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納骨

昨日から実家に帰ってた。0時に寝て5時に起きた。珍しく親が寝坊して5時半頃まで起きてこなかったものの、私の方が早めに起きてスマホをみながらだらだらしてた。朝から法要の準備をしたりしていた。

49日 (納骨)

この前は 35日 だった。

9時40分頃には参加者が全員集まっていた。今日の参加者は15人。10時からの予定だったものの、住職も10分前には到着されて全員揃っていたので予定時刻より少し早く始めた。いつも通りのお経を住職にあげていただく。30分ほど。その後に住職からの法話がある。今日は49日なのでその由来について話された。仏教では亡くなって49日目に亡くなった方が仏の元へ向かうとされている。なぜ49日なの?という由来にいくつか諸説があるといったお話をされた。

  • お釈迦様が瞑想して悟りを開いたのにかかった日数が49日だったとか
    • お釈迦様がそれを数えていたわけではなく、弟子が数えていたのでそれが正しいのか後世の創作なのかはわからない
  • 昔のインドは7進法が採用されていて7 * 7 = 49日が重要な意味をもったとか
    • 古くから1週間は7日とされている
    • 仏教に限らずキリスト教においても神は6日で世界を創造して7日目に休んだというので7という数字が意味をもつのだろう
  • 土葬の時代、土に埋めるものの、そのままだと土地を有効活用できないため、埋めて白骨化するのを待って掘り返すのが49日だったとか

その後、お墓へ移動して納骨になる。お墓の前で骨壺から納骨袋に骨を入れ替えてお墓の中に入れる。お墓がどんな構造をしているか、私が知らなかったので骨を入れるスペースとその開け方を学んだ。住職もお墓まで来てくれて納骨の作業をしている間はお経を唱えていただいた。感謝。

お墓から戻ってきて11時。随分と順調に予定を消化し過ぎて食事どころを12時で予約していたので少し待つことに。11時半から近所の食事どころへ移動して参加者でご飯を食べる。12時前から食事が始まって14時前にはお開きとなった。過去に父とも1-2度来たことがあるお店なので私にとってもやや懐かしかった。量は十分にあったし味もよかったと思う。 料理が出てくる合間がもう少し早くてもよかったと思うぐらいの改善点。料理を配膳するスタッフが2人しかいなかったので人手不足で大変なんだろうと推測できた。

祖父の法要をしていたときはこの倍は参加者がいたように思う。コロナ禍で葬儀が家族葬となり、親戚も近くの濃い人たちだけで行うようになった。参加者数が減ることで調整コストが下がって昔に比べたら簡素化できて楽にはなっている。

帰路

姪が神戸にある大学に通っているので帰りは車で一緒に帰ってきた。祖父の法要をしていた頃、大阪の親戚が車で淡路島に来られていて、私もよくその親戚の車に同乗して一緒に大阪まで帰っていた。その親戚も少し前に亡くなってしまったが、同じようなことを代替わりしてやっていることに気付いた。車なら早く帰れるはずが、運が悪くて月見山 - 湊川間で10分もあれば抜けられるところを1時間の渋滞につかまった。5台の玉突き事故があり1車線規制で渋滞していた。真ん中の2台の車がもっとも潰れていた。事故じゃなくても湊川付近は神戸の中心地なのでやや混雑しがちな印象がある。私が通ったときはまだ事故車があって警察が聴取をしていたので発生直後に近かったのかもしれない。ちょうど 湊川 ICの真横だったので降りるときの事故だったのかもしれない。

もしかしたら事前に渋滞情報を聞いていたら迂回路を選択できたかもしれない。高速バスは阪神高速の3号神戸線が渋滞していると北側の迂回路を使うことがある。だから迂回路の存在は知っていた。帰ってきてから迂回ルートを調べてみた。垂水JCTから神戸に入るには次の2通りの経路がある。

  • 垂水JCT - 名谷JCT - 月見山 - 若宮 - 湊川 - 柳原 - 京橋 - 生田川
  • 垂水JCT - 布施畑(ふせはた)JCT - 白川JCT - 箕谷(みのたに)JCT - (新神戸トンネル) - 布引(ぬのびき)JCT - 新神戸駅

垂水JCTの前で渋滞情報を取得できれば、北側の布施畑JCT経由のルートを選べばよい。今度ナビも操作しながら通ってみる。

ジャンプスターター使ってみた

1時に寝て7時半に起きた。なんともなく新年あけた。朝ご飯食べて孤独のグルメをみながら宅急便が届くのを待った。

hugo のスタイル修正

日付に曜日を付けるように変更した。タグから過去の日記をみたときに曜日があると役に立つときがたまにある。

<span class="post-date">
  {{ .Date.Format "2006-01-02 (Mon.)" }}
</span>

テーマの terminal のバージョンをあげたらビルドに失敗するようになった。extended をインストールしないと scss/sass 周りのビルドに失敗するらしい。github actions の hugo セットアップの設定も変更した。

ジャンプスターター

年末に注文したジャンプスターターが届いた。実家の軽トラのバッテリーがあがってしまいエンジンをかけられないという。いつもはディーラーさんに来てもらってバッテリー交換なり他の車と接続してエンジンをかけるなりをやってもらっていた。たまたまテレビをみていたら雪国での役立つツールとしてジャンプスターターと呼ばれるものがあることを知った。スマートデバイスなどの予備バッテリーの形状で車のバッテリーに接続してエンジンをかけられるらしい。さっそく amazon で検索してベストセラーのタグがついている「PHILIPS フィリップス ジャンプスターター 12000mAh大容量 ピーク電流800A 12V車用 エンジンスターター」を購入した。うちの軽トラでも試してみたら問題なくエンジンが始動した。車のバッテリーが弱っている場合、boost ボタンを押してブーストモードで接続しないといけないようだ。boost ボタンを押すのがわかって接続・設定したらエンジンがすぐに始動した。うちみたいな小さい兼業農家でたまに軽トラを使うといった家でも携帯バッテリーは充電がすぐできて、保管も場所取らずでとても便利。これはよい買いものだと思えた。

温泉

実家近くの うずしお温泉 を提供している ゆとりっく に行く。私にとっては銭湯へ行く感覚で実家に帰ったとき1回は行く。いつも通り温泉に浸かってそれから三ノ宮へ戻ることにした。

紅白歌合戦

1時に寝て5時に起きて朝ご飯を食べてからまた寝て8時ぐらいに起きた。親が4時ぐらい起きて作業しているから変な生活になっている。テレビみながら家の用事をしながらだらだら過ごしていた。例年なら今日のお昼ぐらいから実家へ帰ってきて、夕方から高校の友だちの家へ行って麻雀しているところだが、今年は集まりが悪くうちも葬儀があったので中止した。

紅白歌合戦

とくに意味もなく、親がみてたから数年ぶりに紅白歌合戦をみた。若いアーティストと年配のアーティストをバランスよく出演しているようにみえた。私が若い頃に聞いていたアーティストもいまや50-60歳ぐらいになる。いま紅白歌合戦をみると、年配のアーティストの方が私のよく知っているアーティストになる。

YOSHIKI が復活した THE LAST ROCKSTARS をみて驚いた。全然知らんかった。最近はピアノを弾く YOSHIKI のイメージがある。紅白歌合戦でも最初はピアノを弾いてて途中からドラムに変わってた。久しぶりにドラムを叩く YOSHIKI をみてちょっと嬉しかった。あとウタがグラフィック出演していて仮想と現実の融合みたいな取り組みをしているのもよかったと思う。これを歌っているのは「うっせぇわ」の人なんやね。

もう1つ思い出した。Aimer が紅白歌合戦に出ていた。どんな人か知らなかったので初めて歌っているところをみた。残響散歌そのものは鬼滅の刃のアニメをみていたから知っていたけど、歌っているのが Aimer だというのは気付いてなかった。改めて聞くと Aimer らしい特徴もあって、初見で気付かなかったのは新しいアレンジに挑戦していたりもするせいなのだろうとか思っていた。

お仕事戻し

お仕事戻し

0時に寝て5時に起きた。昨日も疲れていたのか、不思議とよく眠れた。

年末のお仕事戻し

朝から近所のマクドナルドへ。今週は月・火とお休みしたため、いつも火曜日に書いている週報を書いていなかった。言うても3日分の作業なのでちゃっちゃと書いて送付した。私が休んだ日の定例会議はスキップされたようでその確認はなし。その後、issue のコメントをみたり、マージリクエストのコードレビューをしたりした。メンバーが課題管理システムを使うようになっているので、私が休んでいても後で見返してコメントを返せる。非同期/テキストコミュニケーションは働く時間帯があわないときに役に立つ。そういう雰囲気を学ぶ機会になればいいかもしれない。ある文字列の変換関数に go 1.18 で追加された fuzzing テストを実装してみようというリファクタリングの issue を追加していた。

私自身、まだ自分で実装したことはなかった。fuzzing テストを実装したマージリクエストがあったのでコードレビューした。実際に実行して動いているようにはみえるが、デバッグログを出力できなくてどういった振る舞いをしているのかを確認できなかった。簡単にできるんやと思っていたら意外と難しかった。また後で自分でも実装してデバッグしてみて振る舞いを再確認する。

小さい椅子

葬儀で斎場に2泊3日過ごしたときに畳の控え室に小さい椅子が4つほど置いてあった。正座が難しいお年寄り向けだと推測する。あの控え室でその小さい椅子を最も活用していたのは私だった。地べたに座るのと小さな椅子に腰掛けるので腰の負担がこんなに違うとは思わなかった。おそらく太ったことも影響している。ラップトップでキー入力するときに正座にしろ、あぐらにしろ、どちらも長時間続けることはできなかった。この小さい椅子なら2-3時間ぐらいは平気で作業できる。気持ち程度の高さでも十分に椅子の役割を果たせるところに感心した。家用に購入して、いま小さい椅子でこの日記を書いている。

葬儀の翌日

0時に寝て5時半に起きた。たぶん何度か起きたけど、久しぶりによく眠れた。ここ2-3日ほとんど寝てなかったせいかな。

お寺で予定調整

四十九日法要 の予定を立てないといけないのでお寺へ訪問した。淡路島では真言宗の宗派が多いらしい。うちもそう。明日から7日ごとに49日までの日程がある。7日ごとに住職にお経をあげていただく。告別式に初七日をしているので1月1日の分は済みとなっている。おそらく宗派や地域によって異なると思うが、このうち、重要なのは35日と49日だという。35日に行う だんご転がし という風習は淡路島独自のものらしい。

  • 命日: 12月26日0時34分
  • 7日: 1月1日
  • 14日: 1月8日
  • 21日: 1月15日
  • 28日: 1月22日
  • 35日: 1月29日
  • 42日: 2月5日
  • 49日: 2月12日

35日は家族のみで、49日は親戚を呼び一般的な法要を行う。その他の日は親族の選択でよいという。省略可能な背景として昨今は多忙な人が多く、亡くなった人よりも生きている人の方が大事という考えからだという。母は信心深いのでなるべくお経をあげてほしいというので7日ごとに住職を招くのではないかと思う。私は35日と49日の2つに参加する。日曜日なのでお仕事に影響を与えず都合がよい。これから法事や親戚の用事などで実家に帰る機会が増えていくことになる見通し。

建具屋さん

家の玄関の鍵の調子が悪い。たまにうまくまわらないときがあって、壊れる前兆みたいな状態。ホームセンターに鍵交換してもらえないかを聞いたら作業員が徳島県にいるそうで、来てくれるかどうかすら分からないという。近所の建具屋さんに行ったら快くみてくれるという。田舎の家の困ったことは近所の建具屋さんやと理解できた。建具屋さんの主人が丁寧に応対してくれた。困ったときはここに来ようと安心できた。初めて行ったお店の、接客態度はほんと大事だと思う。その丁寧さや論理の明快さをみて私はリピーターになることを決める。論理が多少通じなくても親切だったらそれでもよい。そういう意味では人のよさや人間力は論理よりも大事なのかもしれない。翌日9時から家に来てくれて調査した上で交換用の鍵を発注してくれるという。16時に訪問して状況を説明して翌日すぐ来てくれるという対応が気に入った。

オンライン忘年会

はらさんが投稿していたのをみかけた。gather に集まってオンライン忘年会に参加した。私は葬儀があったので直近の近況報告や忘年会の予定を2つほどキャンセルしていた。葬儀も無事に終わって一息ついていたのでちょうどよかった。最大8人が参加していて、私は知らない方が多かったものの、ざっくばらんにお話しして19時から始めて22時半ぐらいまでやっていた気がする。よしださんもおられた。よしださんの近況は私の置かれた状況とも類似していて、私自身、よしださんの生活をモデルケースの1つとして参考にしている。コロナが働き方や生活スタイルに大きな変革をもたらした。3年前には想像もしなかった世の中の変化があるなぁとみんなで話したりしていた。

父の告別式と初七日

1時に寝て3時に起きた。それから家へ帰ってお風呂に入ってきた。5時頃に斎場へ戻って朝ご飯にサンドイッチとおにぎりを食べたら急に眠くなって6時から7時半まで軽く仮眠した。

告別式は10時から。親族でも9時集合であったものの、8時過ぎに親戚が2人来られた。前日に通夜のみ参加の親戚がいて、告別式に参加できない事情があるせいか、無理を通して香典を置いていった。うちは家族葬で香典を辞退するという理念で葬儀をしている。とはいえ、親戚もさまざまな考え方や事情があるので香典をどうしても送りたいという思いを遺族が断固として拒否することも実際のところ、難しい。

そういった隠れ香典が最終的に5家になった。当然、香典をいただいたらお返しをする必要がある。記事にもあるが、香典という制度を辞退する背景として次の2つのメリットがある。

  • 弔問客の経済的負担を下げる
  • 葬儀後の遺族の作業負荷を下げる

香典辞退が行われるようになってきているのは合理化といった狙いもあるのだろう。世の中の変化における効率化と慣習と文化と人の思いという、一概にこうですとはいえない、複雑な調整作業をしながらバランスをとっていく必要があるようにみえた。その後、弔問客の集まりがよかったので10時前には告別式が始まったように思う。住職がお経を読んでいる間に焼香を行い、住職の法話、喪主の挨拶と、ほぼ通夜と同じ流れで葬儀は進んでいく。

その後、棺の中に故人の物やお花を入れて出棺となる。11時頃。私は喪主なので霊柩車に乗って火葬場へ向かった。火葬場へ住職も着いてきてくれて、お経をあげていただき焼香をして最後のお別れをする。住職が要所要所でお経をあげてくれていたように思う。火葬場の装置に棺を設置して火葬のスイッチは喪主の私が押す。私はそこに躊躇はなにも感じなかったのだけど、人によってはそういった行為が苦手な人もいるらしい。

火葬場から戻ってきて、残った人たちで 精進落とし と呼ばれる会食に入る。告別式よりは参加者も減って、みんな黙々と食べてすぐに休憩に移っていった。火葬は燃やした後に冷ます時間もいるので2時間ほどかかる。たまたま斎場には別の家の告別式も開催されていて、火葬場は1つしかないので順番に行くしかない。それで少しだけ予定よりも遅れて13時過ぎから火葬場に骨を取りに行くことになった。喪主は骨壷をもって運ぶ役割となる。これはとくに骨壷をもっているだけで他の参列者とやることはほとんど変わらない。

火葬場から骨壷をもって帰ってきたら、14時からそのまま 初七日 を執り行う。住職が再登場してお経をあげていただく。昨日の通夜から告別式、火葬場、初七日と住職はお経をずっと唱え続けていて、このお仕事も大変だなと真後ろで唱える姿をみながら敬意を払ってみていた。これまでも住職の姿をみてきた機会があったにも関わらず、喪主としてより当事者の意識が高い状態でみるとまた違った趣を感じた。法要は参列者も経典を受け取って一緒に唱える。それまで眠気はなかったが、お経を一緒に唱え始めて急に眠気が襲ってきて3回ぐらい寝落ちしそうなリスクの高い状態になっていた。危うく経典を落としてカクってなるところだった。お経のリズムや単調さが眠気と相関があるように思える。お経を終えた後、住職の法話を聞く。父の入院生活にも触れながら私が聞いたことのないお話をされた。

大人が子どもの振る舞いを喜んだりする背景に、自分ができなかったことややりたかったことなどを子に託すという側面があるのではないか。

家の主が代替わりしていくことの摂理や在り方のお話だった気がする。その後に喪主の挨拶へと続く。おそらく通常の法要なら少し長い挨拶をすべきなのだろうけれど、参列者はすべて通夜からずっと参加されている人たちなので長くは話さず簡潔に終わらせた。それは私の判断で長い挨拶はやめたのだけど、おそらくそれでよかったと思う。

法要が終わった後、親戚で一緒に会食するのがこれまでの慣習だった。昨今はコロナ禍対策と家族葬という建前もあり、法要膳は基本的にお弁当を持ち帰るという制度に急速に変わりつつあるらしい。おそらく施主・参加者にとって合理的であり、且つコロナという大義名分もあるのでこの流れに抗うことはできないようにみえる。社会的な事情も含めて時代の流れと言えるように思えた。法要膳と膳先のものをお渡して斎場では14時半に解散となった。

斎場のスタッフの方に家に着いてきてもらい、祭壇の設置、提灯・カゴ、今後の供養の作法などを教えていただいた。それらが全て終わって15時半ぐらいかな。それから隣保の方々へ会葬御礼と一品つけて挨拶にまわる。これまでの慣習では葬儀の手伝いに隣保の方々が参加するところを、家族葬なのでと私がお断りを入れた。隣保もこれまでの慣習があるため、手伝うと食い下がるのだけど、お気持ちだけでとここはやや強引にお断りした。そのご挨拶も兼ねてまわってきた。言うても8軒なので小一時間で終わった。

これで一通りの葬儀の諸々は終わった。17時頃には家に帰って休むことができた。

父の通夜

私は0時ぐらいから横になっていたものの、2時に母が家に帰って4時過ぎに戻ってきたり、わりと周りでバタバタしていたのであまり寝ている雰囲気ではなかった。また3時頃に石油ファンヒーターの灯油がきれて、そこから冷え込みがずっと大きくなって、一番寒い時間帯に部屋がぐっと寒い状況になって、斎場のスタッフが帰る前に灯油を補充しておくことを学んだ。それでも5時から7時までの2時間ほどはこたつにくるまってよく眠れたと思う。2-3時間しか寝てないが、わりと1日を通して平気だった。

8時からお寺へ訪問し、住職に故人の説明を行い仏具を借りる。実は住職の父も昨日亡くなっていて、今日が告別式になる。9時をまわると告別式の準備に忙しいだろうと見通して8時から伺ってみた。快く応対してくれて8時からお茶を飲みながら故人のお話などをした。うちの地元の住職は地域から追い出されていなくなっている。そのため、隣の地区の住職にお願いするようにしている。うちは祖母と祖父の頃からずっとお世話になっているので父のことも覚えていてくれて、いくつかお話をした。

斎場に戻り、生花・乾物・果物の発注と金額の確認し、10時30分から入棺をしてもらう。故人を棺に納めていただく際、かるくお湯で流し、散髪してもらい、服などを着せ替えてもらって見た目を整える。これはいくつか追加料金で行ってもらうことだけど、顔がとてもきれいになって、訪れた弔問客にも評判がよかった。なるべくよい状態で故人を見送るという意図で追加料金を支払ってやった方がよいと私は思った。

1時間ほどで入棺も済み、13時に成年後見人の弁護士さんが来られた。通夜は参加できないものの、今後の手続きのために死亡届のコピーを手渡す。死亡届を提出すると、故人の名義の銀行口座は凍結して一切の入出金が出来なくなるらしい。私が訃報を聞いてすぐに弁護士さんにメールで一報を入れていたのが功を奏して、弁護士さんはすぐに裁判所の確認をとって、緊急で200万円を父の口座から出金しておいてくれた。このお金を使って葬儀にかかる必要の支払いができる。これをしていないと、一旦身内ですべて支払うしかなくなる。父の口座が凍結されると、相続しない限り出金出来なくなくなっていた。なるべく相続前に父のお金を減らすことは節税につながるので大きな違いになる。ちょっとした tips のようなもので銀行員は口座を凍結するので名義人が亡くなったことを知ることができる。父は銀行員だったので、連絡していないにも関わらず、通夜に勤め先だった銀行から生花が届いていた。その後、相続の話と 任意後見制度 の話を伺う。

弁護士さんとの話が終わり、斎場のスタッフと家に戻って遺骨を安置する祭壇を作ってもらい、今朝に住職から借りた祭壇の仏具も設置してもらう。なぜお寺から仏具を借りないといけないかというと、宗派が異なると祭壇の作り方は異なるため、宗派ごとの専用の仏具でないといけないらしい。大雑把にいえば、ISO で標準化されていないので祭壇に対して宗派独自拡張を追加するみたいな話だと理解した。飾りが終わったら後でお寺に返す。祭壇の設置前、同時に 神棚封じ もしていただいた。

斎場に戻り、早めに来られた親戚に挨拶しつつ、提灯を選択してもらう。これも親族ではなく、親戚が選択して告別式に飾られる。ややこしいのがグレードとオプションがあって価格差もあって、親戚の思いもあるので、一概に親族で決められず、親戚間の調整をしてもらう必要がある。支払いも親戚になるため、割り勘にするにしろ、ある親戚が購入するにしろ、調整が必要になる。

17時になって通夜が開始された。住職がお経を読んでいる間に焼香を順番にしていく。私は喪主なので一番最初に行い、焼香台の横で立って弔問客の焼香を見守る。他人の焼香を間近でみる機会がこれまでなかった。焼香を眺めていると、人それぞれ焼香のやり方がバラバラで様々なスタイルがある。途中から焼香スタイルの観察にわりと関心をもってみていた。

お経が終わり、住職の法話を聞く。

人は2度死ぬ。1度目は亡くなったとき。2度目は人々の記憶からなくなったとき。

素晴らしい法話であった。この話しは過去に聞いた記憶があるなぁとか、既視感かもしれないが、思い返していた。

最後に喪主の挨拶。通夜の挨拶は簡単でよいとのことで御礼と明日の告別式の案内で締めた。通夜はそれで終わり、弔問客によってはお膳を持って帰る人、その場で一緒に食べて帰る人、いろいろな事情でこれも様々。弔問客に小学校の同級生がいた。市役所で働いているので死亡届から訃報を知ったのでわざわざ来てくれた。感謝。私が逆の立場だったら数年会ってもいない小学校の同級生の父の通夜に弔問するだろうかと考えさせられた。私自身あまり社会性のない人間なのでそういうところをできる範囲で正していった方がよいのかもしれない。

その後、残った親戚と一緒にお膳を食べて控え室でゆっくり過ごしていた。そういった親族も21時頃で全員帰った。私はそれから記録を整理して、明日の告別式に備える。明日は告別式と初七日の2つの葬儀がある

訃報

0時前に母から父が亡くなったという連絡があった。たまたまオフィスで作業をしていて電話を受け取った。以前 母の入院の連絡 をもらったときも日曜日の夜にオフィスで作業をしていたときだった。2回続いたので日曜日の夜のオフィスで受ける連絡は悪い知らせというジンクスができた。

話を聞く分には、看護師さんが20時に見回りしたときはとくに異変なく、23時に見回りしたときはすでに呼吸もなく、蘇生措置をとる暇もなかったとのこと。その後、母が病院へ移動して死亡確認し0時34分が死亡日時となった。私は6時35分始発の高速バスで帰ることにした。2時から4時の2時間ほど寝て準備して帰る。平日の始発で下りのバスに乗ることがなかったので知らなかったが、高速舞子のバス停で淡路島へ行くために乗車する人たちが30人ほどいて驚いた。平日なのでおそらく本州側から淡路島へ通勤している人たちもいるんだということがわかった。

その後、斎場に着いてからスタッフの方々と通夜と告別式の段取りを組む。私はこれまでにこういったことの経験がないので言葉も段取りもわからなくて今回は学びの機会となる。いうても、いまは斎場で行うのが定着したため、家で行うよりはずっと負担が少ない。またコロナによって家族葬を行う本音としても建前としても適正な理由ができた。うちも家族葬で行うので親戚や隣保の関係者がかなり減る分の調整コストを下げられた。

そして、私はそのまま葬儀場の控室で2泊3日で過ごすことにした。わりと部屋は暖かくてトイレも近くてキレイなのでお風呂のないホテル暮らしのような感覚で快適ではある。本当は今日に、通夜をするのがよいのではないかと段取りを始めたのだけど、いくつか調整がつかず、翌日に伸ばすことにした。逆にその分、今日は打ち合わせだけのお仕事ができて、それはそれでうまくはまったピースもあった。死亡届けを市役所へ提出し (これだけで待ち時間を入れて2時間半かかった) 、火葬場の許可証を入手し、喪服を購入し、母の通院など、余裕をもってタスクを消化できた。夕方に斎場へ戻ってきてそのまま守りの役目についた。もともとあまり眠れないので座布団とこたつで寝ててもとくになんの問題もなかった。

コミュニティ忘年会

コミュニティ忘年会

22時に寝て0時に起きて、4時5時と起きて7時に起きた。昨日の夜ぐらいからずっと頭痛がする。体調悪い。

ストレッチ

今日の開脚幅は開始前153cmで、ストレッチ後157cmだった。先週とほぼ変わらず疲弊と疲労が抜けきっていない。右太もも周りの張りや違和感が依然として強い。腰も自覚症状はなかったもののストレッチを受けていると張りが強いことに気付いた。トレーナーさんからも調子悪そうみたいなコメントもあった。田んぼ・出張を経てのオフィス移転から引っ越しに伴う行政手続きと、この3週間のバタバタした負荷が残っているみたい。土日もずっと作業を継続しているのもよくないのかもしれない。とはいえ、お仕事も引っ越しの行政手続きも一段落はついたので徐々に復調していくはず。

もくもく会 & 忘年会

ストレッチを終えたら普段はオフィスで調べものをしているところ、頭痛でしんどいから家に帰って寝てた。そして14時から 【三宮.dev】今年を〆るもくもく会 に参加した。2022年7月頃に移転したばかりの中央区の区役所の上に 中央区文化センター がある。そこで開催されて初めて施設に入った。新設した施設なのできれいで設備も充実していてよさそうにみえた。うちのオフィスからも近い。うちの会社にお客さんが来ることはないのだけど、大人数の打ち合わせにも使えそう。

オフィスへ行かなかった日は day off というタグで記録している。オフィスへ行ったからといった必ずしもお仕事しているわけではないけれど、役員は考えること・為すことすべてが事業に関連するという考えからオフィスへ行く・行かないという基準で day off という概念を私の中で切り替えている。家で寝てても頭痛はおさまらなかったものの、気合を入れてもくもく会へ行って日記を書いたり調べものをしたりしていた。17時にもくもく会が終わって忘年会へ続く。頭痛はまだ残っていたものの、お昼よりは少しましになった。忘年会も休もうかどうか迷ったんだけど、普段来られない方々もいたのでせっかくの機会だと思って、本気出して忘年会へ行ってきた。体調悪いからお酒は控えた。忘年会でいろいろな話しを聞けたので行って楽しかった。

体調悪いから2次会は控えて家に帰ってきてそのまますぐ寝てた。

出張前夜

0時に寝て6時前に起きた。昨日は夜にサッカーの試合をみながら寝た。早朝から田んぼ作業やって、慌てて戻ってイベント行って、バテバテで夕方はやや熱が出て寝込んでた。

玉ねぎを植える準備

昨日の続き。6時から田んぼへ行ける状態ではあったけど、まだ外が暗かったので7時から始めることに。畝を軽く耕して草をひき、苗を植えるための筋を作って、玉ねぎの苗を植えていく。途中から近所の手伝ってくれている方も参加して3人で作業をしていた。玉ねぎの苗を引く人、苗植えのために畝を耕す人、玉ねぎの苗を植えていく人といった役割分担。お昼休憩を含めて私は13時半まで手伝って神戸へ戻ることに。

草をひいたり玉ねぎの苗を植えたりするのに中腰で立ったり座ったりを繰り返す。筋トレに例えるとスクワット運動を何度も繰り返しているのに近い。太ももが筋肉痛になった。

ホームパーティー

13時50分に実家を出て15時頃に三ノ宮に戻る。ガソリンを満タンにしてレンタカーを返すのに10分ほどかかった。高速道路を降りて近くのガソリンスタンドへ行くルートを開拓しないといけない。一旦家に戻ってから三ノ宮.dev のホームパーティーイベントがあるというので行ってきた。13時からやっていたが、私は実家に戻ってたので16時前ぐらいから参加した。どういうイベントかまったく理解してなかった。いつもとは違う場所を借りてもくもく会みたいなのをやるのかと考えていたら普通にゲームしたり雑談したりするイベントだった。だからホームパーティーという名前なのかと行ってみて理解した。LienSpace という部屋貸しのレンタルスペースを借りて行われた。普通にマンションの一室を借りるような感じ。 3000円/時で4時間借りてたみたい。私が行ってから軽く雑談して人生ゲームやってそれでお開きになった。

レンタカーを借りて実家に帰る

2時過ぎに寝て7時に起きた。昨日の夜は洗濯と晩ご飯食べるために早めに帰って家事をやった後にオフィス戻って1時半ぐらいまで作業してた。

ストレッチ

今日の開脚幅は開始前152cmで、ストレッチ後156cmだった。先週に引き続き調子はあまりよくない。右股関節の詰まりと右太ももの張りがかなりある。今週も先週と変わらないぐらい座っている時間が長かったのでなんとなく結果は推測できた。来週は出張するから歩く機会が増えて逆に運動不足解消になってよい結果につながったりはしないだろうか。

レンタカー

母の脳梗塞疑いの検査入院 もあり週末に一度帰った方がよいだろうということでレンタカーを借りた。いつもコンパクトというカテゴリで借りると TOYOTA VITZ か HONDA FIT になることが多い。FIT は2-3回目なのでだいぶ車の雰囲気にも慣れてきた。今度から FIT 指名でいいかもしれないと思うぐらいには気に入ってきた。

神戸市内から垂水パーキングエリア

三ノ宮から垂水ジャンクション近くのパーキングエリアまで30分ほど。このパーキングエリアにはたるみ食堂という普通のパーキングエリアよりもちょっと豪華な雰囲気がするものが食べられる。一番人気とあったのでジャンボチキンカツ定食を食べた。おいしかったし、量も多かったので890円ならコストパフォーマンスはよかった。一方でお腹いっぱいになってこんなにたくさん食べなくてもよかったとも思えたので今度は別のものを頼んでみたい。たるみ食堂の隣にセブンイレブンがあってちょっとだけお土産も置いてあるけど、ここでは神戸のお土産はあまり選べないことに気付いた。ご飯を食べるところやね。

垂水パーキングエリアから淡路サービスエリア

垂水パーキングエリアから20分ほど。サービスエリア内のお土産は9割淡路島のお土産でちょっとだけ神戸、大阪、京都のお土産もある。姉にお土産を買って帰らないといけない。ここにはスタバがあって、スタバのケーキがよいという。昔からあったみたいけど、あまり意識してみたことがなかった。たしかに淡路サービスエリアにスターバックスがあり、明石大橋を眺めながらコーヒーできるよい立地にあることに気付いた。初めて入ってみてケーキとドーナツをお土産に購入した。

淡路サービスエリアから実家

淡路サービスエリアから高速道路も空いていてがんがん飛ばして実家まで40分ほど。自分で運転して帰るとあちこち寄り道できるし、たまに車の運転してストレス解消にもなるし、高速バスよりも速いし、お金がかかること以外はそれなりに楽しかった。まだまだ車を買う経済的な余裕はないけど、いつか車買って気軽にドライブに出掛けるような生活がしたい。

高速道路の料金

合計で2,540円だった。高速道路を普段走ってないので値上がりしているのかどうかすらわからない。

  • ETC 生田川 -神戸本線出 普通車 600
  • ETC 須磨本線 -垂水JCT 普通車 160
  • ETC 特割垂水第三 -西淡三原 普通車 1,780

玉ねぎを植える準備

帰ったら母が田んぼで作業してたからそのまま手伝うことに。肥料をまいて名前の知らない農具で玉ねぎを植える畝を耕す。雨で田んぼがぬかるんでいて作業しにくかった。昔は田んぼいっぱい玉ねぎを植えていた。いまはちょっと食べるぐらいしか植えないのでほんの数個の畝を耕すだけ。