22時に寝て何度か起きて7時に起きた。朝から雨降りで、お昼頃に緊急警報で高齢者は避難しろとか防災通知がたくさん来ていた。お昼は雨が強かったのでお昼ご飯を食べずにお仕事していた。前日の続きで go-ldap の調査とコードレビュー対応とコードレビューをして勉強会に参加したらいい時間帯になって業務を終了した。

能―650年続いた仕掛けとは―

能―650年続いた仕掛けとは― を読んでいる続き。一通り読み終えた。著者の見解に100%同意できるわけではないが、能を知るための入門本として読みやすく、歴史の流れも学べておもしろい構成になっていると思う。後日、総括する。

第六章 能は漱石と芭蕉をこんなに変えた

松尾芭蕉が能の謡から大きな影響を受けていることは 別の本 も購入しているのでそちらで触れる。著者は芭蕉が旅に出た目的の1つとして鎮魂をあげている。能が江戸幕府を始め、それまでの室町幕府や戦国武将にも庇護をうけた背景として死者の、とくに敗者の鎮魂をあげている。というのは、当時の権力者は死者の怨霊が祟るということを怖れていたと考えられる。

夏目漱石やその周辺の交友関係において能に造詣が深かったという。漱石自身も能の稽古を積んでいたという。著者によると、草枕 の冒頭に出てくるこの文章には能の影響がみられ、草枕全体が夢幻能の構造になっており、ワキがみる夢の世界さながらだという。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

草枕

著者は草枕が、晩年に漱石が残した則天去私という言葉の原型ではないかと考察している。

第七章 能は妄想力をつくってきた

能はそのシンプルさゆえに観る人の妄想力を必要とする。それが人によって様々な見方をもたらし、観る人を楽しませているという。したがって能を楽しむには一定の教養を必要とし、和歌、能、俳句、地理といった知識を要求する。その妄想力を象徴しているのが能の舞台であるという。能の舞台は背景に松の絵があるだけ。みえないものをみるには背景は単純なものがいい。そして、謡の存在も妄想力を促進する上で大きいという。

能にハマる人は幻視や幻聴を体験するという。著者は能を脳内で行う AR/VR のようなものだと書いている。能は消費の対象には適していないと著者も述べている。能を深く味わうには、能を観るだけでなく、能と共に生きる心構えを提案している。つまり、謡や仕舞などの能を稽古をして能を鑑賞するのがもっとも能を楽しむ方法だという。

第八章 能を知るとこんなにいいことがある

この章は著者の経験による、能をしているとこんなよいことがあるよと説いている。

  • 健康になる
  • 集中力を養う
  • ストレスをはね返す
  • 無言で相手に気持ちを伝える
  • 陰陽を整えられる
  • いい声を出せるようになる

能を大成した世阿弥の考え方には禅に通じるものもあり、能そのものが体を無理なく動かす運動でもあり、それを継続することで身体や精神によい影響が出ることは理にも適っている。これらの効果の真偽はともかく、好きなことを無理なく継続していることは人生においてよさそうに私にも思えた。