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一期一会

1時に寝て何度か起きて6時に起きた。鬼滅の刃を読みながら寝落ちした。

近況報告の資料作り

来週また東京出張することになり、あわてて資料作りしていた。5月に落ち穂拾いして6月は開発始まりだし、経費削減の意図もあって出張しなくてもよいんじゃないか?と緩く考えていた。しかし、先方は全然そんなつもりなくて「当然出張してくるよね」的なノリだった。毎月の顔合わせというリズムもあるし、新しい定例会議の進め方 を初めて実践する上でもオフラインでやるのが大事かもしれない。

能は一回限りの公演

武田宗典さんという能楽師が1分25秒頃から次のように話している。

能は全部一回限りの公演なんですよね。
すべてそのときだけに集まる人たちなので、
そのときにしかできない空間の作品が出来上がる。

観世流 能楽師シテ方・武田宗典

プロジェクトマネジメントも同じところがあるなと親近感をもって聞いていて印象に残った。プロジェクトマネジメントの目的はプロジェクトの再現性にあるわけだけど、実際には、あるプロジェクトでうまくいったもの (いかなかったもの) を完全には再現できない。それはまったく同じ状況、同じ要件、同じ開発メンバーでプロジェクトに取り組めないことが大半だろうし、仮に同じ開発メンバーであっても、人は時間とともに成長するので成長前に戻ることはできない。「歴史に if はない」という言葉と同様に過去のプロジェクトマネジメントや、よそのプロジェクトマネジメントになにかを言っても意味のない行為である。

久しぶりの書評

1時に寝て夜に起きて吐いてあまりうまく眠れなかった。たまにそういうことある。今日はコードレビュー対応とコードレビューと会議の進め方のルールを作ったりしていた。

能―650年続いた仕掛けとは―

日曜日の夜から書き始め、月曜日はレイオフのニュースを読んでだらだらして、ようやく 能―650年続いた仕掛けとは― の書評を書き終えた。ほとんど本からの引用なのに時間がかかったのは私が内容を深く理解できていないのでなんども本を読み返しながら間違いのないように注意して書いていたから。前に書いてから約5ヶ月経っていた。

能を観に行く

1時に寝て何度か置きて7時に起きた。

ストレッチ

今週も負荷の高い週ではなかったため、いつも通りのストレッチだった。今日の開脚幅は開始前156cmで、ストレッチ後158cmだった。やや右腰の張りが強かった気もした。

能をみにいく

ストレッチを終えてから 松華会定期能 を見に行った。事前に会場となる神能殿に電話したところ、そのタイミングで前売り券を予約できてチケットを取り置きしてもらえた。事前に神能殿の事務所へ立ち寄って料金を支払う。神能殿 はとても立派な舞台だった。

12時半から解説とあった。あらすじはパンフレットに書いてあるので、それらの背景や歴史などの予備知識を解説していた。だいたい13時から始まって16時頃に終わった。1つの能の上演時間はだいたい1時間から1時間半といったところか。能の特徴の1つとして、いきなり始まっていきなり終わる。演劇のような幕の開け締めがないし、演者が観客に挨拶したりもしない。おもしろい。

座席は1/3から半分ぐらい埋まっていた。観客は年配者の方が多かったが、若い人もいた。話し声を聞いているとおそらく能を稽古しているような人たちもいたのではないかと思う。自由席だったので私は正面の一番前の席に座ってみた。これも能の特徴の1つだと思うが、能の舞台は正方形なので横からもみれる。この横からみる座席をワキ正面と呼ぶ。いつか試してみたい。

事前に能の本を読んで入門して、著者の安田登氏の提案のようにあらすじを読んで妄想を働かせながら観るように努めてみた。初めてちゃんと能を鑑賞してみて、私は所々寝落ちしたりしているのだけど、思いの外、おもしろかった。菊慈童と野宮の2つの能を観たことで相対的にそれぞれの能の違いも実感することができた。私にとっては菊慈童の方がおもしろかった。その理由は野宮よりも状況や場面を容易に想像できたからではないかと思う。形式知としてはなんもわからないのだけど、暗黙知としては (野宮より) なんかわかった気がした。慈童が舞って喜んでいる様が伝わってきた気がした。囃子方と舞と謡の盛り上がりは素人でも楽しめた。野宮の方は動きが少なかったのと、私が源氏物語に詳しくなかったり、女性の怨霊の気持ちや背景など妄想できなかった。初心者は知っている物語やあらすじから妄想しやすそうな物語を安田登氏が推奨していた理由が理解できた。

能の bgm 的な音の影響も大きく受けた。おそらく今回は次の3つで演奏されていたと思う。これに太鼓を加えるとフルオーケストラらしい。

  • 小鼓 (こつづみ)
  • 大鼓 (おおつづみ)

奏者が「よぉー」と掛け声をしながら鼓を叩く。その掛け声にも種類があることに気付いた。囃子方のかけ声は何のため? によると次の4種類になる。

  • ヨーイ
  • イヤー

奏者の掛け声と謡と舞が協調して盛り上がりの強弱を表現していることも楽しめた。後で調べると囃子方はそれぞれの楽器ごとに専門職なようだ。奏者の掛け声の違いや強弱、音の高低などもおもしろいなと聞いていた。ポンと鼓を叩いた瞬間にカクっと寝落ちから我に返ったりして、そういう拍子も楽しんでいた。これは間違った観賞方法だろうが。見た目から年配の方が奏者をされていた。巧かったのでおそらく経験のある方だったんだろうと推測する。

能はそもそもがよくわからないのでわかるようになるとハマっていくのだろうという雰囲気は理解できた。納豆を食べるようなものだと思う。納豆のなにがおいしいかはあまり説明できないが、食べられるようになると当たり前のように日常的に食べてしまう。

林能楽会の菊慈童の公演が youtube にあったので貼っておく。雰囲気は味わえるが、生で観た印象とは異なる。舞台とはそういうものかもしれないが、能は映像だと伝わりにくい気がする。

狂言の水掛聟も楽しめた。狂言は演者が台詞を話すので能よりもずっとわかりやすい。日本版の演劇といったところか。水掛聟は隣の田んぼから水をお互いに取り合うといった物語になる。高低差があれば一方向に水を引くことはできるが、双方向に田んぼの水を引き合うって物理的にどんな田んぼの構造になっているんだ?というのが想像できなくて、頭の中が混乱しながらみていた。妄想力が足りない。あと婿と舅で水の取り合いをして、途中で婿の妻 (舅の娘) が乱入して、最後はどういう落ちだったのかよくわからず終わってしまった。「オチないんかい!」って心の中でツッコミいれてみた。

カフーツさん訪問

帰りに寄り道してカフーツさんに能をみた感想を伝えにいく。寄り道どころか、そのまま24時まで飲んだくれになってた。ここにふらっと立ち寄ると帰れなくなる。ヤバい。能をみた所感や読んだ本の話しをしていたら、いとうさんものってきて、次は 第4回 真花演能会 能のみちを伝えたい の敦盛を見に行こうという話しになった。敦盛なら物語も知っていて想像しやすそうなのでいいのではないかと意気投合した。

いとうさんが スパイシーカレーチキンレッグ をおいしいと食べてたのをみかけて今度探しに行ってみようと思った。

能と妄想力

22時に寝て何度か起きて7時に起きた。朝から雨降りで、お昼頃に緊急警報で高齢者は避難しろとか防災通知がたくさん来ていた。お昼は雨が強かったのでお昼ご飯を食べずにお仕事していた。前日の続きで go-ldap の調査とコードレビュー対応とコードレビューをして勉強会に参加したらいい時間帯になって業務を終了した。

能―650年続いた仕掛けとは―

能―650年続いた仕掛けとは― を読んでいる続き。一通り読み終えた。著者の見解に100%同意できるわけではないが、能を知るための入門本として読みやすく、歴史の流れも学べておもしろい構成になっていると思う。後日、総括する。

第六章 能は漱石と芭蕉をこんなに変えた

松尾芭蕉が能の謡から大きな影響を受けていることは 別の本 も購入しているのでそちらで触れる。著者は芭蕉が旅に出た目的の1つとして鎮魂をあげている。能が江戸幕府を始め、それまでの室町幕府や戦国武将にも庇護をうけた背景として死者の、とくに敗者の鎮魂をあげている。というのは、当時の権力者は死者の怨霊が祟るということを怖れていたと考えられる。

夏目漱石やその周辺の交友関係において能に造詣が深かったという。漱石自身も能の稽古を積んでいたという。著者によると、草枕 の冒頭に出てくるこの文章には能の影響がみられ、草枕全体が夢幻能の構造になっており、ワキがみる夢の世界さながらだという。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

草枕

著者は草枕が、晩年に漱石が残した則天去私という言葉の原型ではないかと考察している。

第七章 能は妄想力をつくってきた

能はそのシンプルさゆえに観る人の妄想力を必要とする。それが人によって様々な見方をもたらし、観る人を楽しませているという。したがって能を楽しむには一定の教養を必要とし、和歌、能、俳句、地理といった知識を要求する。その妄想力を象徴しているのが能の舞台であるという。能の舞台は背景に松の絵があるだけ。みえないものをみるには背景は単純なものがいい。そして、謡の存在も妄想力を促進する上で大きいという。

能にハマる人は幻視や幻聴を体験するという。著者は能を脳内で行う AR/VR のようなものだと書いている。能は消費の対象には適していないと著者も述べている。能を深く味わうには、能を観るだけでなく、能と共に生きる心構えを提案している。つまり、謡や仕舞などの能を稽古をして能を鑑賞するのがもっとも能を楽しむ方法だという。

第八章 能を知るとこんなにいいことがある

この章は著者の経験による、能をしているとこんなよいことがあるよと説いている。

  • 健康になる
  • 集中力を養う
  • ストレスをはね返す
  • 無言で相手に気持ちを伝える
  • 陰陽を整えられる
  • いい声を出せるようになる

能を大成した世阿弥の考え方には禅に通じるものもあり、能そのものが体を無理なく動かす運動でもあり、それを継続することで身体や精神によい影響が出ることは理にも適っている。これらの効果の真偽はともかく、好きなことを無理なく継続していることは人生においてよさそうに私にも思えた。

わかりにくさと能動的

22時に寝て何度か起きて7時に起きた。たまには早く寝てみた。

チャンネルを用いた ldap 検索の api

うちらの要件に足りない機能が go-ldap にある。私が機能拡張についての issue を作ったときにある開発者が先にこの機能が必要だとコメントしてくれた。もともと draft pr で実装されたコードがあったのでそれをベースに検証したら普通に動いた。あとは go のエンジニアリングとして開発者が使いやすいように、私の経験からのアレンジを加えて pr とした。テストも実装した。なにか問題があればレビューで指摘さえしてくれれば私がすぐ修正してマージできるはずと考えている。はてさて、どうなることやら。

能―650年続いた仕掛けとは―

能―650年続いた仕掛けとは― を読んでいる続き。世阿弥の紹介をしている第五章に感化された。

第四章 能にはこんな仕掛けが隠されていた

能はシテ (主役) の役柄や内容で5種類にわけられる。

  1. 初番目物 神: 神様が登場して颯爽 (さっそう) と舞う
  2. 二番目物 男: 修羅物とも呼ばれ、武将が修羅道に落ちた苦しみを描く
  3. 三番目物 女: 鬘物 (かずらもの) とも呼ばれ、優雅な美しいものが多い
  4. 四番目物 狂: 雑能とも呼ばれ、他の4つに分類されないもの
  5. 五番目物 鬼: 切能 (きりのう) とも呼ばれ、鬼や妖怪、精霊、霊獣などがシテになる

さらにこの5つの分類に入らない翁という演目もある。翁を最初に置き、この順番に上演しながら、能と能の間に狂言を演じ、最後に祝言の短い能を演じるのがかつての正式な上演だったらしい。これだけ演じると朝から晩までかかってしまうので忙しい現代ではなかなかみれなくなってしまっているという。

ひと昔前は結婚式で仲人さんや親戚が謡を謡っていたという。たしかに古風な結婚式ではそうだったような、、、と私もうっすらとそういう記憶があるような気もする。

能の身体的な特徴の1つに摺り足がある。摺り足には重い二本の刀を腰に差して腰痛にならないという効能があるらしい。ほんとかな?

世阿弥が能の構造は序破急にせよと書いている。序はワキの登場、破はシテが登場して話をして去る、急は再びシテが姿を変えて登場するといった構造になる。水戸黄門や暴れん坊将軍のような時代劇の最後の展開が急に相当する。水戸黄門で例えると次になる。

  • 序: 現状把握と善人の窮状
  • 破: 善人が騙される/襲われる
  • 急: 印籠を出す

そして、この後に書いてあることが個人的におもしろかった。水戸黄門は番組開始時点では印籠を出すようなシーンはなくて、当初は助さん角さんが敵をたたき斬っていただけだったという。そもそも印籠を出したぐらいで本物の水戸黄門かどうか分かるわけもなく悪人がひれ伏すはずがないw あるときから印籠を出すという急を作って、序破急が安定したことで人気が出て長寿番組となったと書いてある。ほんとかな?

第五章 世阿弥はこんなにすごかった

能の大成に大きな影響を及ぼした世阿弥についていろいろ書いてある。

夢幻能 という能のジャンルを完成させた。念が残る、思いが残っているといった残念を昇華させる物語の構造になっている。世阿弥は特に敗者の無念をみせる舞台構造を作ることに成功したという。もともと日本人は死者を尊ぶ習慣があったことも要因としてあげている。

世阿弥は世襲で継いでいくという家元制度を作った。これは後世に必ず継ぐシステムを作ったと言える。現代まで能が継続されている背景の1つに家元制度はたしかにあげられると私も思う。しかし、現代では基本的人権 (職業選択の自由) に反することから家元制度の批判もあるようだ。著者はこの仕組みを称賛しているが、私は現代の感覚からすると個人の自由を制限して成り立っている古い制度のように感じてあまり著者の意見に同意できなかった。

陰陽の和するところの境を成就とは知るべし

昼や晴れた日には観客の気分が盛り上がり過ぎているので控え目に演じなさい。曇りや雨の日には逆に観客の気持ちが萎えているので派手目に演じなさいといったことを言っている。要は客の状態を見て演じ方を変えなさいと言っている。これは言うは易し、行うは難しだという。能ではこれを楽器の構造から音の力で解決していると説明がある。

時に用ゆるをもて花と知るべし

ともすれば絶対的な善し悪しがあるように思い込み、そのようなものを追求しがちであるが、実際はそのようなものはない。あるのは時との関係性だけだという。易経の時中も引用している。いまがどのような「時」であるかを知り、それがもっとも適合した時期であるか、行動できるか、それこそが「花」であるという。

花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり

現代の言葉とはちょっと意味が異なる。

  • 面白き: 目の前がパッと明るくなること
  • 珍しき (愛ず): 愛らしいこと、まったく普通のことに感嘆を抱かせる工夫など
  • 花: 秘すれば花、秘密にすることで偉大な働きをすること

能では、演者はあまり観客に働きかけない。よくわからないことで、逆に観る人が能動的になり、見えないものが見え、聞こえない音が聞こえるようになる。これも秘することによって咲く花だという。師匠が弟子に教えないというのも、簡単なことでも秘することで、弟子が散々苦しみ抜いた上でその助言の価値に気付くこともあるという。

「老後の初心」という考え方。どの歳になっても初心はあるが、歳をとって体力が劣っていくからこそやることも変えていく。第一章にも出てきた能における「初心」という言葉の概念は本当におもしろい。能では体が動かなくなっていくのだから「しないというやり方も方法としてありえる」と考える。演じないことで演じる、歳を取ったときの表現方法がある。高齢な能楽師でしか演じられない境地があるから能楽師は歳を取ることを楽しみにする。この考え方はいまの時代にとてもあうように私は思えた。

能の本を読み始めた

1時に寝て何度か起きて7時に起きた。能の本を読みながら寝落ちした。新しい開発のマイルストーンに入って、初日からいくつかリファクタリングしたり、コードレビューしたりしていた。開発が始まったなーって感じ。

能―650年続いた仕掛けとは―

少し前から 能―650年続いた仕掛けとは― を読み始めている。読んでいておもしろいので参考になりそうなことや気付いたことを忘れないように書いておく。著者の安田さんは能が本当に好きなんだなというのが伝わってくる文章で好感がもてる。

はじめに

著者が能のとりこになったきっかけが書いてある。最初に観た舞台で著者は「幻視」を体験したという。著者は高校教師であったが、能の師匠に弟子入りして週末に習い始め、その後、能楽師としてプロになったという。著者が能の歴史を調べるうちにいまの社会は能から大きな影響を受けていると気付いた。たしかに650年も続いているのだからそれは容易に想像できる。個人的にこの序文は見事な内容だなと思う。私が本書に興味をもったのもこの序文の秀逸さを感じたから。

第一章 能はこうして生き残った

能は室町時代に観阿弥・世阿弥によって大成された芸能になる。それまでも猿楽や田楽と呼ばれていた芸能ではあるが、それらを洗練させ、ときの将軍の庇護もあり大成に至ったらしい。

初心忘るべからず

いまでも知られている世阿弥の有名な言葉であり、一般的には「始めたときの気持ちを忘れてはいけない」といった意味で使われる。それ自体も誤りではないが、世阿弥自身はそのような意図で使っていたわけではないらしい。

「初心」という言葉にも深い意味があり、変化が起こったときの境になる状況や心境を「初心」と表している。人は生きている限りさまざまな変化を経て成長していく。そのところどころに過去の自分を断ち切らないといけない状況がある。その断ち切りには痛みを伴うが、成長のためには避けて通れない。その選択を突きつける境こそが「初心」なのだという。

能の稽古にもその仕組みが含まれていて、稽古で師匠は決して弟子に及第点を与えることはない。ただ「ダメだ」と言うだけ。弟子はなにがダメかも分からず練習に励み、その状態で本番の舞台を迎えて、練習でダメなのだから本番でもうまくできなくて不本意な結果に終わるものの、本番を迎えたことでなにかしらその人の壁を乗り越えているはずだとみなす。舞台の前後におけるその人のなにかの変化を「初心」というらしい。そして、能を習う人はなにかしら新しい挑戦に立ち向かい、「初心」の壁を破ったときにある変化の快感を忘れられなくて能にはまるという。

第ニ章 能はこんなに変わってきた

能の歴史は次の4つに大別されるという。

  1. 形成期 (奈良時代〜)
  2. 大成期 (室町時代〜)
  3. 展開期 (戦国時代〜)
  4. 式楽以降 (江戸時代〜)

能の起源は、奈良時代に唐の大衆芸能である散楽 (さんがく) が日本に入ってきて、それが猿楽 (さるがく) になったとみられている。一方で日本古来の神楽 (かぐら) にも影響を受けている。世阿弥も「猿楽はもとは神楽なのだが、」という件を書き残しているらしい。世阿弥は能の始祖として 秦 河勝 (はた の かわかつ) という人物をあげている。

戦国時代の能への大きな貢献は豊臣秀吉だという。秀吉が能に凝って推奨したことで劇的に広まったとみられている。

第三章 能はこんなふうに愛された

江戸時代に入り、家康も秀忠も能を好み、家光・家綱の頃から式楽として定着し、大きな影響を与えたのが5代将軍の 綱吉 だという。生類憐みの令で有名な犬好きな将軍であるが「能狂い」と言われるほどの能を好んだ将軍であったという。将軍が並々ならぬ熱意で能を推奨するので大名や家臣も能を学ばざるを得ず、諸藩でも能が学ばれるようになっていったという。おもしろいのが能が盛んな藩は外様であり、譜代代表や徳川家の血筋である松平家ではあまり盛んでないことから関係性の厳しさも伺える。そんな背景もあり、武士の教養の1つとして能を学ぶようになっていった。また庶民にも 謡 (うたい) という能の詞章を謡うことが広まり、寺子屋でも教えられ、庶民の教養の1つになっていったという。大工さんの棟上げ式、縁起ものを納めるとき、結婚式などで謡われたという。