一回忌
1時に寝て3時過ぎに起きた。あまり眠れないことのメリットとして普通に寝ても2-3時間で目が覚めるのだから朝早くに出掛けるときの寝坊リスクが減る。起きてから準備をして5時半過ぎには神戸を出て7時前には実家に着いた。6時半ぐらいまでは外は暗く、朝なのに暗い道を帰ることになった。
夜は寝て朝に出掛ける⌗
車があるのでいつでも帰れるのだが、最近は夜に帰るよりも朝に帰ることの方が多い。平日の夜はあまり時間がない。18-19時にお手伝い先のお仕事を終え、晩ご飯を食べ、次に自社のお仕事をしたり日記を書いたりしていると21-23時ぐらいになる。それから準備して帰るのは疲れていてやる気がしない。その日たくさん働いたーと思って帰ってきたらもう何もやる気はなくて、漫画読んだりアニメみたりゲームしてそのまま寝るというのが日常。翌日の出発準備すらやらない。
寝て起きたらまた新しい1日が始まるのですべてがリセットされる。この日常の生活のリズムを大きく崩さないという意図でも、朝起きてから行動するのが性にあう。
一回忌⌗
この前は 初盆 だった。
10時から住職に来ていただいてお経をあげていただく。今日は住職の斜め後ろに座ったので住職の様子を観察していた。お経をあげているときに折本をめくりながらお経を唱えている。あまり折本をみているようにはみえないが、進捗にあわせて折本をめくっていることに気付いた。いつも通り、住職にお経をあげてもらい、その後、出席者も真言の折本をみながら一緒に唱える。折本は裏表あるので、表面が終わったときにもう終わりかな?と油断していると、裏面のお経が始まるので初心者はちょっと驚くかもしれない。今日もってこられた真言の折本はいつもと違うものだった。
終わってから住職の法話を聞く。1年過ぎるのが早いといった趣旨でお話をされた。実は住職の父親の命日と父の命日は1日違いになる。住職にとっても近いうちに一回忌があるらしい。その想いも含めて話されていたのだろう。この人はこういう人だと型にはめて決めつけで話すことは多いが、人の本性のようなものを1つの側面から語ることは難しくて、さまざまな側面があることに、亡くなっていなくなってから気付くことも多いという。亡くなって1年たって、こんな人だったという輪郭もぼやけてきて、いろんな側面をもった人だという解釈でいいのではないかといった話だったような気がする。そして、1年経って、この場に来られた出席者の縁、来られなかった人たちの縁、いろんな縁があると話されていた。12月に会う人はみんな口癖のように1年が早かったと私の周りではいう。私もまたまったく同じ感覚で、この1年はなにをしていたか思い出せないぐらいに1年が足早に過ぎていく。幸い、いまは日記を書いているので過去の書いたものを読み返せばこんなことをやっていたなと思い出すきっかけにはなる。そうやってコンテンツを積み重ねることがいつかなにかの役に立つことも知っている。
11時から近所の和食料理屋さんに移動して法要の食事とする。だいたいいつも2時間ぐらいで早めに始めると13時に終わって、休日を潰すといったこともなくてよいと思う。
前日に出席者の1人が来られ、腰を痛められて法事に参加できそうにないということだった。直前にキャンセルになってしまったので料理屋さんに電話して、お代は支払うが持ち帰れるお膳を作ってもらえないかと相談したら、立派な法要箱膳をこしらえてくれた。普通のお弁当のようなものを想定していたらその4倍ぐらいあるような箱膳にしてくれて、よい意味で期待を上回るものだった。お食事を解散してからその足で親戚の家に訪問して手渡ししてきた。