納骨
昨日から実家に帰ってた。0時に寝て5時に起きた。珍しく親が寝坊して5時半頃まで起きてこなかったものの、私の方が早めに起きてスマホをみながらだらだらしてた。朝から法要の準備をしたりしていた。
49日 (納骨)⌗
この前は 35日 だった。
9時40分頃には参加者が全員集まっていた。今日の参加者は15人。10時からの予定だったものの、住職も10分前には到着されて全員揃っていたので予定時刻より少し早く始めた。いつも通りのお経を住職にあげていただく。30分ほど。その後に住職からの法話がある。今日は49日なのでその由来について話された。仏教では亡くなって49日目に亡くなった方が仏の元へ向かうとされている。なぜ49日なの?という由来にいくつか諸説があるといったお話をされた。
- お釈迦様が瞑想して悟りを開いたのにかかった日数が49日だったとか
- お釈迦様がそれを数えていたわけではなく、弟子が数えていたのでそれが正しいのか後世の創作なのかはわからない
- 昔のインドは7進法が採用されていて7 * 7 = 49日が重要な意味をもったとか
- 古くから1週間は7日とされている
- 仏教に限らずキリスト教においても神は6日で世界を創造して7日目に休んだというので7という数字が意味をもつのだろう
- 土葬の時代、土に埋めるものの、そのままだと土地を有効活用できないため、埋めて白骨化するのを待って掘り返すのが49日だったとか
- 実際にうちらは土葬をしたことがないので本当に49日で白骨化するかはわからない
- 土を丸く盛り上げて作る墓「土饅頭」ーー穴を掘らずに土を盛る理由とは?
その後、お墓へ移動して納骨になる。お墓の前で骨壺から納骨袋に骨を入れ替えてお墓の中に入れる。お墓がどんな構造をしているか、私が知らなかったので骨を入れるスペースとその開け方を学んだ。住職もお墓まで来てくれて納骨の作業をしている間はお経を唱えていただいた。感謝。
お墓から戻ってきて11時。随分と順調に予定を消化し過ぎて食事どころを12時で予約していたので少し待つことに。11時半から近所の食事どころへ移動して参加者でご飯を食べる。12時前から食事が始まって14時前にはお開きとなった。過去に父とも1-2度来たことがあるお店なので私にとってもやや懐かしかった。量は十分にあったし味もよかったと思う。 料理が出てくる合間がもう少し早くてもよかったと思うぐらいの改善点。料理を配膳するスタッフが2人しかいなかったので人手不足で大変なんだろうと推測できた。
祖父の法要をしていたときはこの倍は参加者がいたように思う。コロナ禍で葬儀が家族葬となり、親戚も近くの濃い人たちだけで行うようになった。参加者数が減ることで調整コストが下がって昔に比べたら簡素化できて楽にはなっている。
帰路⌗
姪が神戸にある大学に通っているので帰りは車で一緒に帰ってきた。祖父の法要をしていた頃、大阪の親戚が車で淡路島に来られていて、私もよくその親戚の車に同乗して一緒に大阪まで帰っていた。その親戚も少し前に亡くなってしまったが、同じようなことを代替わりしてやっていることに気付いた。車なら早く帰れるはずが、運が悪くて月見山 - 湊川間で10分もあれば抜けられるところを1時間の渋滞につかまった。5台の玉突き事故があり1車線規制で渋滞していた。真ん中の2台の車がもっとも潰れていた。事故じゃなくても湊川付近は神戸の中心地なのでやや混雑しがちな印象がある。私が通ったときはまだ事故車があって警察が聴取をしていたので発生直後に近かったのかもしれない。ちょうど 湊川 ICの真横だったので降りるときの事故だったのかもしれない。
もしかしたら事前に渋滞情報を聞いていたら迂回路を選択できたかもしれない。高速バスは阪神高速の3号神戸線が渋滞していると北側の迂回路を使うことがある。だから迂回路の存在は知っていた。帰ってきてから迂回ルートを調べてみた。垂水JCTから神戸に入るには次の2通りの経路がある。
- 垂水JCT - 名谷JCT - 月見山 - 若宮 - 湊川 - 柳原 - 京橋 - 生田川
- 垂水JCT - 布施畑(ふせはた)JCT - 白川JCT - 箕谷(みのたに)JCT - (新神戸トンネル) - 布引(ぬのびき)JCT - 新神戸駅
垂水JCTの前で渋滞情報を取得できれば、北側の布施畑JCT経由のルートを選べばよい。今度ナビも操作しながら通ってみる。