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経営の価値観にもの思い

2時に寝て途中起きて7時半に起きた。久しぶりによく眠れた。

今日の筋トレは腹筋:10x2,腕立て:10x1,スクワット15x1をした。

経営の価値観と財務

年末から読み進めて 昨日読み終えた本 の書評を書いた。こういったアウトプットをすることで学びを強化できるし、忘れてしまったときにまた自分の記事を読み返すこともできる。南原さんの経営の価値観に共感するところも多かった。

以前読んだ 貧乏はお金持ち にも書いてあったことだけれども、会社の資金繰りが厳しくなって、いざお金を借りようと思ったときに返済実績がないと借りられないことがあると書いてあった。余裕のあるときに借りて返済したという融資実績を作ることは会社の信用において意味があることだという。南原さんも同じことを指摘していて、その融資を受ける上で事業計画書が大事だという。これまで事業計画書を作るという考えが私にはなかったが、融資を受けるタイミングで試しに作ってみて外部の人たちが私の作った事業計画に対してどういった評価をするかで、やりたい事業の客観的な評価をするのもよさそうだと思い始めた。

2024年度中には投資フェーズに入り、その時点がもっともうちの会社の財務諸表の見栄えがよいと想定される。そのタイミングで事業計画書を作り、この先の5年程度の財務の安定化を図るというのも戦略の1つとして構想を進めていこうと思う。

年末の読書

1時には寝ようとしていたが、飲み過ぎで気分が悪くてあまり眠れなかった。気付いたら7時ぐらいになっていて、今日はもうしんどいと思ってそのまま寝ていたら9時45分にストレッチに出掛けるアラームで起きた。アラーム設定していなかったらドタキャンしていた。危ない。

ストレッチ

急いで準備して行ったわりにはなんとか間に合って普通にストレッチを受けてきた。今週はほぼ休みに入っていてあまりお仕事していないこともあってとくに負荷がかかっているわけでもないように考えていたが、座って作業していることに変わりはないことから太ももの後ろの筋だけはいつも通りに張りがあった。今日の開脚幅は開始前152cmで、ストレッチ後156cmだった。

トレーナーさんが年明けに全社集会のようなイベントがあって、全国からそれぞれの店舗の社員さんが東京に集まるという。そこまでは普通だとして、そのときに社員同士の懇親のための催しでけん玉とルービックキューブとクイズ大会をやるという。それを聞いて「私だったら会社辞めるわ」とか冗談を言いながら、やるとしてもいまどきのゲームとか、フットサルとか、もっと若い人が身近に楽しめるものにしたらいいのにと返した。トレーナーさんも誰がどういう背景でこんな企画をしているのか、まったく分からないと言う。過去に働いていた会社でも似たようなことがあったなと私も過去を思い出しながら聞いていた。

「絶対無理」なんて「絶対」ない!

たまたま知った 南原竜樹さん のその後に影響を受けて著書を買っていた。最近の amazon の配送日時はまったく当てにならず、年明けに届く予定が2日後に郵便ポストに入っていたりする。受け取りが必要ないものは早い分には困らない。たまたま手に取ったので読み始めた。本書は2012年2月に出版されている。すでに10年以上が経過している。そんな本を買って役に立つのかと訝しむ人も多いと思う。

私自身、自分で経営をやってきて、これまで身近に聞いてきた経営者の言葉でよくわかるようになったことがある。経営とは基本的な作法や論理を整えたらあとはその経営者の価値観でしかないのだ。その価値観が時代にあう・あわない、ビジネスモデルとして表現できるかどうか、世の中の役に立つかどうかは多くのケースでやってみないとわからない。他者の経営を学ぶことは、自身の価値観に近いものがあれば参考にしたり取り入れたりすればよいし、そうじゃなければ、自分の価値観とは違うがそういう考え方もあるのかと見識を広めるために使えばよいのだと思う。経営者がどういう価値観をもって経営するかがその会社の独自性や差別化につながる。したがって南原さんの価値観を学ぶには古い本でもよいだろうと考えた。

その冒頭で出版業界が斜陽なのであえて出版社を作るということに挑戦している。ATパブリケーション という会社になる。本書もこの会社から出版されている。ググると当時の記事もみつかる。

どうやら企業サイトがリンク切れしているのでもう存在していないのかもしれない。PR TIMES も2015年を最後にプレスリリースが途絶えている。

この会社のビジネスはうまくいかなかったのかもしれない。しかし、それは結果であって、経営の価値観とはあまり関係がない。年末に読み進めてみようと思う。

エッセイと世界観

0時に寝て2時半に起きて4時に起きて7時に起きた。昨日は本を読みながらいろいろ考えていた。

頁をめくる音で息をする

先日の オンラインイベント でいとうさんに教えてもらった 頁をめくる音で息をする を読んでいる。ジャンルで言えばエッセイになる。著者の日常や日々の所感などを綴っている。Paul Graham 以外であまり読んだ記憶がないぐらい、私にとってエッセイという読みものは珍しい組み合わせになる。私がいま日々書いている日記も、ちょっと技巧を凝らしたり、お洒落な文章に変えてみたらエッセイにならないだろうか?と考えてみる。

この日記は「書くこと」を目的としているものの、ここで書き溜めたものは将来の自分を助けるコンテンツになることを確信している。それは過去の私が書いたコンテンツがいまの私を助けているし、書き溜めたコンテンツを評価してくれるサイト、例えば LAPRAS スコア をみると、高い評価値になっていたりする。いまのところ、このスコアを何かに使っているわけではないが、15年以上も書いてきたコンテンツはそう簡単に真似できるものではないし、一朝一夕で身につくスキルでもない。

過去にある会社のトライアルを受けたとき、ある技術の調査結果を wiki にまとめたところ「長文がちゃんと書ける」という評価をその会社の CTO から受けたことがあった。私はきょとんとして「そんなの開発者なら誰でも書けるでしょ?」と感想を述べたところ「いや、そうでもない。」と返ってきて、それから私もちゃんと考えてみたところ、言語能力を高めやすいプログラマーであってもちゃんとした文章を書けるのは全体の半分ぐらいしかいないことに気付いた。文章を書く練習をしない生活を何年も続けていると、驚くほど文章を書くスキルを退化させてしまうことに意識的に気付いていない人も多い。「本気出せば書ける」と思っている人ほど、その自信以上に文章を書けないことに気付いていない。

閑話休題。本書を読んでいると、日々のたわいもないエッセイがまったく無駄ではないことを伺える。それは本書そのものが売りもののコンテンツとして値段がついていて、私がそれを買っていて、ふわっと読み進めながら自分なりに消化して思うことがいくつかあるからだ。いくつか思いついたことをアイディアそのままに書く。

中原中也がいい

いま 山羊の歌 をぱっと眺めるだけでもその天性を伺える。詩の冒頭を読むだけでもなにか違うと思わせる。著者は学生時代に中原中也を研究していたらしく、中也の作品には死を歌ったものが多くあるという。本書でもいくつか詩の引用がある。中也は ダダイズム と呼ばれる思想に影響を受けているらしい。

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました
丘々は、胸に手を当て
退けり。
私の聖母 (サンタ・マリヤ)!
  とにかく私は血を吐いた! ……
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる

よく技術書などで章節の初めに著名人の言葉を引用していたりする。日本人なら過去の文学者の詩を引用するというのもよさそうな気がした。

エッセイを配布する

一昔前は本という成果物をつくるのが大変な労力を伴うものだった。しかし、現代は文章は電子データでインターネット経由でダウンロードできる。日記を書き溜め、お気に入りの内容を脚色して、メッセージや想いをのせたものをエッセイ本としてつくってみるのもおもしろいかもしれないと、本書を読んで思うようになった。それはエッセイの中で著者の人となりや考えを知るきっかけになる。それを誰かに読んでもらうためというよりは、自分がどういった考えで日々の創作をしているかというのを歴史のように残すという意味合いが強い。例えば、年単位で整理して残しておく。おそらくはそれがまた将来の自分を助ける日がくるような気がする。もしうちの会社に関心をもつ人が出てくれば、電子データは自由にダウンロードして読めばいいし、何冊か紙の本に装丁してノベリティにしてもよい。

エッセイがその人の世界観を表す

本書を読んでいて著者の世界観が本書から伝わってくる。いや、ちょっとそれは言い過ぎでそんな大層なものでもない。著者は仕入元やお客さんとやり取りしながら本を扱うというスタイルを好んでいるようにみえる。ただ本を売り買いしてお金を稼ぐことをよしとしていない。もちろん生活費は必要だから売れてもらわないと困るという文章もちらほらあるが、それ以上に本に関わる人たちとのエピソードを紹介してこんなやり取りがあって嬉しかったということが綴られている。なんとなく私も共感することだが、大きいプロダクトの、大多数の利用者がいるプロジェクトほど、個々の利用者と接する機会や意見をやり取りする機会は少ない。多くの人に影響を与えているはずなのにその実感の乏しい労働体験になる。ただの数字でしかない。少ない関係者が関わるお仕事の方が世の中の役に立っている実感は大きい。

イスラエルとハマスの戦争 以来、ずっと考えていた (というほどでもないが) ことの1つに世界観を共有することの難しさがある。おそらく人類のうち戦争を望む人はほとんどいないはずだが、自分たちと住んでいる世界とは異なる世界の思想、価値観、秩序、経済、宗教といった世界観を共有できないばかりに争うことが絶えない。こんな大きな話しをしなくても、身近な周りの人たちとでも自分とは違う価値観をどうやって知り、どのような理解を示すことができるだろうか。エッセイは他者の世界観を表す1つの手段になりそうに思えた。

読んだり書いたり

0時に寝て何度か起きて8時半に起きた。もう熱もおさまって平時に戻った感じ。今月の請求書を作ったり、ネットの記事を読んだり、のんびりしていた。

頁をめくる音で息をする

いとうさんに教えてもらった本 を読み始めた。「見えない手」というタイトルのエッセイで、妙見幸子さんという、生まれながら脳性マヒの障害をもっていて、四肢が不自由な方が書いた詩集にまつわるエピソードが書いてあった。

いい詩とは何かという話をお客さんと時々する。そのたびに僕は悩みながらこう答える。それは「切実さと誠実さ」なのではないかと。それを語らざるを得なかった詩人の切実さと、言葉に対する、あるいはその詩を手にする人びとへの誠実さ。

見えない手

詩集に限らず、どんな商品でも事業でも「切実さと誠実さ」を併せ持つようなモノに出会うことは滅多にない。読んでいて、そういうモノに出会えることそのものが幸せに思えた。こういう文章をさらっと書ける人の頭のよさとか、語彙の豊富さとかがうらやましい。

はてな匿名ダイアリーの書き方

はてな匿名ダイアリーの書き方 がいくつも投稿されるぐらい、ui がわかりにくい。匿名なのにログインしないといけないというアクションがそもそも相反する概念でわかりにくい。ログインすると、自分のアカウントの日記のように管理される。この時点で本当に匿名なんやろか?と不安にもなる。どうやらログインしたら自分の書いた匿名ダイアリーを管理できるようになっている。

はてな匿名ダイアリー > xxx の日記

はてな匿名ダイアリーのヘルプ もこれだけ。おそらく古いダイアリーのプロダクトだから記法に markdown も使えない。匿名ダイアリーがはてな社にとってどういったプロダクトかは知らないけど、明らかに保守されていないようなことがわかってしまうのは印象が悪いなと思えた。別に匿名ダイアリーを書く気はなかったんだけど、よい機会なので既存の記事に言及したり、自分で新規の記事を書いたりしてみた。記事を書く ui 体験はよくない。

非日常を提供するという価値

1時半に寝て3時に起きてもう1回起きて6時半に起きた。

interface はデシリアライズできない

昨日の続き 。rbac なライブラリを使ってアプリケーションを実装していく。ログイン時にユーザーにロールを割り当ててセッションにロールを保持するのが都合よさそうに思えた。ロールの実装で一部の型は interface にして後から拡張できるような設計にしていた。例えば encoding/json ライブラリだと、Marshaler/Unmarshaler の interface を満たすことで任意の json のシリアライズ/デシリアライズをフックできる。調べたり、実際に動かしていていて気付いたのだけど、interface の場合はシリアライズは任意にできるけど、デシリアライズはできない。当たり前と言えば当たり前だが、interface を満たす複数の型がある中で json ライブラリがどの型でデシリアライズしていいか判別できないからだ。当初の interface を用いた設計が誤りだったことに気付いて、一部の型を汎用の構造体で設計し直すようなことをしていた。

またデシリアライズするときに一部の値を初期化したいといった要件がある。例えば mutex を初期化したい。このときに処理の内部で派生型を宣言して、それにキャストした上でデシリアライズの処理を実行した上で差分の処理を実装するというテクニックを学んだ。スコープが限定されて、コードがシンプルになって保守性も高い、久しぶりに頭のよいスマートなコードをみた。

func (r *Role) UnmarshalJSON(b []byte) error {
	type Alias Role
	if err := json.Unmarshal(b, (*Alias)(r)); err != nil {
		return err
	}
	r.mu = &sync.Mutex{}
	return nil
}

コワーキングのオンラインイベント

月例のカフーツさんのオンラインイベントに参加した。前回の所感はここ 。今日は参加者が2人だけだった。コワーキングスペースを運営するコワーキングスペースマネージャーの連携を強化することで、コワーキングスペースの付加価値が上がったりしないか?といった内容を話したりしていた。コワーキングスペースマネージャーは、普通はお仕事で自分のコワーキングスペースにいないといけないから、なかなか他所のコワーキングスペースへ訪問すること自体が難しい。コワーキングスペース同士の連携により、お仕事でコワーキングスペースマネージャーが自分ところのコワーキングスペースの利用者を連れて、他所のコワーキングスペースへ訪問して、そこでイベントをしたりすればいいんじゃないかという案が出た。

いとうさんがよく コワーキングツアー と称して、全国各地のコワーキングスペースへ訪問して、そこでイベント開催をしたり、その地域の取り組みなどを紹介したりしている。それと全く同じことを、コワーキングスペースの利用者に対してもその付加価値というのはあるかもしれないと私もよいアイディアだと思った。例えば、大阪のコワーキングスペースの利用者を広島へ連れていって、そこでイベントやって交流する。その逆も然り。通常のコワーキングスペースの利用者は自ら広島のコワーキングスペースへ行ってコラボレーションを行ったりしない。いや、いとうさんみたいに自らやる人もいるんだけど、そんな人は対象の利用者ではない。自分からは行かないが、誘われたら行ってもいいかなと考える人 (私もそんな1人だ) を移動させることで、新しい価値やアイディアが生まれるかもしれないと思える。私もいまはフルタイムのお仕事があるから自由に移動はできないが、いずれ会社の投資期間に入って、自分でスケジュールを決められる状況になれば、コワーキングツアーにも出掛けてみようと思う。

あと勉強会やイベント以外でコワーキングスペースで出来ることはないか?という話題でも盛り上がった。私は主催者の準備が大変だと出来ないから、主催者のコストが低いものという視点から考えて猫コワーキングがいいんじゃないかと提案してみた。ある週だけコワーキングスペースに猫が10匹ぐらいいますといった取り組み。課題は猫をどこから連れてくるかだけだが、そういう機会があれば確かに私も行ってみたい。そのアイディアの発散で非日常の体験ができるような取り組みがよいんじゃないかとまとめられていた。

  • 猫コワーキング (猫がたくさんいる)
  • 深夜コワーキング (深夜に開いている)

深夜コワーキングスペースのモデルとなる 弐拾dB さんというコワーキングスペースが広島の尾道にあるらしい。23-翌5時という営業時間だという。いとうさんが絶賛していたのでおもしろいオーナーが運営されているのだと思う。そのオーナーが執筆したエッセイの 頁をめくる音で息をする を購入してみた。

qa と最初のキャリア

0時に寝て何度か起きて6時に起きた。1-2週間前に2年ほどやっていたドラクエタクトをやめた。飽きたのか自然ともういいかって感じでやめられた。それ以来、家に帰ってからゆっくり休む時間が増えた気がする。

qa という業務の懐の広さ

先週の水曜日から qa テストに移行している。スケジュールとしてはこのために1ヶ月を確保している。おそらくもう少し早く終えられるんじゃないかという気はしている。早く終われば次の開発の計画づくりを前倒しにすればよいのでそれは構わない。私は先週から残タスクのリファクタリングが終わりきらなかったのでややバタバタしていたが、メンバーはテストに専念してテスト環境で動かして意図しない振る舞いを issue 登録したり、直感とは反する振る舞いを issue 登録したりしている。

新人さんや、未経験だけと開発者になりたいとジョブチェンジする人たち向けに、最初のキャリアとしてテスターや qa をするのがよいのではないかと私は考えている。きっかけは More Joel on Software に、テクニカルサポートは開発者を配置する必要があると書いてあった。しかし、テクニカルサポートだとスキルを身につけると持て余してしまうため、その業務ためのキャリアパスを考えないといけないと書いてあった。まったく同感だ。私がお手伝いしたある会社でもテクニカルサポートは1-2年で辞めているのを見聞きした。みんな開発したいからね。

(おまけ) カスタマーサービスの人たちのためのキャリアパスを用意する

  • テクニカルサポートにはデバッグ能力を要求するため、資質の高い人を配置する必要がある

More Joel on Software

新卒以外の採用ルートで未経験から開発者になるのは、いまは相当に難しいと思う。そんな人たちがキャリアアップするための試金石としてテスターがよいと思う。重要なお仕事だし、テストツールをプログラミングすることで開発者になるための準備期間 (学習) にもあてられる。システムの振る舞いや知識もテストを通して身につけられる。このお仕事を2-3年務められて、プログラミングも少し理解できるようになって、それでも開発者になりたいという意志があるなら開発者にステップアップすればよい。適正があるかどうかわからない状態で開発者を始めるよりも、ゆっくり学んでいけるのでうまくいくのではないか?と思ったりする。うちの会社はまだ社員を雇う余裕がないので私の持論の検証はできないが、どこかの会社でやってみてほしい。

久しぶりの書評

1時に寝て夜に起きて吐いてあまりうまく眠れなかった。たまにそういうことある。今日はコードレビュー対応とコードレビューと会議の進め方のルールを作ったりしていた。

能―650年続いた仕掛けとは―

日曜日の夜から書き始め、月曜日はレイオフのニュースを読んでだらだらして、ようやく 能―650年続いた仕掛けとは― の書評を書き終えた。ほとんど本からの引用なのに時間がかかったのは私が内容を深く理解できていないのでなんども本を読み返しながら間違いのないように注意して書いていたから。前に書いてから約5ヶ月経っていた。

能と妄想力

22時に寝て何度か起きて7時に起きた。朝から雨降りで、お昼頃に緊急警報で高齢者は避難しろとか防災通知がたくさん来ていた。お昼は雨が強かったのでお昼ご飯を食べずにお仕事していた。前日の続きで go-ldap の調査とコードレビュー対応とコードレビューをして勉強会に参加したらいい時間帯になって業務を終了した。

能―650年続いた仕掛けとは―

能―650年続いた仕掛けとは― を読んでいる続き。一通り読み終えた。著者の見解に100%同意できるわけではないが、能を知るための入門本として読みやすく、歴史の流れも学べておもしろい構成になっていると思う。後日、総括する。

第六章 能は漱石と芭蕉をこんなに変えた

松尾芭蕉が能の謡から大きな影響を受けていることは 別の本 も購入しているのでそちらで触れる。著者は芭蕉が旅に出た目的の1つとして鎮魂をあげている。能が江戸幕府を始め、それまでの室町幕府や戦国武将にも庇護をうけた背景として死者の、とくに敗者の鎮魂をあげている。というのは、当時の権力者は死者の怨霊が祟るということを怖れていたと考えられる。

夏目漱石やその周辺の交友関係において能に造詣が深かったという。漱石自身も能の稽古を積んでいたという。著者によると、草枕 の冒頭に出てくるこの文章には能の影響がみられ、草枕全体が夢幻能の構造になっており、ワキがみる夢の世界さながらだという。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

草枕

著者は草枕が、晩年に漱石が残した則天去私という言葉の原型ではないかと考察している。

第七章 能は妄想力をつくってきた

能はそのシンプルさゆえに観る人の妄想力を必要とする。それが人によって様々な見方をもたらし、観る人を楽しませているという。したがって能を楽しむには一定の教養を必要とし、和歌、能、俳句、地理といった知識を要求する。その妄想力を象徴しているのが能の舞台であるという。能の舞台は背景に松の絵があるだけ。みえないものをみるには背景は単純なものがいい。そして、謡の存在も妄想力を促進する上で大きいという。

能にハマる人は幻視や幻聴を体験するという。著者は能を脳内で行う AR/VR のようなものだと書いている。能は消費の対象には適していないと著者も述べている。能を深く味わうには、能を観るだけでなく、能と共に生きる心構えを提案している。つまり、謡や仕舞などの能を稽古をして能を鑑賞するのがもっとも能を楽しむ方法だという。

第八章 能を知るとこんなにいいことがある

この章は著者の経験による、能をしているとこんなよいことがあるよと説いている。

  • 健康になる
  • 集中力を養う
  • ストレスをはね返す
  • 無言で相手に気持ちを伝える
  • 陰陽を整えられる
  • いい声を出せるようになる

能を大成した世阿弥の考え方には禅に通じるものもあり、能そのものが体を無理なく動かす運動でもあり、それを継続することで身体や精神によい影響が出ることは理にも適っている。これらの効果の真偽はともかく、好きなことを無理なく継続していることは人生においてよさそうに私にも思えた。

わかりにくさと能動的

22時に寝て何度か起きて7時に起きた。たまには早く寝てみた。

チャンネルを用いた ldap 検索の api

うちらの要件に足りない機能が go-ldap にある。私が機能拡張についての issue を作ったときにある開発者が先にこの機能が必要だとコメントしてくれた。もともと draft pr で実装されたコードがあったのでそれをベースに検証したら普通に動いた。あとは go のエンジニアリングとして開発者が使いやすいように、私の経験からのアレンジを加えて pr とした。テストも実装した。なにか問題があればレビューで指摘さえしてくれれば私がすぐ修正してマージできるはずと考えている。はてさて、どうなることやら。

能―650年続いた仕掛けとは―

能―650年続いた仕掛けとは― を読んでいる続き。世阿弥の紹介をしている第五章に感化された。

第四章 能にはこんな仕掛けが隠されていた

能はシテ (主役) の役柄や内容で5種類にわけられる。

  1. 初番目物 神: 神様が登場して颯爽 (さっそう) と舞う
  2. 二番目物 男: 修羅物とも呼ばれ、武将が修羅道に落ちた苦しみを描く
  3. 三番目物 女: 鬘物 (かずらもの) とも呼ばれ、優雅な美しいものが多い
  4. 四番目物 狂: 雑能とも呼ばれ、他の4つに分類されないもの
  5. 五番目物 鬼: 切能 (きりのう) とも呼ばれ、鬼や妖怪、精霊、霊獣などがシテになる

さらにこの5つの分類に入らない翁という演目もある。翁を最初に置き、この順番に上演しながら、能と能の間に狂言を演じ、最後に祝言の短い能を演じるのがかつての正式な上演だったらしい。これだけ演じると朝から晩までかかってしまうので忙しい現代ではなかなかみれなくなってしまっているという。

ひと昔前は結婚式で仲人さんや親戚が謡を謡っていたという。たしかに古風な結婚式ではそうだったような、、、と私もうっすらとそういう記憶があるような気もする。

能の身体的な特徴の1つに摺り足がある。摺り足には重い二本の刀を腰に差して腰痛にならないという効能があるらしい。ほんとかな?

世阿弥が能の構造は序破急にせよと書いている。序はワキの登場、破はシテが登場して話をして去る、急は再びシテが姿を変えて登場するといった構造になる。水戸黄門や暴れん坊将軍のような時代劇の最後の展開が急に相当する。水戸黄門で例えると次になる。

  • 序: 現状把握と善人の窮状
  • 破: 善人が騙される/襲われる
  • 急: 印籠を出す

そして、この後に書いてあることが個人的におもしろかった。水戸黄門は番組開始時点では印籠を出すようなシーンはなくて、当初は助さん角さんが敵をたたき斬っていただけだったという。そもそも印籠を出したぐらいで本物の水戸黄門かどうか分かるわけもなく悪人がひれ伏すはずがないw あるときから印籠を出すという急を作って、序破急が安定したことで人気が出て長寿番組となったと書いてある。ほんとかな?

第五章 世阿弥はこんなにすごかった

能の大成に大きな影響を及ぼした世阿弥についていろいろ書いてある。

夢幻能 という能のジャンルを完成させた。念が残る、思いが残っているといった残念を昇華させる物語の構造になっている。世阿弥は特に敗者の無念をみせる舞台構造を作ることに成功したという。もともと日本人は死者を尊ぶ習慣があったことも要因としてあげている。

世阿弥は世襲で継いでいくという家元制度を作った。これは後世に必ず継ぐシステムを作ったと言える。現代まで能が継続されている背景の1つに家元制度はたしかにあげられると私も思う。しかし、現代では基本的人権 (職業選択の自由) に反することから家元制度の批判もあるようだ。著者はこの仕組みを称賛しているが、私は現代の感覚からすると個人の自由を制限して成り立っている古い制度のように感じてあまり著者の意見に同意できなかった。

陰陽の和するところの境を成就とは知るべし

昼や晴れた日には観客の気分が盛り上がり過ぎているので控え目に演じなさい。曇りや雨の日には逆に観客の気持ちが萎えているので派手目に演じなさいといったことを言っている。要は客の状態を見て演じ方を変えなさいと言っている。これは言うは易し、行うは難しだという。能ではこれを楽器の構造から音の力で解決していると説明がある。

時に用ゆるをもて花と知るべし

ともすれば絶対的な善し悪しがあるように思い込み、そのようなものを追求しがちであるが、実際はそのようなものはない。あるのは時との関係性だけだという。易経の時中も引用している。いまがどのような「時」であるかを知り、それがもっとも適合した時期であるか、行動できるか、それこそが「花」であるという。

花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり

現代の言葉とはちょっと意味が異なる。

  • 面白き: 目の前がパッと明るくなること
  • 珍しき (愛ず): 愛らしいこと、まったく普通のことに感嘆を抱かせる工夫など
  • 花: 秘すれば花、秘密にすることで偉大な働きをすること

能では、演者はあまり観客に働きかけない。よくわからないことで、逆に観る人が能動的になり、見えないものが見え、聞こえない音が聞こえるようになる。これも秘することによって咲く花だという。師匠が弟子に教えないというのも、簡単なことでも秘することで、弟子が散々苦しみ抜いた上でその助言の価値に気付くこともあるという。

「老後の初心」という考え方。どの歳になっても初心はあるが、歳をとって体力が劣っていくからこそやることも変えていく。第一章にも出てきた能における「初心」という言葉の概念は本当におもしろい。能では体が動かなくなっていくのだから「しないというやり方も方法としてありえる」と考える。演じないことで演じる、歳を取ったときの表現方法がある。高齢な能楽師でしか演じられない境地があるから能楽師は歳を取ることを楽しみにする。この考え方はいまの時代にとてもあうように私は思えた。

能の本を読み始めた

1時に寝て何度か起きて7時に起きた。能の本を読みながら寝落ちした。新しい開発のマイルストーンに入って、初日からいくつかリファクタリングしたり、コードレビューしたりしていた。開発が始まったなーって感じ。

能―650年続いた仕掛けとは―

少し前から 能―650年続いた仕掛けとは― を読み始めている。読んでいておもしろいので参考になりそうなことや気付いたことを忘れないように書いておく。著者の安田さんは能が本当に好きなんだなというのが伝わってくる文章で好感がもてる。

はじめに

著者が能のとりこになったきっかけが書いてある。最初に観た舞台で著者は「幻視」を体験したという。著者は高校教師であったが、能の師匠に弟子入りして週末に習い始め、その後、能楽師としてプロになったという。著者が能の歴史を調べるうちにいまの社会は能から大きな影響を受けていると気付いた。たしかに650年も続いているのだからそれは容易に想像できる。個人的にこの序文は見事な内容だなと思う。私が本書に興味をもったのもこの序文の秀逸さを感じたから。

第一章 能はこうして生き残った

能は室町時代に観阿弥・世阿弥によって大成された芸能になる。それまでも猿楽や田楽と呼ばれていた芸能ではあるが、それらを洗練させ、ときの将軍の庇護もあり大成に至ったらしい。

初心忘るべからず

いまでも知られている世阿弥の有名な言葉であり、一般的には「始めたときの気持ちを忘れてはいけない」といった意味で使われる。それ自体も誤りではないが、世阿弥自身はそのような意図で使っていたわけではないらしい。

「初心」という言葉にも深い意味があり、変化が起こったときの境になる状況や心境を「初心」と表している。人は生きている限りさまざまな変化を経て成長していく。そのところどころに過去の自分を断ち切らないといけない状況がある。その断ち切りには痛みを伴うが、成長のためには避けて通れない。その選択を突きつける境こそが「初心」なのだという。

能の稽古にもその仕組みが含まれていて、稽古で師匠は決して弟子に及第点を与えることはない。ただ「ダメだ」と言うだけ。弟子はなにがダメかも分からず練習に励み、その状態で本番の舞台を迎えて、練習でダメなのだから本番でもうまくできなくて不本意な結果に終わるものの、本番を迎えたことでなにかしらその人の壁を乗り越えているはずだとみなす。舞台の前後におけるその人のなにかの変化を「初心」というらしい。そして、能を習う人はなにかしら新しい挑戦に立ち向かい、「初心」の壁を破ったときにある変化の快感を忘れられなくて能にはまるという。

第ニ章 能はこんなに変わってきた

能の歴史は次の4つに大別されるという。

  1. 形成期 (奈良時代〜)
  2. 大成期 (室町時代〜)
  3. 展開期 (戦国時代〜)
  4. 式楽以降 (江戸時代〜)

能の起源は、奈良時代に唐の大衆芸能である散楽 (さんがく) が日本に入ってきて、それが猿楽 (さるがく) になったとみられている。一方で日本古来の神楽 (かぐら) にも影響を受けている。世阿弥も「猿楽はもとは神楽なのだが、」という件を書き残しているらしい。世阿弥は能の始祖として 秦 河勝 (はた の かわかつ) という人物をあげている。

戦国時代の能への大きな貢献は豊臣秀吉だという。秀吉が能に凝って推奨したことで劇的に広まったとみられている。

第三章 能はこんなふうに愛された

江戸時代に入り、家康も秀忠も能を好み、家光・家綱の頃から式楽として定着し、大きな影響を与えたのが5代将軍の 綱吉 だという。生類憐みの令で有名な犬好きな将軍であるが「能狂い」と言われるほどの能を好んだ将軍であったという。将軍が並々ならぬ熱意で能を推奨するので大名や家臣も能を学ばざるを得ず、諸藩でも能が学ばれるようになっていったという。おもしろいのが能が盛んな藩は外様であり、譜代代表や徳川家の血筋である松平家ではあまり盛んでないことから関係性の厳しさも伺える。そんな背景もあり、武士の教養の1つとして能を学ぶようになっていった。また庶民にも 謡 (うたい) という能の詞章を謡うことが広まり、寺子屋でも教えられ、庶民の教養の1つになっていったという。大工さんの棟上げ式、縁起ものを納めるとき、結婚式などで謡われたという。

出張の中日

0時に寝て何度か起きて5時半に起きてテレビで朝のニュースを聞き流しながら7時に起きた。

資料作成

今日はメンバーの1人が休暇だったため、打ち合わせはなしで資料ばかり作っていた。今週のチーム勉強会の発表は私が担当するのでその資料を作ったり、リリースを終えて社内向けにプロダクトの説明のための資料を準備したりしていた。これまでたくさんの資料を作ってきてるので改めて作るというよりは、過去に作ったものを洗練させたり、集めてきて補足する程度の作業になりそうな雰囲気だけわかってきた。

aws app runner の情報収集

App Runner Night !! にオンラインで参加した。AWS Startup Community というコミュニティがあることも知らなかった。顧問のはらさんが LT 発表すると聞いていたのでそれをみようと思ってながらで聞いていたので他の発表はあまりちゃんとみていてない。特別に目新しいことはなかったし、発表の中でもいくつかちょっとそこ怪しいんじゃない?とか思いながら他の作業をしていた。

私も余裕があれば app runner でサービスを動かしてみてその勘所を把握しておきたい。ecs がやりたいことに比べて使いにくいという印象は私もずっと思っていた。実質 k8s 以外のコンテナプラットフォームは aws しかないので app runner がよいものかどうかに関心をもっている。

コワーキングのオンラインイベント

月例のカフーツさんのオンラインイベントに参加した。先月の所感はここ 。今日は「移動」というテーマでいつも通りいとうさんがわーっと話をしていた。この2ヶ月に新しい官民の取り組みが始まったらしい。なんか空気だけでダメそうにみえる。

このサイトでは次の2つの用語を定義している。ブレジャーを初めて知ったけど、発音しにくくて語呂が悪いだろとか思えた。

  • ワーケーション (Work + Vacation)
  • ブレジャー (Business + Leisure)

このサイトにあるワーケーションの実施形態には共感するところもあって次の4つに分類している。IT 業界で多いのは合宿型とサテライトオフィス型かな。

  • 福利厚生型
  • 地域課題解決型
  • 合宿型
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あとどういう文脈だったか忘れてしまったが、身体感覚で「芭蕉」を読みなおす。 『おくのほそ道』謎解きの旅 という本を紹介された。能の探求者が書いた独特の視点から松尾芭蕉を取り上げた本らしくて、なんかおもしろそうにみえたのですぐに購入してみた。紙の文庫本しかなかった。読んでみる。