病み上がりの日曜日
20時前から寝て何度か起きて発熱でしんどい思いをしながら10時頃に起き上がれた。
今日の運動は病み上がりなのでお休み。
発熱で寝込む⌗
昨日帰ってからなにか寒気がすると思ってそのまま寝ていた。感覚的には発熱していたように思う。その後もカラダがだるくて起きて関節があちこち痛かった。滅多にないことだけど、熱を出してバテていた。もしかしたらコロナにかかったのかもしれない。今日も6時頃から起きているけど、しんどくて起き上がれなくて、10時頃になってようやく起き上がれるようになった。椅子に座っていても腰に負担がくるし、クリーニング屋さんで順番待ちで立っているだけでも辛かった。お昼から夙川公園で花見の予定だったけれど、あまり動けるようには思えなくてお休みした。お昼はオフィスで作業して夜の能楽イベントのみに参加することにした。
能楽の勉強⌗
たまにある「能のことばを読んでみる会」へ行ってきた。前回の所感はここ 。前回は駅を間違えてかなり歩くことになったので今回は間違えないようにカレンダーに阪急だと明示して書いておいた。
今回のお題は「松風」だった。この作品も世阿弥が愛した能の1つだという。朝原さんによると、はっきりと前半と後半に分かれておらず、どこから夢だったのかも曖昧という、世阿弥が確立した夢幻能の初期の作品らしい。松風には登場しないものの、歌人として著名な 在原業平 の兄にあたる 在原行平 と縁のある松風と村雨という姉妹の物語になる。
本イベントに何度か通ううちに能の謡の構成も少しずつ頭の中に入ってきた。能の最初に謡う部分を「次第 (しだい)」と呼ぶ。次第は七五、七五 (返句) 、七四の三句から構成される。松風の次第は次になる。
須磨や明石の浦伝ひ 須磨や明石の浦伝ひ 月諸共に出でうよ
次第はこの謡がどのようなものかを暗示する傾向があるそうでこの謡を聞くだけでその能の雰囲気がわかる。この次第はなんとなくきれいな情景を思い浮かべられる。在原行平が一時期、須磨に蟄居されたことは歴史的事実ではあるものの、松風の能にある出来事があったのかどうかは定かではない。
心ある人
現代ではこの言葉を使うと思いやりや配慮ができる人のように受け取られるが、能でこの言葉は風流を理解する人を指すらしい。源氏物語には 須磨 という1つ巻がある。この巻の内容と、在原行平が一時期、須磨で寂しく過ごしていたという共通点を見い出せるらしい。そこをかけているのか、源氏物語 (光源氏) からの引用も多々出てくるが、一切そのことに触れておらず、わかる人だけわかればよいといった様子で物語が展開されているらしい。
病み上がりで小さい椅子に2時間座っていてかなり腰に負担がきた。帰りはホームで目の前で電車の扉が閉まるといったダメなときはとことんダメな様相でゆっくり帰ってきてそのまま安静にしていた。