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出張前々日

0時に寝て何度か起きて7時に起きた。雨降りだったので午前中はドラクエタクトしてた。午後から雨が小さくなったのをみて、オフィスで出張前の資料作りをしてた。夕方には雨がやんでお土産を購入するために出掛けたらすみよさんさんに偶然会った。

ソフトウェアライセンス事業を加速させる OSS 戦略

ビジネス法務 2023年6月号 という雑誌に寄稿したとなかいさんのタイムラインをみかけたので読んでみた。電子版は年間契約でないと購入できないようで仕方なく紙の雑誌を購入した。ライセンス契約の特集の中の1記事らしい。3ページの記事だったので OSS というソフトウェアのビジネス形態の紹介といった記事のようにみえる。OSS や web 業界の開発者からみたら目新しい内容ではないが、こういった雑誌に紹介されること自体がすごいことだと思いながら読んでみた。自社ソフトウェアを OSS とする戦略の特徴として次の3つをあげていた。

  • ユーザーの開発者が動作を確認したり、カスタマイズできる
  • 製品の透明性を証明できる (ソースコードを読めるから)
  • 技術力のアピールできる

うちも近いうちに OSS でプロダクト開発を始めるので参考にしながらやろうと思う。うちは OSS で儲けようと考えていないが、うちで作るものは原則として OSS で公開していく方針で考えている。

近況報告の資料作り

4月末にリリース できているのでそれほど重要ではないけど、毎月出張したタイミングで報告会をしているので急にやめるのもどうかな?という気がして資料を作って打ち合わせする。リリースして GW を挟んで次の開発への準備期間という隙間時間がいまになる。ある種のゆとりになっていて、これはパッケージベンダーだからこそなのか、中小企業ゆえの労務管理や目標管理の緩さからなのか、いずれにしてもこういう隙間時間を使って自分で考えて、自分で調査して、自分でふりかえるといった自律性を養うのによいかもしれない。私もゆっくり考える時間を取れてよかった。

ゆとりのある休日

0時に寝て6時に起きた。午前中は掃除したり買いものへ出掛けたりムック本を買って読んだりして午後からもくもく会に参加してきた。昨日から休日って心地よくて素晴らしい時間だということに改めて気付いた。

いまがわかる地政学

やぎさんからおすすめされて オールカラー図解 いまがわかる地政学 を読んだ。ちょうど余裕もあったので読んでみることにした。私も過去に地政学の雑誌を気分で買って読んだことがあった。教えてもらってなければいまは買ってなかったと思うが、関心のある分野ではある。

見開きの2ページで左ページを地図で図解しながら右ページにその説明が書いてある。読み始めてすぐにドキュメントランドスケープを構築できるので読みやすい。地政学なので地図で説明するのがわかりやすいのと、特定の地域の限られた国で、且つ話題を限定して説明するから簡潔でわかりやすい。過去にはアメリカ/イギリス系統とドイツ系統の2つの地政学があり、地政学はナチスドイツの御用学問となり、ドイツが敗戦したことによりドイツ系統の地政学は封印指定された。日本で学ばれていた地政学もドイツ系統だったようで、戦後 GHQ により封印指定されていまに至るらしい。

地政学の解説を読んでいて、なにかを分類して、そこから得られる知見に方向性や解釈を与えて、さらに歴史が積み重なると立派な研究や学問になるという印象を受けた。観察して分類して仮説を立てて記録を取り続けるとそれはもう科学である。課題管理につながるヒントもありそうな気がしている。課題管理は事象が発生した記録を取り続けて、ある程度溜まったところで分類したり分析したりできる。

もくもく会

【三宮.dev オフライン】もくもく会 に参加した。昨日の続きでプロダクトのドキュメントを2時間ほど書いてた。集中してドキュメントと mermaid のフローチャートを書いた。初めて参加された方も何人かいたのでいろんな人の話しを聞くこともできてよい機会だった。参加者の1人から 芋屋HUG のスィートポテトをもらった。お店の存在は知っていたが、1度も買ったことがなくて初めて食べておいしかった。調べてたら神戸発祥のお店っぽいので東京出張するときのお土産に買って行ってもよさそう。よいお土産を知ることができてよかった。

開発の追い込みに集中

23時に寝て2回ほど起きて7時に起きた。土日コードを書いて疲れていたので月曜日は早めに業務を切り上げて実家のいろいろをやっていた。

開発の追い込み

サーバーサイドとフロントエンドはほぼ開発が完了し、これからテストするだけといきたいところが、想定外のことがあってまだそうはなっていない。

予想外のことは起こるものだ。ガトーは良くやっている by エギーユ・デラーズ

と言っているほどの、予想外というわけでもないが、思った通りに進捗しなくてリリースの危機を迎えている。なにが起ころうとプロジェクトの全責任はマネージャーにある。いま溜まっている issue をメンバーに再分配して乗り切ろうと定例会議で話した。私が2人分ぐらいの作業をすれば1週間もあれば取り戻せる程度の遅れではある。ただ残り時間が1ヶ月しかないだけ。また週末働いてその足で東京に行くのだろうなと直近の未来を想像していた。

上司道 野村監督から学ぶリーダーの器のつくり方

お仕事にテンパっているものの 第86回上司道 野村監督から学ぶリーダーの器のつくり方 に参加した。上司道 に参加するのは2回目。

以前 野村ノート を読んだことがある。 野村監督は言語化にこだわりのある方で選手としても監督としても一流だった氏の実践知の言語化は参考になるかもしれないと思って読んだ。本書は期待した通りでプロ野球に限らず、一般のビジネスパーソンにとっても汎用的に役に立つアイディアがいくつもあったように思う。

例えば、野村監督が捕手に求めるものとして次がある。判断というのは知識と経験を根拠になんらかの基準をもってくだすといったことが書いてあった。判断の前に分析と観察と洞察の3つの段階を語れる人がどのぐらいいるのだろうか。

  1. 分析
  2. 観察 (目に見えるものをみる)
  3. 洞察 (目に見えないもの = 心理を読む)
  4. 判断
  5. 記憶

今思うのは、小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道だと感じている。

これはイチローのコメントだが、この言葉は野村監督の野球観に通じていて感銘を受けたと書いてあった。そんな風に野村ノートがおもしろかったので、その延長上で野村監督に関するイベントなら参加してみようと思った次第。

実際のイベントについては、期待値も高かったのかもしれないが、私の求めていたイベントの内容ではなかった。野村監督と付き合いの長い番記者が野球人としての野村監督というよりも、一般人としての野村監督の在り方を伝えるような著書やそのイベント内容だったと思う。あと野村監督の話しを聞きに行ったのだけど、半分以上は講師が自分のことを多く話すのでその点もアンマッチだったと言える。上司道のイベントは2回目なんだけど、これまでどちらも私の求めていたものではなかった。もしかしたらマネジメントやリーダーシップのイベントで話すのはなかなか難しいのかもしれない。それはいろんな業界・業種の人たちにとって参考になるリーダーシップのようなものはないのかもしれないなと感じた。ドメイン知識も含めてのリーダーシップの話しをしないと、宗教のような徳を積んで治めなさいといったありがたい話しの一般化になってしまう気がする。

人間力は定性的なもので言語化が難しい。それよりも実践知はもう少しスキル寄りなものだと私は考えていて、習慣だったり洞察だったりなら誰でも訓練すれば身につけられるのではないかと思う。少なくとも野村ノートからはそういった片鱗が私には読み取れた。

後世に残せるものを書く

0時に寝て4時に起きて6時半に起きた。今日は3つのイベントに参加して疲れた。そのうちの2つを紹介する。

データ指向アプリケーションデザインの紹介イベント

Data Engineering Study #18「データ指向アプリケーションデザイン」 に参加した。監訳者のさいとうさんのブログの 2022年を振り返って を読んだときにたまたまみつけて登録していた。

14:00 - 16:30 というちょっと変わった時間帯に設定されているのはさいとうさんが米国在住で時差によるものだと推測する。さいとうさんのいる場所では21時ぐらいと話されていたような気がする。2時間半分のお仕事を休んでもこのイベントは聞きたいなと思ったので取引先に連絡した上でその時間帯はイベントを聞いていた。

この本は人類の叡智といってよいと私は思う。 さいとうさんによると、2007-2017年の過去10年間の分散データシステムの教科書と紹介されていた。私はそれ以前の研究を知っているわけではないので、私のような初学者にとってはもっと長い期間のデータベース研究の歴史を学べるように感じた。 著者はこの本を書くのに4年を費やしたという。本を1冊書くのに4年とか、著者の偉大さが伺える年月でもある。

著者はデータベースの研究者であろうけれど、すべての研究を自分で行ったわけではないだろう。 他者の研究を調査した上でこういった書籍にまとめるというお仕事も非常に価値のあることだと本書を読んで実感した。私も課題管理の分野でそういうことができればいいなと思う。

さいとうさんの講演のタイトルは「30分でわかる〜」という接頭辞がついているものの、さいとうさんと同レベルの人にしかわかるわけはなくて、このイベントに参加しても本に書いてある全体像がわかるだけで、本の内容がわかることはほぼないと言える。私はこの本を精読したのでさいとうさんの話しを聞きながら、あの辺の書いてあった話しの紹介だなと記憶を辿りながら聞いていた。

コワーキングのオンラインイベント

月例のカフーツさんのオンラインイベントに参加した。先月の所感はここ 。今日の話題は 間借りコワーキング だった。実際にカフーツさんで間借りコワーキングを実践された方をゲストにお招きしてその体験談を話してもらってみんなで議論したりしていた。ここで言う間借りとは、コワーキングスペースの運営をメンバーにも体験してもらってそこから新たな価値を模索しようといったもの。インターンシップのようなものとも言えるし価値創造のための施策とも受け取れる。ただのアルバイトではないという意図で「間借り」という名前を付けている。最初に説明を聞いていて、あまり私にはピンと来なかった。それは it 業界は勉強会を個々に開くのが当たり前過ぎて、そんなのはわざわざコワーキングスペースの運営者にならなくてもすぐにできることのように思えたから。おそらくここは it 業界が先進的過ぎて、普通の組織や会社に勤めている人は、気軽に知人や不特定多数の人たちを呼んで勉強会 (イベント) をしたりしないのだと推測する。

それからコミュニティの話題で、強い紐帯と弱い紐帯の話しが出てきて、リンダ・グラットン 氏の著書に書いてあった言葉として「境界接続者」という用語を紹介されていた。私が軽くググってみてもその用語は出てこないのでおそらくは次の研究者の研究を紹介されている一節だったのではないかと推測する。

 アメリカの社会学者M・グラノヴェッターの「弱い紐帯の強さ」という有名な説をご存じの方は多いと思う。「紐帯(ちゅうたい)」とは文字どおり紐(ひも)や帯(おび)のことではあるが、転じて「二つのものをかたく結びつけるもの」また「 血縁・地縁・利害関係など、社会を形づくる結びつき」という意味がある。(「デジタル大辞泉」より)「弱い紐帯の強さ」とは『価値ある情報の伝達やイノベーションの伝播においては、家族や親友、同じ職場の仲間のような強いネットワーク(強い紐帯)よりも、「ちょっとした知り合い」や「知人の知人」のような弱いネットワーク(弱い紐帯)が重要である』という社会ネットワーク理論である。もう40年前に発表されたが、SNSが世の中を席巻するようになり再び注目をあびている。

会社内の「弱い紐帯(ちゅうたい)」

なにかの英語の言葉の訳語として「境界接続者」という用語をあてているのだと推測する。ここでいう境界とは、コミュニティとコミュニティをつなぐ役割をする人のことでそういった人がコミュニティにおいて大きな価値を提供しているというのが、弱い紐帯の強さで提案されている価値に相当するらしい。それを体験もしくは実践する機会として間借りコワーキングはうまく作用するのではないかという企画につながってくる。そこまで聞いて、単なるインターンシップではないことは理解できた。

私はどちらかと言うと弱い紐帯よりも強い紐帯のコミュニティの価値を認める方だと言える。その真逆の考え方は懸念もいくつかあるものの、普段は考えないことを考える機会としておもしろかったと言える。社会で生きていく上でどちらの要素もあることなので一方に固執しなくてもよいというのも正しいと思う。

windows の調査を開始

1時に寝て7時過ぎに起きた。やや飲み過ぎて、2日酔いではないけど起きたときは気分が悪かった。

go-winio を触ってみた

windows 向けのモジュールを作り直すにあたり、有識者のサポートをお願いしているものの、私も最低限の知識はないとあかんやろと調査を開始した。microsoft/go-winio というライブラリが ms 社のリポジトリで公開されている。公式ならよいのだろうと安易に考えて触ってみたものの、ドキュメントがほとんどなくて、まず使い方がわからん。いまのところ、windows に詳しい人向けのライブラリみたい。ひとまずリポジトリにある pipe_test.go のテストコードを読みながら名前付きパイプを介したプロセス間通信をやってみた。一応は動いたのでここから内部の windows api の仕様や設定などをみていく。その過程で go-winio のチュートリアルがないのであれば、私がテックブログを書いてもよいのかもしれない。

チュートリアル的に書いてみたコードは次の通り。

課題管理勉強会

出張のときに毎月の課題管理勉強会。とくにネタが思いつかなかったので エンジニアリング組織論への招待 を題材にしてみた。資料はすでに作ってあった 。私にとっては課題管理をやる意義や価値の大半がこの書籍の中で解説されている。用語や考え方のところでとても参考になるし、いまメンタリングの技術の章を読み直したりもしている。昔はマネージャーやってなかったからその章は読み飛ばしてた。開発組織向けの組織論を解説した書籍でこれ以上のものは、いまのところ、私が読んだ本の中では知らない。4年前に読んだ本を、今回の勉強会を開く機会でまた読み直すきっかけにもなってよかった。本はコンテキストがきれいに構成されているので他の人の所感や意見を聞いたり雑談したりする題材としてもよさそうに思える。

資料作りを丸半日

23時に寝て何度か起きて7時に起きた。起きたものの、なんかしんどくてお昼前まで寝てた。

課題管理勉強会の資料作り

出張前の定例作業になりつつある。本当は余裕をもって事前に資料作りしておけばよいのに、日々の余裕がないから出張直前の日曜日に資料作りしている。これはよくない兆し。次の課題管理勉強会は エンジニアリング組織論への招待 を取り上げる。Chapter 1 の思考のリファクタリングから、私が関心のあるところ、もしくは課題管理で解決できそうな話題などを重点的に取り上げる。たたき台はできた。構成や進行をさらに練りたいので少し寝かせてからもうちょっと考える。読み返していると忘れていたことを思い出したり、課題管理と密接な内容を再発見したり、本の内容をずっと覚えているとかないから自分の勉強にもなる。本当は参加者同士で内容の議論ができるといいんじゃないかと思うけど、少人数の勉強会ではないから発言しにくい空気がある。もしくは発言するのは一部のメンバーに限られてしまう。とくにリモート参加が多いと勉強会は盛り上がらない。それは オンライン飲み会が盛り上がらない理由 と同じ。

12時頃にオフィス来て、途中に休憩を取っているけど、ひと段落して気付いたら23時まわってた。明日は始発で新幹線に乗る。このまま起きたまま夜通し出張の準備をして新幹線で寝る作戦に移行する。

週末はドライブで気分転換

22時に寝て2時前に吐き気で起きて少しだらだらして寝て7時に起きた。

ストレッチ

今日の開脚幅は開始前154cmで、ストレッチ後158cmだった。あまり数値は振るわなかったものの、この1ヶ月ぐらいではもっとも復調しつつある。まだ腰の張りがやや残っていて全快とまではいかないものの先週よりはよくなりつつある気はする。先週から左右への開脚以外に前後の開脚のときの股関節のストレッチを重視するよう、トレーナーさんからも指示はあったものの、今週は全然そんな余裕がなくてあまり取り組めなかった。それを余暇でうまくできなかった分の、数値の悪化かなとも受け取れた。

2-2. 傾聴・可視化・リフレーミング

エンジニアリング組織論への招待 のメンタリングの技術の章を読み直し。前回 からだいぶ間があいた。

メンターはメンティに対して「問題を解決してあげよう」ではなく「モヤモヤしていない問題に変換してあげよう」と考えることが重要。問題を次のように考え、

  • 感情的に固執していて解けないので「傾聴」をする
  • 客観視できずに解けないので「可視化」をする
  • そもそも解けない問題なので前提を変える「リフレーミング」をする

というのが、メンタリングで意識すべき流れになる。

共感と同感の違い

  • 共感という言葉の意味は「相手がそのような気持ちになった理由を理解する」こと
  • 同感は「自分が相手と同じ気持ちになる」こと

傾聴において示すべきことは、「共感」であって、「同感」ではありません。

認知フレームとリフレーミング

  • 人はありのままに物事を見られない
    • 人は認知する枠組みの範囲でしか処理できない
    • この枠組みのことを「認知のフレーム」と呼ぶ
      • この外側にあることは「心理的な盲点」と呼ばれる
  • 対話によって認知フレームを変えることを「リフレーミング」と呼ぶ
    • 「解けない問題」を「解ける問題」へと変えていく

確認された前提を「一旦、この前提がなかったらどうなりますか?」というように外して考えるようにすることで、リフレーミングを促すことができます。 また、この中で「一番重要だと思うものは何ですか?」というように前提の優先順位を問うこともリフレーミングを促します。気になって仕方なかったことが、実はあまり重要ではないかもしれないと気がつく契機になります。

「情報の非対称性」を解消するには、

  • 自分の情報を相手に伝える
  • 相手の情報を自分が聞く

という行動をとればよいのですが、この当たり前のことができなくなってしまうケースがある

これは、メンター役になる人に対しても重要な警句です。メンターは、メンティの問題を「自分の課題」として捉えてはいけません。メンターにとっての課題は「メンティを自立的な問題解決」に導くことであって、「メンティの課題を解決すること」ではないのです。

この節を読み終えて、課題管理とは、メンターを必要とせず、自分で自分をメンタリングするツールとも言い換えられるかもしれないと思えた。課題管理を習熟すると自分で自分の間違いに気付けるというメリットを周りに伝えたりしていたことがメンタリングで大事なことのいくつかの共通することが書いてあった。

車を運転して実家へ

明日は父の35日なので夕方から購入した車で初めて実家に帰った。神戸の高速道路の路面が少し濡れていたり北淡で小雪が降ってきたりして、さっそくタイヤ周りを汚れてしまった。まぁ仕方ないか。door-to-door で1時間15分ぐらいで実家に帰れる。高速バスで帰るとこんな段取りになる。

  • マンションからバス停へ移動する (10分)
  • バス停でバスが到着するのを待つ (待ち時間10分)
  • 高速バスで移動する (1時間20分)
  • バス停まで親に車で迎えに来てもらって実家へ移動する (15分)

待ち時間の調整が入ると2時間ほどはかかっていた。これが自分の都合で移動できるので調整時間がない分のストレスが溜まらない。帰ろうと思って1時間強で移動できる気楽さがある。

半日ずっと書きものしてた

20時ぐらいからだらだらしていて寝たり起きたりしていた。9時に起きた。バテてたからちょうど休養になった。

散髪

年末に行こうと思っていたのが葬儀で予定が狂ってしまってその後も会社の事務手続きや社用車の購入にバタバタして出張があって今日行ってこれた。いつも散髪に行って思うことはもっと早く行けばよかったということ。散髪を終えた後の髪の鬱陶しさから解放されて楽に感じる。もう一定の髪量になったら私のカレンダーの空いている時間帯を見繕って自動的に散髪屋さんに予約をとってほしいとすら思える。カメラとカレンダーを組み合わせてそういったワークフローを作ること自体はできるかもしれない。

日記

出張していたときの日記をまとめて推敲してアップロードした。なんか出張すると、夜はお出かけして遊んでたり、ホテルに戻ってからもだらだらして日記を書かないことが多い。原因の1つにホテルの部屋の椅子がオフィスにあるものと比べてよくない。疲れて帰ってきて、オフィスよりも椅子の悪いところで日記を書く気になれないというのがある。アーロンチェアに慣れてしまってこの椅子で書きものをするのが快適過ぎて、他の環境で書くのをためらってしまう自分がいる。アーロンチェアは半日以上書きものしていても全然疲れない。

フリーランス、40歳の壁

早いうちの方が覚えているからよいだろうとエイヤで書いてみた。読み終えた後にあまり思い入れもなかったので書評も簡潔なものとなった。まぁまぁの手応え。

貸し会議室でもくもく会

7時に寝て9時半に起きた。昨日は遅くまで起きてたのでこのまま寝たら寝坊する懸念が高かったからそのまま起きてて6時55分の新幹線に乗って移動中寝てた。祝日だったせいか、新幹線は空いてて快適だった。

もくもく会

出張もくもく会 を開催した。品川駅から飯田橋駅へのアクセスが予想外に悪くて30分ほどかかって10分ほど遅刻した。5人ほど部屋の前で待っていて悪いことした。午前中は8人参加していて、みんなそれぞれの課題をもってきて取り組んでいた。午後から1人来られた。参加者は全部で9名だった。参加者の属性も時代の変化を表していてデザイナーやプログラマーにジョブチェンジして勉強していますという参加者が数名おられた。私は svelte のチュートリアルをいくつかやっていた。あまり寝てなかったので15時頃は眠くてほとんど作業にならなかった。16時頃から眠気も覚めて本を読んでいた。17時30分まで借りていたが、17時過ぎには撤収して軽く飲みに行った。9名中7名が参加してくれていろんなお話が聞けて楽しかった。コロナ禍前の勉強会の雰囲気に戻ってきた。

会場は スペースアイエレガンス飯田橋 という貸し会議室を借りた。10時00分から17時30分まで7.5時間借りて税込7,425円。他の貸し会議室に比べると安い方に分類される。ワンルームのマンションの一室を貸し会議室にアレンジしたような部屋で築年数は感覚的に15年以上は経っているのではないか。古い。机に向かって座れる定員が10人。パイプ椅子が4つ置いてあって座れる定員は14名。部屋はやや窮屈で机に10人が向かって座るといっぱいいっぱい。3人掛けの机は間を空けて2人で座るのがよさそうにみえた。快適にもくもく会をするなら8人の定員が望ましい。トイレは普通。wifi の速度は200Mbps程度で十分に速かったし、8人接続していても安定していた。エアコンも普通かな。部屋が狭さに対してエアコンは有効で寒いということはなかった。

フリーランス、40歳の壁

フリーランス、40歳の壁 の後半を読んだ。

  • 「第8章 都築響一 還暦を迎えても奔放なフリー人生。」
  • 「第9章 フリーランスの上がりとしての創業社長。」

都築氏は1956年生まれて私よりも2周り近く上なのでさらに昔に活躍された方のようだ。 現場主義な方で実際に起こっている事実を観察して自分なりの解釈や判断でフリーランスとして活躍された方のようにみえる。本書に出てくるフリーランスの方々は私からみてあまりピンと来なかったのだけど、この方の生き方や考え方がもっとも私に近くて参考になった。

編集者と作家を兼ねるこういう仕事スタイルをとる人を、私は「編集家」と呼んでおり、自分自身の肩書きにも使っています。都築響一さんは、私の定義を完全に満たした「編集家」です。

やりたいことがあれば自分で試してみて試行錯誤しながらやっていく雰囲気を感じる。都築氏は仕事で大変なことはあったが、壁には当たったことはないという。ある歳を境に仕事が減ることもあったそうだけど、ネットが年齢差や対面でのお仕事を不要にしたという。

僕は、過去に仕事が途絶えることもありましたが、壁だとは思いませんでした。仕事がない時期にこそ、はじめて自分にとって大切なもの、必要でないものが見極められるんです。そのときは大変でも、後になってみたら、立ち止まって考える時期を持つことは大切かもしれません。

こういう考え方も私の好み。ピンチはチャンス。

「違いますね。(大手は)給料が良すぎるっていう、それだけが問題なんですよ。その若い社員編集者も、会社に不満があるのなら、辞めて自分の会社を作れば良いんです。でも、高い給料を捨ててまで自分の道を貫こうという気迫がない。僕もいまの出版界に不満はありますよ。だからこそいまの僕は、自分で直販の道を探して、メディアを作っているわけです。」

若い編集者が上司の愚痴を昔とは時代が違うとこぼしているのに対する答え。もともと会社に頼っていない人間だからこそこういう考え方ができる。私も不満があれば区切りのよいところで会社を辞めてきた人間なのでこういう姿勢も似ている。ググるとインタビュー記事をみかけたのでまた後で読んでみようと思う。

最後の章は著者が会社を作ったときの話し。最初の起業は大失敗したものの、なんやらかんやらでなんとかなってますといった雰囲気。著者は会社員はできなくても社長ならできるという。創業社長には発達障害だと思われる人がたくさんいるとも書いている。これは流石にバイアスが強過ぎると思う。会社を作ることは誰でもできるが、ある程度長く会社を存続できる人は少ないし、その続けられている人の割合に発達障害と思われる人はずっと少ないと思う。たまたまそういう属性の人が活躍すると有名になるだけで多くの創業社長は普通の人だと思う。一方で橘玲氏の本にもよく出てくる話しだが、日本は解雇規制がために中途採用の敷居がとても高いため、経歴がよくない人は年齢とともに転職がとても難しい。そんな経歴のよくない人でも会社は作れて、取引は法人を介して行われるので個人の経歴を隠蔽もしくはリセットできるという側面をもっている。だからフリーランスの上がりが創業社長なのではなく、経歴の悪い人が最後に働く手段が創業社長なのだと私は認識している。

期待した内容ではなかったものの、賛否も含めて示唆に富む本だったと思う。また余裕があれば書評をブログの記事として書こうと思う。

出張前日の準備

1時に寝て8時に起きた。午前中は洗濯して普通にだらだらしてた。

課題管理勉強会の資料作り

12月から読み始めた Gergely Orosz 氏の記事 をベースに来週の勉強会の資料を作った。もう少し推敲はするが、スライドで全32枚になった。ブログ記事の内容を解説するスライドなので文字が多い。1時間の枠には十分に耐えそう。この資料と前回の勉強会の資料の2つを知人とオンライン飲み会するときの話しのつまみに使う。毎月、課題管理の文脈で勉強会を行う労力はそこそこあるけれど、コンテンツが溜まっていくのは未来への投資になるので困ることは何もない。課題管理の勉強会があるという機会そのものに感謝する。

フリーランス、40歳の壁

フリーランス、40歳の壁 の中盤を読んだ。

  • 「第5章 田中圭一 サラリーマンとマンガ家を両立させる男。」
  • 「第6章 『電脳マヴォ』と私の未来。」
  • 「第7章 FROGMAN アニメ界の革命児が直面した「30歳の壁」。」

平日はサラリーマンで営業として働き、休日を利用してマンガを描くという働き方を30年以上している田中圭一さんのインタビューがある。30年以上と聞くとすごいことでその実績は否定しようがないと素直に思う。一方でうちは兼業農家だったので平日はサラリーマン、休日に農業をするのは普通だった。父はその生活を42年間していた。またうつ病になった経緯のエピソードがある。ある会社に転職して最初のうちはうまくいったが、5年目ぐらいで行き詰まってしまった。技術系の会社でプログラミングを学ばないといけないという空気があったらしい。会社の仕事があわないと田中氏は思いつつも転職する自信をもてず、そのまま10年いてうつ病になってしまったとのこと。これが3ヶ月だったら大変だったんだなと思う。しかし、厳しい言い方だけど、行き詰まりは仕方ないとしても5年もなにも対策しなかったの?と私なら思ってしまう。ここだけ読むと未知のことやスキル不足を勉強しない人の典型例だと思えてしまった。本業で成果を出せていないのに転職できないから会社に残り続ける人たちを私も少なからずみてきた。助言や提案をしても、例外なく、そういう人たちはできない理由を熱心に説明し、自ら努力してスキルを習得しようとはしなかった。できる・できない以前にやろうともしなかったのをみてきた。

著者が運営している 電脳マヴォ という web マンガのサイトがある。たまたまリンクをみつけた 良い祖母と孫の話 を読んでみたら衝撃をうけた。こういう才能がたくさん埋もれているというのは理解できる。一方で漫画を描くことが以前よりも一般化したのだとも私は思う。どんな業界も人気が出たり市場規模が大きくなるにつれその創作者人口は増える。電脳マヴォを創刊したのが2012年だったらしく、奇しくもその頃が「ネットマンガ元年」と呼べるらしい。となりのヤングジャンプマンガボックス など、私が知っている web マンガのサービスも出てくる。

フリーランスの最大の営業は、仕事そのものです。 版元編集者は、そのフリーが実際に行った仕事を見て、次の仕事を発注するのです。向こうから来る仕事であれば、意に沿わない仕事は、断ることもできます。持ち込みだと、まさかこちらから断るわけにはいきません。

この考え方は私も同意する。取り引きをしている会社とのお仕事を高い品質で行うことがもっとも重要だと私も考えている。

FROGMAN さんという方を私はまったく知らなかったけれど、インターネットの黎明期 (2000年頃) に動画配信サービスをやろうとして FLASH アニメで一山当てた実業家らしい。その経歴も破天荒にみえる。もともと映画業界で働いていて、映画業界の没落とともに半ば強制的にフリーランス (リストラ) となり、業界としての先行きは不透明だった。島根の山奥に移住し、インターネットに動画を配信する仕事なら島根でもできるだろうと考えたとのこと。これを2000年頃に実施しているのだから素晴らしい先見性と言える。その延長でアニメ制作をするにいたったのも、奥さんが妊娠して出産費用が必要となり、1人で仕事を完遂できればコスト削減できるというアイディアでアニメ制作を始めたとのこと。実写は最低でも数人のスタッフを必要とするが、アニメなら1人でできるのではないか。実際に初期のインターネットの FLASH アニメを1人で作って人気を博して事業が軌道になったらしい。スポンサーを募らず、徹底したコスト意識から権利をスポンサーに渡さないことを意識していた。2006年頃に youtube が台頭したときも、他のアニメ会社が映像を勝手にあげられるのを嫌ったのに対して、FROGMAN さんの会社は自分たちが権利をもっているので自分たちの作品を率先して配信し、時流にも乗ったようにみえる。FROGMAN さんは絵もろくに描いたことがなく、アニメマニアでもないにも関わらず、まさにビジネスモデルの勝利と言える。また実写業界での経験があったから普通のアニメ会社が作るようなアニメとは異なる作品を作り、アニメ落語・アニメ漫才というジャンルそのものを作ってしまったという。きっかけは家賃を半年間滞納して出産費用を捻出するためという、ピンチをチャンスに変えた事例の1つとして、また製作委員会方式というアニメ業界のモデルとは異なるビジネスモデルを考案して実現してしまったところもサクセスストーリーとして痛快に読めた。

フリーランスの壁は普通の人にとってはあまり高くない

1時に寝て7時に起きた。夜遅くに晩ご飯を食べて気付いたら寝てた。

ストレッチ

今日の開脚幅は開始前154cmで、ストレッチ後160cmだった。年末の葬儀で不摂生、且つ身体に負担のかかる状態で3日間を過ごし、その影響で腰や右足周りに負荷がかかっていた。それは正月明けからもあまり予後がよくないなと思いながら過ごしていた。年末はストレッチを1回休みで2週間ぶりに行った。懸念しているところはトレーナーさんからみてもあまりよくないということでいつも通りストレッチで伸ばしてもらって少し楽になった。一方で正月明けはあちこちお出かけして平時よりも歩く機会が多かったので運動量は多く健康的な生活を送っていた側面もある。悪いことばかりでもない。来週は東京出張が控えていて体調がよくなるか悪くなるか、まだなんとも言えない見通しではある。

フリーランス、40歳の壁

フリーランス、40歳の壁 の前半を読んだ。

  • 「第1章 自由業者フリーランス・40歳の壁。」
  • 「第2章 とみさわ昭仁 「好き」を貫く代償。」
  • 「第3章 杉森昌武 フリーランスとは自分で選択する生き方のこと。」
  • 「第4章 50歳の壁はさらに高い。」

1980年代からのそれぞれのフリーランスの半生を紹介している。いまとは時代の違いがあるため、理解が難しい状況や雰囲気などもある。大雑把に言えば、人生の落伍者の半生、そういった人たちがやってくれたのは時代背景とフリーランスという生き方だったからだといった切り口で展開される。普通のサラリーマンとして働きつつ組織に馴染めずに辞めてきた私とはまったく相容れない生き様や考え方があって素直に受け入れ難い内容ではある。まったく生き様が異なるのに、読んでいていくつか共通項を見いだせるのは、ひとえに組織や集団に馴染まないという性格や特性によるものだと思える。彼らも私も、自分自身が納得いかない論理や仕事をずっと続けられないという点で合致している。それが生活の先行きを不透明にしていても。

ここまで読み進めて40歳の壁も50歳の壁も、一般人の感覚からしたら壁でもなんでもない。著者は恵まれた環境が与えられているにも関わらず、自らがその環境を投げ出し辞めていて、それを壁があるからと表現しているに過ぎない。身勝手で努力不足にもみえるが、全力で擁護するとしたら、組織に馴染まない人間はそうせざるを得なくて他の選択肢などない。だから壁に突き当たってしまうという主旨に読める。

参考になる内容や共通項はあるのでいくつか引用してみる。

そこで浦沢さんはまず「戦略的に」受けを狙って『YAWARA!』をヒットさせ、圧倒的な実績を築き上げることで、「描きたい作品が描ける」作家に自分を鍛え上げたと言えます。これは誰もが考えますが、実現は至難の技です。私はあそこまで商業作家としての戦略を立て、実行し、成功した作家を見たことがありません。作家はつい「自分の描きたいものを描くんだ!」と思いがちですが、 プロ作家として成功するためには、自分の苦手なものでも描かなければならないことがあるのです。芸術家肌の作家と、プロ作家は違います。浦沢さんは、ほんもののプロ作家だと私は思います。

浦沢直樹 さんの凄さを説明している。浦沢さんはもともとデビューして「MONSTAR」のような作品を描きたかったが、新人が描くには編集者の反応は芳しくなかったという。そこで苦手だったが、当時流行りの美少女ものを選び、「YAWARA!」「HAPPY!」とヒットさせることで人気を盤石にした上で本当に描きたかった「MONSTAR」に取り組めたという。it 業界で例えたら、受託開発でお金を稼いでいつか自社プロダクトまたは自社サービスを提供したいと考える会社はたくさんあれど、それで成功している会社は本当に少ない。まさに誰でも考えるが実現は至難と言える。

フリーにとっての40代は、自分の「マンネリズム」との戦いだと言えるかもしれません。 作家を含めたフリーランスは、ふたつのタイプに分けられると思います。 ひとつのパターンの仕事をえんえんと続けることができる「職人タイプ」と、つねに新しいテーマや手法を開拓しようとする「芸術家タイプ」です。 もちろんどちらのタイプにも勉強・研鑽が必要になります。

フリーランスに限らずサラリーマンも同じだと思う。40代は出世競争の結果が出てから敗れた人たちがどう生きていくのかに近いものがある。私はわりと両方の特性がある方な気がするけど、どちらかを選べば「芸術家タイプ」なんだろうと思う。

少なくとも 私は、ブログを書き続けたことで、40歳以降におちいっていたスランプから脱出することができました。

この一文に関心を示す人とそうではない人に分かれると思う。まだ論理的に説明できないが、私は書くことをずっと続けることに大きな意義と実利があると考えている。書くことをやめた人たちが悲惨な状況に陥っているのをみかけることもたまにある。私も日記を書き続けて人生が安定したように考えている。日記を書くことに時間を取られる分、個々の業務のパフォーマンスは下がっているけれど、人間としてのパフォーマンスが安定するようになった。まだ感覚的にしか表現できない。

私にとっては、お金より、やりたいことがやりたいようにできるかが大事で、それができなかったら、仕事をなげうってしまうのです。その後、どうなるかなんておかまいなし。後悔もしません。

この一文も共感できる人とそうではない人に分かれると思う。私はまったく共感できる。