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自社の打ち合わせ2つ

今日の運動は腹筋ローラー,スクワット,縄跳び(両足跳),散歩をした。統計を 運動の記録 にまとめる。

隔週の雑談

顧問のはらさんと隔週の打ち合わせ。今日の議題はこれら。

新たに税理士さんと契約して以降、日々着実に決算申告の業務を進めていただいてわずか2週間ほどで決算申告できる状態まで進捗した。今期の決算だけでなく、過去の私が行った法人決算の誤りまで訂正して補正してくれた。日々の進捗も slack にコメントを残してくれるので非同期/テキストコミュニケーションにおいて困ることもなかった。前の税理士さんが質問したらその返信に2-3日かかっていたことと比べると雲泥の差となる。いまどきの業務を円滑に進めるには非同期/テキストコミュニケーションが必須であると、私はお客さんやメンバーに課題管理の文脈でよく話していることではあるけれども、税理士さんもそれができる IT リテラシーの差でこれだけの業務の進捗やワークフローの差異になることを実感した。

第5期のふりかえりを行って、うちの会社の受託開発における最低単価を上げることに決めた。私の周りでも商品やサービスの価格をあげているのを見聞きする。うちの会社は創業当初から受託開発の最低単価を変更していない。私が得意とすることや難易度の高い業務内容と、そうじゃない内容で単価に幅をもたせていた。私自身、未知の領域であまり高い単価をお客さんからいただこうとは考えていなかった。一方で4社の受託開発をしてきて、私と同じぐらいビジネスにコミットする開発者はそうそういないこともわかってきた。ほとんどの開発者は言われたことをやるだけでビジネスを成功させるための一連の業務や提案を行ったりしない。たとえば 採用とプロダクトの宣伝 のためにテックブログを書いているが、協力会社のプログラマーで勝手にテックブログを書く開発者はほとんどいない。さらにいまお手伝いしているプロジェクトではマネージャー経験も得られた。今後は開発者兼マネージャーとして働けることも考慮すると最低単価をあげるという意思決定をした。はらさんからも違和感はないとコメントをいただいた。はらさんも手伝っているある会社において値上げを依頼していないにも関わらず雇い主から単価が上げることを通知してきたとのこと。やはり業界全体の単価が上がっているとみてよさそうだ。

決算申告の打ち合わせ

夕方に税理士さんと決算申告についての打ち合わせをした。税理士さんの申告書類作成は完了していて最後に私の承認を得て申告するとのこと。申告内容については日々、共有してもらったものを私も確認していて、まったく何も問題なくてそのまま申告してもらってよいという旨を伝えた。その上で税理士さんから決算のための作業をして10項目ほど気付き事項としてコメントをいただいた。本当にありがたい。

おもしろい話題の1つとして社用車の運行記録をつけた方がよいと提案された。税務調査において社用車を本当に業務に使っているかどうか、調査官によってはチェックするという。社用車を購入した年度や翌年などの運行記録を求められたりするとのこと。社用車の主な用途としては実家と現住所を往復している。今季中には実家の離れのスペースを当社の出張所としたい。そんな記録をつけることそのものにあまり意味があるとは私自身思えないため、必要になったときに作るのはどうか?と尋ねてみた。一般的には税務調査の連絡が数日前にくるという。うちはまだ1度も税務調査が来たことはない。いつ来るかわからないが、来ると分かったときに高速道路の利用履歴が会計システムの明細にあるからそこから作成すればよいという話しでまとまった。

関係者を増やしていく試み

今日の運動は縄跳び(両足跳),散歩をした。統計を 運動の記録 にまとめる。

ブロックチェーンのお仕事の再面談

約1年半前に lapras 経由でカジュアル面談した 会社から、時間が経ったのでまた面談したいという連絡がきた。律儀な方で前回話したときの印象もよかったので再面談してみることにした。一方で、私はこれから課題管理のビジネスに注力するので現実としてはこの会社に転職することも、開発者として開発の最前線でコミットすることもできないという見通しがあるため、そのことも伝えた上でのカジュアル面談をしてみた。採用のリクルーターとピープルマネジメントのマネージャーの2人がやってきて、途中から私がやりたい課題管理とは何ぞや?みたいな話しを30分ほどしゃべくりした。

ちょうど 新しい税理士さん向けに簡単な課題管理の概要 資料を作ったばかりだったのでそのスライドをみせながら話した。わりと先方に刺さったみたいで「この文脈でお困りならうちの会社と協業できるかもしれない」と言ったら「その文脈で確かに困っているかもしれない」といった発言も出ていたのでいろいろ大変なのだろうと推測する。うちの会社のターゲットとして、若い組織の方が開発方法論が曖昧だったり、経験不足からノウハウの蓄積がなかったりして課題管理の話題は関心をもってくれるのかもしれない。課題管理の話しでカジュアル面談の大半の時間を浪費してしまったので、先方の話しを私がほとんど聞かないまま、私が言いたいことだけしゃべくりして終わるという、不思議なカジュアル面談となった。いつかうちの会社のことを思い出してくれて一緒にお仕事できればいいんじゃないかと思ったりした。

みなとのもりの運動

先週と同様19-20時で運動 すると三宮.devで宣言して縄跳び、デカバドミントン、バスケットボールの練習をしてきた。他に2人参加者がいて3人で運動してきた。こうやって一緒に運動してくれる人がいるから私もさぼることができず、公園へ行ってなにかしら運動するという、よい継続の循環ができる。いままでモノゴトを継続するには自分の意思のチカラだけだと考えていた。しかし、それはちょっと違うなと歳を経て思うようになってきた。もちろん個人の意思のチカラも一定量はいるけれど、自分を取り巻く周りの人たちの助けも確実にあって、それらも含めて継続できるということを実感できるようになってきた。今後も周りの人たちに助けてもらいながら運動を続けていければいいなと思う。

やさしさという残酷の事例

1時に寝て4時に起きて6時半に起きた。昨日は出張帰りで疲れてしまって、朝からお風呂入ってのんびりしてた。

今日の運動は腹筋ローラー,スクワット,散歩をした。統計を 運動の記録 にまとめる。

キャリア面談

アウトプットがない開発者の状況 について 月例の進捗報告 の場で経営陣に共有した。これは知識やスキルの多寡といった個人差以前の問題で本人のキャリアの意向を確認すべきだという判断を私は下して、経営陣もその意見を取り入れて対応したらしい。キャリア面談が実施されて本人としては開発者としてやっていきたいという意志を確認したようだ。

経営陣から厳しい評価を伝えられて本人はそれなりにショックを受けていると思う。そのショックをきっかけにその人が成長するのか、ダメになってしまうのかは本人次第だ。やる気があれば私はいくらでも指導するが、そうじゃなければこのまま放置して、開発から外すという最終判断も辞さない。そういう覚悟をもってこの開発フェーズには臨む。イチローが指摘している次の記事の内容がよくわかる。最近の若い子は基本的に優秀だが、優秀な子と優秀じゃない子の格差が大きくなってしまっている。それは働き方改革やハラスメント防止の視点から叱ってもらえない若い子が増えているからだと推測される。

私も若い子に叱ったりはしないが、実力不足であれば厳しい判断を下さないといけないとは考えている。経営陣からのキャリア面談というワンクッションを入れた上で次の 1on1 で本人とも話してみようと思う。

夜桜通り抜け

夜に 王子動物園の夜桜通り抜け へ行ってきた。近所で軽く見に行くにはよいスポットだと思う。遠方からわざわざ来るほどの規模でもないのでなかなか評価が難しい。入場まで30分かかって、必要以上に行ったり来たり歩かされて、その割に入場後の園内が15分ほどで通り抜けできる規模しかない。なにか誘導の仕掛けが大げさになっているような気がした。あと園内は立ち止まらずに歩いてくださいとアナウンスしているが、みんな写真を撮るために立ち止まるわけで、立ち止まってもよいスポットをところどころに作ってあげるのがよさそうに思えた。夜桜をみにきて写真を撮るなというのは無理がある。行きは阪急電車で行って、帰りは1時間弱ぐらいかけて歩いて帰ってきた。

他人の言うことを聞かないと気付けない

23時に寝て1時に起きて4時過ぎに起きた。昨日、打ち合わせに来た親がうちに泊まっている。親がいると4時起きになる。

しくじり先生

たまたま元プロ野球選手の 森本稀哲 選手のしくじり先生をみた。日ハムで新庄選手が活躍していたときにブレークした選手としてしか私は知らなくて、その後、どうなったのかも知らなかったが、キャリアハイを迎えた後は期待された成績を残せず、苦労しながらも野球を続けて引退試合をしてもらえるぐらいには活躍された選手だったようだ。無名のまま引退するプロ野球選手もたくさんいる中で、本人も話していた通り、一時期レギュラーとして活躍して、16年3球団もプロ野球選手で入れたことは間違いなく幸せな選手の側だと思う。

病気のため、小さい頃からコンプレックスを抱えてきた人生の中、それが改善したり悪化したりもしながら、いまふりかえっているのは、人は共通してそういうところに陥ると思えて親近感もわく。いろいろなしくじりもあった中での私にとって気になったのは次の言葉だった。

うまくいっていないときに頑固で他人の言うことを聞かないから自分で悪い状態に気付けなかった。

マイクロ法人やフリーランスの一番の難しさはここにあると私も思う。1人だとキャリアに与える影響に自身の状態がかなり大きい。「無知の無知」への 3ステップ を常に私は意識していて、自分の誤りに自分で気付けていない状態が一番怖い。私にもいくつか成功体験があるから、自信過剰になるとこのやり方ならうまくいくはずと誤った方向に進んでしまう懸念は避けられない。周りにいる人たちに「それ、おかしいよ」とか「何をやっているのか理解できない」とか言ってもらう機会や制度設計に気を配っている。私も他人の言うことをあまり聞かない傾向があるので稀哲さんの頑固で失敗したという体験談は親身に思えた。

スタンディングデスク受け取り

ジモティーで引っ越しで処分していた「DEVAISE スタンディングデスク」を2000円で購入した。メーカーのサイトがどこかわからにので amazon のリンクを張っておく。これは実家の離れではなく、うちのマンションでホットクックを置く台として使う。お昼に東灘区まで引き取りに行ってきた。メッセージを送ると相手のレスポンスの早い方で20分以内には返信が届いていた。メッセージのやり取りだけでシステムに慣れた相手だというのがわかる。本当は引き取りも13時の予定だったのだけど、こっちの都合が変わったので11時頃に早くできない?と訪ねたら20分後には11時45分にいけるよと返ってきて早く引き取りした。

実家との往復

親を送るのと、実家コワーキングスペース化のための椅子を運ぶのと、親戚と打ち合わせの3つを兼ねて実家へ車で帰る。道中、姉の職場へ立ち寄り相続関連の書類を渡して、親戚の家にお邪魔して少し打ち合わせして、16時過ぎには実家へ着いた。カフーツのいとうさんから引き取った椅子4脚 をようやく実家の離れまで運んだ。2脚ずつで2回かかった。あとは机を1-2つ探してくればコワーキングスペースとして形は成り立ちそう。

それからまた神戸へ戻る。1日で神戸と実家を往復したのは初めてかもしれない。帰りは途中で眠くなって淡路 SA で休憩した。

qa と最初のキャリア

0時に寝て何度か起きて6時に起きた。1-2週間前に2年ほどやっていたドラクエタクトをやめた。飽きたのか自然ともういいかって感じでやめられた。それ以来、家に帰ってからゆっくり休む時間が増えた気がする。

qa という業務の懐の広さ

先週の水曜日から qa テストに移行している。スケジュールとしてはこのために1ヶ月を確保している。おそらくもう少し早く終えられるんじゃないかという気はしている。早く終われば次の開発の計画づくりを前倒しにすればよいのでそれは構わない。私は先週から残タスクのリファクタリングが終わりきらなかったのでややバタバタしていたが、メンバーはテストに専念してテスト環境で動かして意図しない振る舞いを issue 登録したり、直感とは反する振る舞いを issue 登録したりしている。

新人さんや、未経験だけと開発者になりたいとジョブチェンジする人たち向けに、最初のキャリアとしてテスターや qa をするのがよいのではないかと私は考えている。きっかけは More Joel on Software に、テクニカルサポートは開発者を配置する必要があると書いてあった。しかし、テクニカルサポートだとスキルを身につけると持て余してしまうため、その業務ためのキャリアパスを考えないといけないと書いてあった。まったく同感だ。私がお手伝いしたある会社でもテクニカルサポートは1-2年で辞めているのを見聞きした。みんな開発したいからね。

(おまけ) カスタマーサービスの人たちのためのキャリアパスを用意する

  • テクニカルサポートにはデバッグ能力を要求するため、資質の高い人を配置する必要がある

More Joel on Software

新卒以外の採用ルートで未経験から開発者になるのは、いまは相当に難しいと思う。そんな人たちがキャリアアップするための試金石としてテスターがよいと思う。重要なお仕事だし、テストツールをプログラミングすることで開発者になるための準備期間 (学習) にもあてられる。システムの振る舞いや知識もテストを通して身につけられる。このお仕事を2-3年務められて、プログラミングも少し理解できるようになって、それでも開発者になりたいという意志があるなら開発者にステップアップすればよい。適正があるかどうかわからない状態で開発者を始めるよりも、ゆっくり学んでいけるのでうまくいくのではないか?と思ったりする。うちの会社はまだ社員を雇う余裕がないので私の持論の検証はできないが、どこかの会社でやってみてほしい。

気分転換に開発はお休み

0時に寝て3時5時7時と起きて8時に起きた。起きてからネットの記事を読みながらしばらくだらだらしていた。11時ぐらいにはオフィスへ行って今月分の請求書を発行して、9月のイベントで発表するネタの調査、三ノ宮.dev の slack で 課題管理について話した podcast を紹介してもらったお礼を述べたりとか、いろいろ自社のお仕事をしていた。

マイクロ法人のススメ

たまたまだが、私がよく行くお店でマスターが1人でやり繰りしている飲食店が増えてきた。またコワーキングスペースなどへ行くと、マイクロ法人でがんばっている人たちと交流する機会も増えてきた。私自身マイクロ法人として1人で会社や事業を経営している立場なのでそういった似たもの同士な人たちとよく気があう。同じような人たちをみていて、マイクロ法人のなにが楽しいのかを、いずれちゃんとしたブログの記事にしたいと思う。外から観察していても働き方に共通点がある。

よいところを述べる前に、わるいところも言うべきだと思う。

  • (サラリーマンと比較して) 会計や税制といった財務知識が必要になる
  • (サラリーマンと比較して) 書類などの事務手続き作業は増える
  • (サラリーマンと比較して) 短期的な安定や信頼を得にくい
  • 自分で営業しないといけない
  • 自分で事業を設計しないといけない
  • 同僚と雑談できない、困ったときに助けてもらえない
  • 複数人で対応するような規模の大きな仕事はできない

たくさんわるいところもある。これらのわるいところを受け入れた上でよいところもある。

  • お仕事はすべて自分で決められる
  • 目標設定をしなくて済む (他者評価もされなくて済む)
  • (サラリーマンと比較して) 事業がうまくいけばより大きな対価を得られやすい

デメリットよりもメリットが上回るのならマイクロ法人がいいと私は思う。もちろん若い人には勧めない。経験のある人が評価されずにつまらない組織の仕事で残りの余生を過ごすぐらいなら、自分で思うよう好き勝手働いた方が人生としては楽しいのではないかと思ったりする。もちろんそれで失敗する人もいるだろうし、私も今後失敗するかもしれない。失敗したときに会社を辞めずにサラリーマンをしておけばよかったと後悔する日が来るかもしれない。仮に失敗したとしても、その瞬間までのマイクロ法人で働いてきた日々に価値を見出せればそれだけでよかったと思えるかどうか、と言い換えられるかもしれない。

楽しく働く

うちの会社の価値観の1つにしようと考えている。歳をとってシニア社員になるほど、楽しく働いている人は少なくなっていくように傍からはみえる。会社から評価されず、おもしろい仕事も任されず、ただ生活のために働いている人は多いのだろう。状況が許せば、そんな人がマイクロ法人になると、働く楽しさを取り戻せるかもしれない。

バランスチェアを購入した

バランスチェアを購入した

0時に寝て何度か起きて6時半に起きた。余裕のある生活を送っていると朝もすんなり起きれる。たぶん普段働き過ぎなんやな。今日は朝もお昼もご飯食べてないが、とくに気にならなくて余裕があるとお腹も空かないことに気付いた。

ジモティーで椅子の受け取り

以前コワーキングのオンラインイベントで ジモティーが熱い と聞いてから ジモティー にアカウント登録して、たまに眺めたりしていた。実家のオフィスで使う椅子をジモティーで探そうと思って検索していた。いくつか候補をみつけて最も近所で受け渡しが簡単そうだったのがバランスチェアだった。実家で使おうと思って購入を決めた。ジモティーで売買をやり取りするのは初めてだったので勝手がわからないものの、出品者とメッセージをやり取りして翌日には受け取りの待ち合わせをすることで話しが付いた。振り込みとか発送とかそういう概念がなくて、直接会って現物交換するときに現金で支払うという、なんというか、昔ながらの個人間取り引きになる。一周まわって新しい。

出品者が10年以上前に購入してブランドロゴがいまとは違うため、類似品と正規品との判断がつかないということで明言はしていないものの、おそらく VARIER MULTI ではないかと思われる。椅子じゃなくても10年以上使うとなにかしら劣化や変色などがみられると思う。もちろんこの椅子も新品と比較すればいくらかはそうだろうけど、10年以上使ってきたという歴史に対して色褪せない質感を醸しているのでおそらくはもともとの素材や構造が優れているのだと思う。

出品者の人もよい人で待ち合わせして受け取り/支払いの体験もよかった。一周まわって新しいと書いたのは、人と人のコミュニケーションの原点のようなものがある。ヤフオクやメルカリだとシステムとのやり取りだけで完結するので相対的にそういったものを思い出した。戻ってきて早速使ってみる。見た目の質感の良さの通り、座った感じの、フィットするのにまったくブレない剛性感もしっくりきて気に入った。当初は実家で使おうと思っていたものの、すごく気に入ったので現オフィスでセカンドチェアとして使うことに方針変更した。

姿勢もよくなりそうだし、背もたれがないので作業に集中したいときのルーチンにもよさそうに思う。

しくじり先生

前回の青春編 をみておもしろかったので続編の 竹原慎二先生「50歳過ぎてもケンカを売られ続けてバリしんどい先生」完結編 をみた。ガチンコ時代の裏話などもあって懐かしくておもしろかった。またガチンコ時代の教え子でプロボクサーからは引退したものの、いまも仲良くしているメンバーもいて、そういうのもいろんな人の縁で社会がまわっているなにかを感じられてよい演出だったと思う。竹原氏は見た目怖いし、実際に強いし、無礼に対する態度も威圧的なものの、意外?と精神的には普通の人とあまり変わらない雰囲気だった。格闘技が強いかどうかよりも、精神を鍛えることの難しさや大事さが伺えた。見た目の強さよりも内面の強さというか、若い頃はあまりそういうことがわからない気がする。多くの人がある程度社会で揉まれていくうちになんとなく理解していくのではないかと思う。

第4期の法人決算に着手

0時に寝て何度か起きて7時に起きてドラクエタクトのランクマッチやってた。

法人決算

朝から着手した。過去の日記から 第3期の法人決算に着手した のは5月5日だったらしい。この情報だけでも昨年よりは体調がよく、いまの業務に集中できていることが伺える。過去3回分の法人決算のノウハウがあるから私にとって法人決算はなんら難しくない、ただの作業になる。しかし、こういった面倒なだけの事務手続きをいつ取り組めるかというのはモチベーション管理の視点からはとても大きな意味をもつように、年齢を重ねてから思うようになった。というのは本気を出せば数時間で終えるものの、あまり楽しい作業ではないので、他の楽しい開発や調べものに心を奪われがちになる。たった数時間なのだから先に事務手続きをやってから他の楽しいことやればいいやんと頭ではわかっているものの、それができるかどうかがモチベーション管理の難しいところ。連休の初日からそれができるのだから調子がよいのだろうと考えられる。

消費税の申告

法人決算と消費税の申告は同じタイミングで行うものの、それぞれの申告は独立している。消費税は未払金として決算書には記載する必要があるので普通にやると、法人決算の前に消費税の申告をやるという手順になるはず。昨年は3期目で免税事業者から課税事業者へと移り、初めての消費税申告でやや手間取ったが、今回は2回目なので昨年のノウハウがあって1.5時間もあれば完了した。昨年のメモを見返しながら課題管理システムに手順や要項をメモしながらやっているので実質1時間もあればできる。こうやって作業手順を洗練させていくのが課題管理的なやり方。昨年は消費税の算出と申告と会計処理を2日に分けて別々のタイミングで行っていた。会計システムに振替伝票を登録するやり方なども初めてでよくわからなかった。しかし、今年は全体像も手順もわかっているのでこれらの作業をまとめて完了できた。よい感じ。

パワーランチ

大学の同級生の友だちが実家に戻ってきた機会にオフィスを案内してお昼ご飯を食べて雑談してきた。本当は昨年末に予定していたが、年末休み前に 父の訃報 があって先送りしていた。引っ越してから知人がオフィスへ来た機会は初めてかな。お昼ご飯食べてカフェで雑談してなんやらかんやらで3時間ほど話していた。ざっくばらんに近況やキャリアや起業についての話しをしていた。友だちの会社は外資系なのでリストラが敢行されているが、その友だちはビジネスに近い方の業務をやっていて、そういう人たちはリストラされていないらしい。リストラされているのは新しいビジネスの種としてやってたプロジェクトのメンバーでそれはベテラン/新参に関係なくリストラされているそうなので外資の厳しさを伺える。あとはお仕事のパフォーマンスがよくない新参者がリストラされているのはそうらしい。

50歳のキャリアどうするといった話しをしていて、いまの会社でずっと働くという選択肢もある。一方で40歳を超えると転職はとても選択肢が限られるというのは私の経験からもそうで、おそらく50歳はさらに転職の選択肢が限定されるだろうと推測する。そうなると、起業するという選択肢もあるが、そういった将来のキャリア観をお互いに話していた。私からは誰にでも言っていることだけど、知り合いのスタートアップに転職するよりも自分で会社を作って好き勝手やるのが楽しいよとお奨めしておいた。

きんとん さんでシャトーブリアン定食 (2,600円) を食べた。ヒレの中心部分の柔らかい部分をシャトーブリアンと呼ぶらしい。とんかつの種類で言えばヒレカツに分類される。前から気になっていたメニューだったので祝日だし接待だしと良縁も重なって食べてきた。岩塩、わさび醤油、とんかつソースという3つのタレを使い分けられるところもよい。値が張るし、おいしかったし、見栄えもよいので接待にもよいメニューだと思う。食べログのとんかつ百名店[2022]の1つ。

これまで私はロースカツ派でヒレカツというのをあまり食べてこなかった。カツ丼も好きだが、通常はロースカツだと思う。東京へ出張したときに とん金 さんで食べたヒレカツがおいしかった。金曜日のランチがヒレカツ定食 (1,200円) になる。肉の暑さと柔らかさではきんとんさんのヒレカツに負けないインパクトがあったように思う。食べログの定食百名店[2021]の1つ。それ以来ヒレカツもおいしいなと思うようになってきた。加齢によって脂身をあまり食べられなくなったのもあるのかもしれない。

飛び石のお仕事

0時に寝て何度か起きて7時に起きた。休んでもよかったんだけど、休む理由がないので飛び石でお仕事することにした。

docker エコシステムの調査

少し前に docker をライブラリとして使って運用ツールを作った 。その内容をテックブログに書こうと思って docker のソフトウェアスタックやアーキテクチャの背景を調べ直していた。もっとたくさんいろんな記事を読んだのだけど、次の記事とそこから辿れるものを読むとよいだろうと思う。

コンテナに関して cri と oci という2つの標準化があることを学び、その実装として docker 社が使っているツールに関係があるのが次の3つになる。おもしろいことにすべて docker 社のリポジトリにはなく、oss として然るべき所管の organization にリポジトリがある。

すべて docker 社がオリジナルを作って、いまも moby は docker 社が主体となって開発を継続しているだろうけれど、コンテナの実行環境のプラットフォームは k8s に取って変わられ、cri のコンテナランタイムとしての containerd があれば moby は docker daemon や docker engine のためのツールでしかなくなっている。当初 docker と moby を分割したのは、docker を開発ツール、moby を infrastructure にするという判断の下、moby を k8s のようなプラットフォームにしたかったはずである。しかし、結果的にその標準化競争に破れ containerd があれば dockerd daemon は不要になったとも解釈できる。docker という名前はコンテナのエコシステムにおいて docker 社が提供するコマンドラインやプロダクトの総称としての名前でしかなくなってしまっていて、一世を風靡した docker というパッケージングシステムの開発元に同情してしまう感もある。いまの docker engine は docker daemon と containerd の2つの daemon を起動していて docker 社としては微妙なアーキテクチャになっているのではないかと推測する。とくに swarm なんか最早削除したいだろう。

こういった docker を取り巻くエコシステムやツールの背景を説明するだけでも1つの記事になりそうなことが1日調べていてわかった。

しくじり先生

たまたま 竹原慎二先生「50歳過ぎてもケンカを売られ続けてバリしんどい先生」 をみたらおもしろかった。ガチンコをリアルタイムでみていた世代なので竹原氏には好感をもっている。少し前に 【あの人の健康法】元プロボクサー・竹原慎二の膀胱(ぼうこう)がんとの闘い のような、闘病生活の記事もみかけていた。病気は克服してがんばっているといるようにみえる。よかった。もう51歳なのか。

この番組の中で若い頃に上京してボクシングジムへ通ったときに根性の定義が変わったという話しが出てくる。

殴られても耐えることを根性だと思っていた。そのときに初めて殴られようが何しようが毎日辛い練習を重ねるのが根性だと気付かされた。

地元で最強だったのが、ボクシングジムのヤンキーでもない先輩にまったく太刀打ちできなかったという。そのとき1番違うのはスタミナだったらしく、竹原氏は1分で息がきれるのに相手は軽く流すといった様相だった。この先輩にボコボコにされた経験を経てそれから心を改めて真面目になったと言う。その後ボクシングと真剣に向き合い、1995年に日本人初のミドル級世界チャンピオンになる。おそらく番組の主旨的に若ものへのメッセージとして「強さ」について話されていた。

「ケンカに強い」だけが「強さ」じゃない、「強さ」の意味を履き違えずに生きよう。大人になると、いろんな強さを知る。大切な人のために仕事をどれだけ頑張れるか、辛い状況でもじっと耐えることができるか。そういう強さもある。

私は誰かのために仕事をがんばったことないし、辛い状況を耐えるみたいなこともほぼやってなくて、嫌になったら仕事を辞めてて、こういう言葉にあうと自分を恥じてしまう。その後、喧嘩自慢で youtube 動画を検索していたらまさにそういうのがあった。竹原氏が「勝てるはずねぇだろ、お前らこんな茶番なことすんなよ」とぼやいていた。先の番組の中でも触れていたが、本当に真剣勝負したいと思って来ているのではなく、記念に戦ってみたいという不純な動機でやってくる人が多いらしい。たしかにそれは相手するのがしんどそう。

プロダクトのリリース

0時に寝て6時半に起きた。朝起きてからドラクエタクトしてた。

リリース

今日がプロダクトのリリースとなる。先週前半にはテストを完了して開発作業も終えてインフラの整備やドキュメントの作成に注力してきたのでここ数日の様子をみれば無難に順調にリリースできたようにみえる。結果からみれば「余裕でしたね」とコメントされても大きく外れてはいない。6ヶ月でやってと言われた開発を、3ヶ月目に5ヶ月でできると勝手に短縮して、4ヶ月目にやっぱ間に合わないからもう1ヶ月待ってと6ヶ月に戻した。一人時間差攻撃みたいなマネジメントをして完了した。ここ2ヶ月ほど私がいくつか開発やデバッグを肩代わりをして開発の下支えをした。別に私がやったらいけないという制約はないけれど、メンバーの教育も含まれているプロジェクトなのでなるべくメンバーが経験を積んでスキルを磨くのが望ましい。この件はちょっとズルしましたと進捗報告している。まずはうまくいって安心した。

ともあれ、私がプロジェクトマネジャーという肩書きをもって臨んだプロジェクトで概ねスケジュール通りに開発を進捗させてお客さんの要件にあったプロダクトを作り上げたことそのものが、私のキャリアにおいても重要なことであるし、うちの会社では課題管理という分野をビジネスの中核にしていく上での最初の実績として大きな意義のあるプロジェクトだった。課題管理はチーム開発において強力な武器になる。これまでの自分と、そう大きく変わらない働き方をマネージャーでやっても結果を出せたことは自信にもつながる。

この後は6ヶ月間の大きなふりかえりも控えていて、課題管理に溜まったデータを分析して、次開発への改善などにもつなげていこうと思う。過去の経験則では課題管理の価値を実感してもらうのに半年はかかるというのが私の持論。それは比較的、最初から課題管理システムを使えていたうちのチームでも同じだと思う。私がやっている課題管理とメンバーのそれとの違い、その違いによる実際の業務における成果などを分析していくと示唆を与えられるのではないかと思う。

昔の上長の背中を追う

2時に寝て7時半に起きた。昨日もWBCをみてから晩ご飯を食べて軽く作業してそのまま寝た。

伴奏

ここ2-3日若いメンバーの開発をサポートしている。

「◯◯ができません」

私が5分ほどでググってできそうなドキュメントや so をみつけてリンクを貼る。

「できました。」

みたいなやり取りを何度かした。大して難しくない処理を実装できないのは公式ドキュメントをちゃんと読んでいないのと、インターネットの検索方法を習得していないように私からはみえる。一度、定例会議のときに google の言語設定を英語にした方がよい。日本のキュレーションサイトの記事の品質は低いからと伝えたが、まだそれを実践しているようにはみえない。いまや英語は deepl で翻訳すれば大半を斜め読みできる。私も deepl で読んでいると教えたりしているのだけど、日本語の記事しか検索していないから未知のことをできないとなってしまう。

チャットで困っていることや問題点を整理したり、どういう視点で調べていくかをやり取りしながら本人が理解して作業できるようにサポートしている。私がやれば10分で終わるようなことを2時間ぐらいかけてチャットしている。それで昼間は自分のお仕事をやらずチャットの話し相手を務めている。誰もが最初は初心者なのでそういう時期はある。以前は質問すらできていなかったところを、あれができないとか、これがわからないとか質問できるようになったというのは成長したと受け取れる。わからないことを説明してもらうことで、私も相手のことを理解できて適切な指示や指導ができる。その過程でプログラミングの理解度も測れるので issue をアサインするときの参考にもなる。

曖昧なことをチャットで聞くのは効率が悪いから、口頭であれこれ質問してくれるようになるのがこの次のステップかな。以前と比べて質問してくれるようになったので信頼関係は少しずつ構築できてきつつあるのかもしれない。

昔の自分といまの自分

既存のある java のコードを読んでいて、私の中ではワーストから数えた方が早いほどのひどいコードをみている。java の言語仕様もプログラミングもどちらもよくわかっていない人がキュレーションサイトにあるような記事を読んで動くように作ったようなツールにみえる。アリエルを辞めてからいくつかの会社で働いてきて java のコードも読み書きしてきた。これまでの経験からその職場での java のコードは品質が高かったし、私もその影響で java の設計やアーキテクチャにも関心をもつようになった。私は未熟なので人並み程度のプログラミングしかできないが、そのスキルを底上げしてもらったのはその職場での3年間の java 開発といえる。私にとっての普通が当時の開発体験やチームの同僚になったことでそれ以降に出会った開発者の大半はスキルが低いようにみえてしまう。そして、その後に私がどんなプロダクトを開発しても決して当時の先輩方に敵うことはないと慢心することもない。だからプロダクトの開発を終えて、組織の方向性にあわなければすぐに辞めることもできた。

いま私がメンバーに教えていることも、メンバーからみたら少し厳しくみえるかもしれない。私にとって先人のような偉大な開発者に自分もなれるんやろか?とか思いながらマネジメントをしていたりする。今週はとくに18時にホテル戻って2-3時間寝て22時頃から2-3時間コードを書いたりしていた。当時の上長もよくそうやって開発していた。当時の私はよく働いたが、そんな私からみてもその上長もよく働いていた。そして上長の生産性は私よりも数倍高かった。お互いに課題管理システム上にいることはわかっていたし、夜中の1時頃にチケット上でやり取りすることもあった。私もいま当時の上長と同じようなことをやっているなと感慨に浸りながら夜中にコードを書いていた。うちのチームのメンバーは誰も夜中に開発していないことだけが当時とは違うことにも気付いた。