1時に寝て何度か起きて7時に起きた。昨日は遅くまで調べものをしていたわりには達成感がなくていまいちな金曜日になった。

ストレッチ

東京出張から戻ってきたときはあまり体調がよくないことが多い。今日は右足全般の張りが強かった。すねの外側、太ももの後ろ、股関節の関節部位、あちこち硬いなと思えた。今日の開脚幅は開始前154cmで、ストレッチ後158cmだった。数値もよくはなかった。なんとなくだけど、あと何年かしたら右足が動かなくなるんじゃないかとすら思えるようになってきた。いまストレッチしているのはその寿命を伸ばす行為だと考えている。なにもしていないのに体調が悪くなるというのがこれからどんどん増えてくるのだと推測する。悪いことばかりでもなく、先週まで辛かった首の痛みは気付いたら治っていた。

日本ナレッジ・マネジメント学会に加入申請を出した

先日の課題管理の雑談 のときに 日本ナレッジ・マネジメント学会 という学会があることを教えていただいた。学術的なところでナレッジマネジメント (知識経営) についてどのようなことが研究されていて (あるいはされていなくて)、どういう知見が溜まっているのかを知りたかったのでちょうどうちの会社にとってよい機会だと思える。

さっそく web のフォームから加入申請を送って、法人会員になるのは申請書を郵送する必要があるとのことでその事務手続きも終えた。法人会員は10万円/年の費用がかかる。学会などの年会費は「諸会費」という勘定科目使い、不課税となる。まぁこのぐらいの金額ならよいだろうと即断即決で決めた。

雑談の雑談

毎月お手伝い先の会社に出張して経営陣とサポート部門トップを含めたトップ3に プロジェクトの進捗報告 をしている。

プロジェクトの初期の頃は情報共有を密にしたり親睦を深める意図から (言うても月1回だけれども) 毎月行くことには意味はあった。しかし、うちのチームはフルリモートで開発が進む体制になっており、私が物理的にオフィスに出向かなくてもプロジェクトの開発にはほとんど影響を与えない。ではなぜ出張しているのかの意義はプロジェクトの進捗報告をオフライン会議でやっていることの方が大きいのではないかと思うようになってきた。早いときは20分ほどで報告は終わるし、普通にやっても30分もあったら報告内容は終わる。そこから参加者でその時々の雑談が始まる。会議のうち報告と雑談の時間が半々ぐらいといったときもある。

この雑談の機会を作る大義名分として、私が出張して進捗報告の会議があるから「出しになっている」のではないか?という仮説を思いついた。その場では「プロジェクトには直接関係ないのだけど、、、」という話題もちょくちょく出る。会社の業務には誰の責任でも担当でもない宙ぶらりんになる業務も発生する。チームならそれはマネージャーがすべて巻き取るわけだが、部署単位になると浮いたままになることもある。そういう話題がこの会議の中ではちょくちょくあがってくる。

建前上の会議を「出しにして」話す機会のない人たちが雑談するという、別の価値を提供している会議もあるんじゃないかと、顧問のはらさんと雑談していたところ、次の記事を紹介された。

私も前日にざっと読んでこれはひどい記事だなと思ってスルーしていた。意外とこの記事の是非について盛り上がった。私がこの記事をひどいと思うのは次の点になる。

  • 目的と手段をベン図 (集合を扱う表現) で表すという奇妙さ
  • 会議では重要な情報を得られず雑談でこそ得られるという極端な物言い
    • そういうケースがあることは同意するが、大半は会議で重要な情報を得られているはずだ
  • 会議と雑談を別の空間や時間で行う対立軸のように書いているところ
    • 会議の中で雑談して、会議内の雑談で発見があったのならそれは会議で得られたのと同じこと (上述した事例が正にそう)
    • 雑談は会議を補うものであって会議を置き換えるものではない
      • 会議で重要な情報を得られないなんてことは一般の業務においてあり得ない

試しにこの記事の著者が書いた本のファンである友だちにも意見を聞いてみたところ、次のようなコメントが返ってきた。

  • 目的と手段を同じ座標の集合にするのは無理がある
  • 手段を「目的の役に立つもの」と独自定義を置き換えることへの懸念と分かりにくさ
  • 本とブログとのギャップに驚いている。どちらかが本人でどちらかがゴーストライターなのか、とさえ思ってしまう

前半の大事な前提が受け入れられないからその続きの内容も入ってこないといったコメントをその友だちからもらった。そんな話しをしていると、はらさんが javascript と java を混同して話す人はなにを話しても聞く気にならないと解釈すれば理解できると共感していた。それぐらい冒頭の目的と手段について書かれた内容はわかりにくいと言える。

著者が言いたいことは、本質的な課題は最初からわかりにくいもので顧客自身も気付いていないことが多い。いくつか調査したりヒアリングしたり、その結果を分析したりしながら徐々にわかってきたりすることがある。イシューからはじめよ ではそのことを「解くべき問題 = 課題を見極める」と表現している。私はそれを課題管理で解決しようとしているが、著者は雑談で解決しようというアプローチの違いについて書いてあるものだと意図は理解できる。しかし、記事の内容は分かりにくいので支持しないというのが私の立場である。