先方の社内に閉じている議論なのでドキュメントを書いた私には一切フィードバックはない。同じチームのメンバーからもほとんどない。

私はあまり自分自身を信用しない人間で、私が作った成果物はよいものだと考えていない。とくに初期のバージョンはすべてそう。誤り・勘違い・怠惰・抜け・漏れがいくつもあって3世代ぐらいのアップデートをこなさない限り、運用に耐えるものにはならないという考え方をする。書き終えたばかりのドキュメントを褒められても、自分の中ではそれはおかしいと思ってしまう。あんなものがよいはずがない。もっとよくするための取り組みがあるはずで、そのヒントを他者に期待しているところがある。単純に褒められるよりも「どこがわかりやすかった」「どこがわかりにくかった」「ここをもうちょっと詳しく」とか、そういったインタラクティブな議論を他者に求める傾向がある。それは自分自身が欠陥だらけだから。今回はふわっとした手応えで業務を終えることになる。

開発方法論を議論するのに飽きた

エンジニアリングマネージャーのしごと 読んでみたけど、質問ある?(答えられるとは言っていない に参加した。ちゃんとしたイベントじゃなくて、書籍を読んだ感想を discord で気軽に雑談するようなイベントだった。雑談と言っても話していたのは主催者のみで、他のメンバーはチャットにコメントして、それを主催者がみて話題として取り上げるといった進め方だった。悪いイベントではないのだけど、コミュニティの内輪感が強くて初めての人が参加するようなところではないなと思えた。

この1年、スクラムを実践しながらずっと開発方法論やマネジメント/リーダーシップについて考えてきた。考え抜いた (と言ってもたった1年だけど) 結論として開発方法論そのものはあまり重要ではないと結論づけた。重要なのは、自分たちの開発にとって障害や課題を認識したときに改善していけるか。そんなの当たり前だと思うかもしれない。改善するにあたって組織も含めて変えられるかというところが最も重要だと気付いた。スクラムにおいても、簡単な問題はすぐ解決しようとするのに、複雑で難しい問題はなぜ解決への試みすらやらないのだろう?とずっと不思議に思っていた。それは既存の組織や制度のなにかを変えないといけないとき、それらを改善の対象とみなすか・みなさないかという視点が人によって大きく異なることに気付いた。多くの人はそこまでやろうとしない。それは越権行為かもしれないし、思い付きで組織の決めごとを変えられても困るかもしれない。一方で私は頭がおかしくて組織や制度そのものも変えようとする。まず組織を変えようとするかどうかが最初の分水嶺になる。そして、実際に組織が変われるかという最大の課題もある。開発のためだけに組織を変えてくれと経営者にお願いして「わかった」という経営者は稀かもしれない。組織にも歴史や文化があり、会社には開発以外の様々な業務もある。大規模スクラムが提唱されるようになったのは組織を変えていくアプローチがスクラムには重要になってくるという証左かもしれない。

組織さえ変えられるのであれば開発はいくらでもよくなる可能性がある。これは小さい組織や若い組織にとってはとくに有利な点と言えるだろう。開発方法論に何を採用するか、初期のチームがうまく開発できないといったことは些事でしかない。自分たちの開発をより良くすることを本当にやろうとしているかどうかが重要だ。そのことに気付いてからゾンビスクラムをみかけたときも、これは組織のこういった課題から派生していると深堀りするようになってきた。

そして1年が経った

2時に寝て7時に起きた。寝付けなくてタイムラインを眺めてた。1日を淡々と開発して淡々と業務を終えた。

日記を1年書き続けた

最初に日記を書いたのが 2021-09-26 なのでもう1年経ったことになる。時間というのは過ぎてみればあっという間に感じる。歳を取るごとに人生の生きている時間が長くなって相対的に1年の時間が短くなるという論理的な説明を私は気に入っている。私の記憶では1年も継続して日記を書き続けられたことは過去に1度もない。はてなブログを見返すと、もっとも書いた年でも65日だった。もちろん過去の自分は本気で毎日書こうと思っていなかった。そして、それ以上になんのために書き続けるかという動機もなかった。いま独りでお仕事するようになって「書くこと」の重要性に気付いたことは過去にも書いた。

一方で私は平均的な開発者よりも遥かに多くの文章を、日々の業務で書いている。それは課題管理システムに様々なことを記録しているし、チャットでやり取りすることも多いし、1日の半分以上はプログラムを書いている。嗜む程度に sns に投稿したりもする。これだけ書いていて、さらに日記も書くのだから書くスキルが相当に向上している。言い換えれば、毎日日記を書くのが大した労力に感じないぐらいの実務力が上がっているとも言える。日記を書くのは、課題管理システムに日々の積み重ねを書くのとはまた違った様子が伺える。それは1年も書いてみるとその内容から明らかになってくる。人間はわりと自分のことすら分からない。日記にはそのときでしか書けない雑感がある。それはおそらく自分で自分を知る手掛かりになる。

当初の動機づけは あんちぽさんの日記 に影響を受けている。あんちぽさんは20年も日記を書き続けている。どのぐらい続くのかわからないが、5年、10年と続けられるよう、私も書くスキルを磨いていこうと思う。

改革と革命

0時に寝て6時に起きた。たまたま見かけた記事から昔読んだ本を思い出した。

40代は改革と革命

たまたまタイムラインでこんな記事をみかけた。

30代のころは「改善」でいいと思うのです。30代のうちに仕事の基礎をガッチリ身につけ、40代以降は改革と革命に取り組む。私はいつも、40代以上の社員に「改善をするな」と言っているんですよ。

ニトリ会長が斎藤佑樹にアツく語る、「30代にするべきこと」「40代にやるべきこと」

私の生き方に近い考え方だったので印象に残った。私はもともと sier 出身なので働き始めた頃からマネージャー側にいた。たまたまトラブルプロジェクトに参加してひたむきに1年半ほど働き通したら大きな成果が出て、組織からプロジェクトマネージャーになることを嘱望されるようになってしまった。私はただの議事録係だったが、結果的に事実上のプロジェクトを仕切るようになった。それはそれで誇らしかったのはあるけど、それと同時にマネージャーはだいたい分かったという気持ちにもなった。そしてマネージャーの働き方は自分の意思ともあわなかったので潔く辞めた。おそらく自分がやったことのないことに挑戦するという生き方の基礎が最初の退職と同時に出来た。転職じゃなくて退職なのは辞めることを決めてから次のお仕事を探したから。閑話休題。30代のときにひたすらコードを読んで、ひたすらコードを書いてきた動機づけの1つとして、昔読んだ本の1つに リーダーの易経 がある。著者によると、易経とは時の変化の原理原則が書かれていて、時を読むための専門書と言えるらしい。時の第三段階として次の言葉がある。

君子終日乾乾 (けんけん) し、夕べに惕若 (てきじゃく) たり。厲 (あや) うけれども咎なし。

(要約) 朝から晩まで、繰り返し邁進して努力する。そして、夜、独りになったときに、1日を恐懼 (きょうく) して省みる。そのようであれば、危うい時ではあるが、咎めはない

「乾乾 (けんけん) す」とは高揚感、充実感をもって進む、「厲 (あや) うけれども咎なし。」とは省みることを怠らなければ、危うい立場ではあるが、大きな失敗はないという意味になるらしい。

自分の力、自分でないとできないことを創出するためには、なかったものを創り出すわけです。そのために必要なものは、毎日朝から晩まで同じことを繰り返すことです。継続は力なりというのは、この段階です。

同じことを繰り返すことが創出につながるというのはおもしろい話しで、同じことを繰り返すうちにちょっとしたミスや失敗が創意工夫や技を磨くきっかけになるという。失敗したで終わらせずに省みることで気付きを蓄積していくことがオリジナリティを育てる。乾乾 (けんけん) という言葉の響きを気に入ったのか、おそらく2007年頃に読んだ本なのに15年経ってもいまも記憶に残っているというのは人生において影響を受けたと言っていいだろう。

若い頃からマネージャーをやってくれという依頼を断り続けて、いま満を持して次のお仕事ではマネージャーをやろうと考えている。メンバーとして経験を得た上でマネージャーとして自分が何をできるかを確認したい。一方でマネージャーの仕事を未経験/業務委託で探すのがなかなか難しくて苦戦している。私には課題管理というたった1つの武器しかないが、それをマネージャーとしてどう活用できるのか。組織で働く人は言われたことをやる人が多い。私は課題管理を用いて然るべきことをやることに重きを置いている。課題管理で業務を改革や革命のレベルまで昇華できるかどうかを実践の場で確かめたい。

ずっと考え続けること

0時に寝て7時に起きた。祝日なので朝は掃除したり洗濯したりしてた。

yuga labs は未来の gafa かもしれないらしい

中島聡氏が voicy を始められたのでたまに聴いている。とくに web3 関連の信頼できる情報源として聴いている。

氏は yuga labs は技術というよりはマーケティングの会社だと言いながら、どういうマーケティング施策でいまのような人気企業になったかを簡潔に説明されていた。yuga labs という会社名だけは知っていたが、どういう会社かはまったく知らなかったので私は勉強になった。yuga labs のやっていることは中長期でみればポンジ・スキームだと指摘しつつも、その胡散臭さを上回る優れたマーケティング施策で注目を集めているという。yuga labs が手がける nft やメタバースや暗号資産なども高騰していて、実際にそのマーケティング施策で億り人になった人たちも数千人規模で出ていて、今後の動向に期待が集まっているらしい。シリコンバレーのトップレベルの vc も資金を投入しているので vc の思惑からも次の gafa のような期待感があると受け取ることもできるらしい。yuga labs が手がけるメタバースプロジェクトの土地売買で起こった事件なども紹介されていた。あとは2-3年はこういったバブルが続くのかなぁ。

頭の中の最上位にあるアイデア

たまたまタイムラインでポール・グレアムの 頭の中の最上位にあるアイデア というエッセイを知った。ざっと斜め読みして、私の経験や価値観にも合致する内容だったので印象に残って後から精読した。

学生の頃、原付きの整備士のアルバイトをしていた。そのバイク屋の社長はアウトローな人生を歩んできた方で、私は破天荒な社長の生き様が好きでよく話を聞いて感心していた。あるとき草津から彦根までバイクを届ける遠出の運搬作業があって、トラックで社長と2人で出掛けたことがあった。雨降りの日だった。私は助手席で社長の話し相手をしていただけだったんだが、こんな話しをされた。

若い頃に5年働いてようやく100万円の貯金ができた。すでに妻子もいた。そのときに友だちに騙されて1500万円の借金を背負った。5年働いて100万円しか貯金できなかったのだから、もう人生終わりだと思って、自分を騙したその友だちを殺して自殺しようと思った。しかし、母親に諭されてその友だちを殺すことは思い留め、それから死ぬ気で働いたら2年で1500万円の借金をすべて返すことができた。

社長がどうやって借金を返したかの詳細は知らないし、相当の苦労や無理をしたことには変わらないだろう。そのときに続けて社長が言ったことはこんなことだった。

24時間365日、お金儲けのことばかり考え続けていたらなんか思いつくものなんや

ポール・グレアムのエッセイを読んで社長はこのことを言ってたんだなといま思い返した。私も何度かそういう機会を経験していて、全くわからない難しい問題に直面したとき、納期や品質を担保できそうにないプロジェクトを担当しているとき、課題に着手し始めたときの本音は無理やと思いつつも、どうやったらうまくいくかというのをずっと考え続けているうちに、難しい問題の解決方法がわかってしまったり、トラブルプロジェクトでもそれなりにうまくまわったりした。

いまは課題管理をどうやってビジネスとしてマネタイズ化するかを常に考えている。たまにアイディアがふっと湧いて、その内容を課題管理システムに起票したり、既存チケットのコメントに書き込んだりする。平均すると、1-2週間に1回ぐらいのコメントなんだけど、これを1年ほど続けているというのがいまの状態だ。これを2年3年と続ければ、ビジネスのアイディアが溜まることを経験的に理解しているからいまもずっと課題管理について考え続けている。

目標はもうない

0時に寝て5時に起きて2度寝して8時に起きた。前日やや飲み過ぎて軽い2日酔い。

目標考察

この前ストレッチを受けているときにトレーナーさんから「来年の目標はなんですか?」とふと聞かれた。目標という単語に私は忌避感をもっているなと感じた。というのは、普通の規模の会社でサラリーマンやっていれば、期首に目標設定やって期末に評価して昇格やボーナスの金額が変わるといった制度になっていることが多いと思う。私は昔から目標とか意識して働くよりも、働いている過程や状況の変化の中でそのときに大事だと自分が思ったことに注力するような方だった。なので、期首に立てた目標とは全然異なる業績をあげたりすると、目標とか無関係に評価が決まることが多かった。この評価には高い評価を受けたこともあるし、低い評価を受けたこともある。そして、評価は上長やより上位の人たちのさじ加減で決まることも多かった。目標とか組織の論理よりもプロジェクトの状況にとって大事かどうかを自分で判断して行動するから目標が有名無実化しやすい方だった。そういう働き方をしていると、目標とか評価とか無駄な労力よなと思ってしまう。いまマイクロ法人として独立して、目標と評価という無駄な労力を費やさなくて済むので、そういったストレスからは解放された生活を送れるようになった。

閑話休題。トレーナーさんにはこう回答した。目標とかとくにないです。日々、健康で過ごすぐらいのことしか考えてませんと意識の低い回答をした。一方で私はやりたいと思ったことはすでにやっているところはある。サラリーマン時代の刷り込みからか、目標とは計画を指していて、すでにやっていることは目標に含めないように考えてしまうところがある。進行中であってもやり終えるまでを目標と設定して喧伝してもよいとは思うけど、私がすでにやっていることを目標とみなさないのは、上述したように、やっている過程や状況の変化にあわせて変えていくため、予め事前に立てておいた目標とは異なる結果になることが経験的に多かったことに起因する。もうこの歳になると目標を立てるというよりも、目標となることをやっているかどうかの方が重要になってきたという思いもある。

いずれにしても目標や評価のような行動を私は2度とやることはないだろうという話し。

実践知本の読み直し

課題管理における背景の理論考察を始めたとき、早い段階で読んだ本に 実践知 — エキスパートの知性 がある。8月頃に読んだ。当時は知識にもいろんな分野や研究成果があるとわかった程度だった。その後、認知心理学やスクラム開発の背景を学ぶうちに実践知とも関連があるように思えてきた。背景知識が増えた状態で、いまこの本を読み返せばまた違った理解があるのではないかと考えてまた読み直すことにした。