0時に寝て2時に起きて6時に起きて7時に起きた。まぁまぁ普通に眠れた。

定例会議

いよいよこのマイルストーンを終えると、あと1つで機能開発の終わりとなる。いくつかの要因があって開発の進捗は遅れ気味になっている。メンバーがどうこうというわけではなく、私がうまく段取りを組めていなかったり、自身がマネジメントの業務をちゃんとまわせていないところが開発スケジュールの遅延につながっている。いまの状況は私が失敗したあのときのあれや、このときのこれから全体の進捗へ影響を与えているなとわかるぐらいにはマネジメントの動きが読めるようになってきた気がしている。読めるんだったら対応しろよというのはわかっているものの、モチベーションが足りなくて成り行きに任せていて成るようになっていないなといったところ。私のモチベーションが足らないところも含め、今フェーズの開発にはマネジメントの反省材料がいくつかある。

真面目にやった人を不当に咎める

昔から私はわりとワーカホリックだったので興が乗るとずっとお仕事をしていることが多かった。若い頃はやったらやった分だけ成果が出て評価されて、それはそれで楽しかったものの、30代になるとできて当たり前、成果のレベルがよほど飛び抜けていない限りは評価されることはなくなった。仮に10段階で例えると、若い頃は3しかできないと思っていた人が8ぐらいやると評価されやすいし、30代では8やって当たり前だと思われているから10やっても12やっても大差ないとみなされる。もはやお金のためにお仕事をしているのではないため、評価されなくても気にはならないし、いまは自分で契約の判断ができるので嫌なら契約を終了して別のお仕事を探せばよいだけという割り切りもある。

そんな中、昔からずっと思っていることが1つあって、真面目にやっている人たちを適切に評価しない上司が多い。要はなにも言わなくてもちゃんとやってくれているから放置するといった傾向がある。そして、さぼっている人たちや成果を出せていない人たちをかばう傾向がある。それはパフォーマンスが低い人たちを悪く言うと、さらにモチベーションを下げて、もっと悪くなるから励ますという意図があるのだと思う。しかし、その対応が度を過ぎると、真面目にちゃんとやった人たちのモチベーションを吹き飛ばしてしまう。その典型的な言葉が「みんながんばった」になる。実際は数人のコアメンバーが業務の大半をやっているのに上司は個々人の差異をなくしたがる。チームの一体感とか、空気を悪くしたくないとか、ハレーションを防ぐとか、いろいろあるのだろう。私は一緒に働いている人なら誰でも気付けるレベルの、みんながんばってないのに、そういった問題を指摘することもなく、なぁなぁで済ませるのをいくつもみてきて、これは日本の会社や組織で共通する傾向があると思う。なにを危惧しているのかわからないが、問題の本質に触れようとしないことが度々起こる。気付いたら対応しないといけないから気付いてないことにしたいと言い換えてもよいかもしれない。そういう状況をみると「またか」と思って私のモチベーションが落ちる。誰だって働きたくない。

私はよくやってくれている個人を、何度でも、よくやってくれていると明言して評する。がんばっていない人たちを咎めたりはしないが、がんばっていないのにがんばったとは絶対に言わない。状況によってはもっとがんばってほしいと言う。個人差があることを曖昧にしたりはしない。