0時に寝て何度か起きて気分が悪くて吐きそうになりながら7時過ぎに起きた。昨日は飲み過ぎた。やはり年末でだらけているのでオフィスへ出勤したのが9時44分だった。

slack コネクト

昨日の 税理士さんとの打ち合わせ内容 の1つに chatwork のフリープランの メッセージの閲覧制限 への対応がある。以前は制限がなかったらしいが、どこかのタイミングで40日制限に変更されたという。slack もフリープランは3ヶ月に制限しているので世の中の流れとしては仕方ないのかもしれない。それはともかく、chatwork に (先方の負担で) 課金するか、slack コネクト へ移行するかの相談をしたら slack でも構わないという。先方も slack を有料プランで事務所内では使っているという話しだった。問題提起してヒアリングしてみたらなんのコストもなく移行できることがわかった。

早速、今日、調べて税理士さんを招待した。その際に社外の個人アカウントを使って slack コネクトの振る舞いも検証した。slack コネクトのよいところは次になる。

  • 通常のメンバー同様、slack コネクトで招待したメンバーはチャンネル、プライベートチャンネル、ダイレクトメッセージを使える
  • 自分のワークスペースに他組織のワークスペースのチャンネルを追加できる (参加するワークスペースが増えない)
  • チャンネル名、トピック、説明はそれぞれのワークスペース管理となる
    • とくにチャンネル名を自組織のワークスペースの都合で名前を付けられるのがよいと思う

無料ワークスペースに設定されている使用制限 によると、フリープランは slack コネクトを利用できない。invitation を送るとフリープランでも接続できるが、それは pro のトライアルになるため、3ヶ月だけ使えるみたい。

開発合宿の打ち合わせ

先日 作成した旅のしおり を使って開発合宿の打ち合わせをした。打ち合わせをする前に見直していると、いくつも不備や誤りに気付いて1時間前ぐらいから修正したりしていた。私の作る資料は手直ししないと小さい誤りがいくつもある。参加者は現時点で7名で、いまのところ、これ以上増える見込みはない。昨年は4名だったのでおよそ2倍に増える。きのいえは9名まで宿泊できるようにみえる。神戸組4人に対して関東組は3人参加してもらえる。関東からわざわざ来てもらえるのは本当にありがたい。このぐらいの規模で数年継続できるような仕組みや体制を作るのが当初の目標でよい気がする。昨年は初めてだったので手探りだったが、今年は2回目なのでもう少し段取りやノウハウを使ってうまく運営できればと思う。

みんな時間通りに打ち合わせに集まってくれて、自己紹介して、主旨を説明して、大雑把なタイムスケジュールを紹介して、質疑応答をした。私の知人に声をかけているので神戸組と新規参加の関東組とはまったく面識がない。そういった人たちを少しでも話しやすいよう話題を設けたり、きっかけを作ったりすることがコミュニティマネージャーとしては求められる。別に私がコミュニティマネージャーを目指しているわけでもないが、コワーキングやコミュニティの価値の実践的なものを理解していく上で避けられないと考えている。私自身コミュ障で他人と話したくない人間なので、役割としてやらないといけないというポジションに追い込むことでその機会を得ていると言える。あと2ヶ月、詳細の詰めをしていく段階に入ってきた。

マネーの虎たちのその後

たまたまみたらおもしろかった。昔リアルタイムでみていた。いまの感覚でみればハラスメントやら人格否定しまくりの時代背景の史料の1つも思える。そのときボロクソに言っていた社長たちもその後破産している社長は多いみたい。そして、すごいのが数十億といった負債を抱えて破産してもまたやり直して復活している社長もいるということ。その再起のきっかけにセミナーや講演をしてマネーの虎を宣伝文句として使っているところが本当にダサいとは思うけど、そういったなりふり構わず売上を上げるためなら何でもやるといった姿勢が復活するためのバイタリティになっているのかもしれない。昭和世代のハングリー精神のようなものを感じる。

その中でも南原竜樹さんがすごい。年商100億の会社が取引会社の突然の倒産から資金繰りが悪化して破産して、2年かけてすべての負債 (20億円) を返済して、ホームレスになってからまた再起してまた年商100億まで復活したらしい。経営能力がある人はゼロから成功できるというのがよく分かるモデルケースにみえる。失敗して門前払いする人がいる一方、助けてくれる人もいたみたい。

一方で、手を差し伸べてくれる人もいた。中でもありがたかったのは、旧知の社長が会社の空きスペースの提供を申し出てくれたことだ。すべてを失った南原さんは、間借りしたオフィスで「過去の成功にとらわれず、心を入れ替えて再出発する」ことを心に誓った。

「僕は、“老害化”した経営者をたくさん見てきました。高齢になった経営者がいきなり頓珍漢なことを言い出して、周囲を困惑させるケースも少なくない。だからちょっと早めに準備して、いろんな方に事業を引き継いでもらいました。(…中略…) 頭も体もしっかりしているうちに、自ら退くのが一番なんです」

手持ちの資金はゼロだったので昼夜を問わず働いた。
「資金を得るためにオートバックスで8時間、吉野家で8時間、モービル石油で8時間バイトして、吉野家ではお客さんがいない時に立ったまま寝ていました(笑)。