フリーランスの壁は普通の人にとってはあまり高くない
1時に寝て7時に起きた。夜遅くに晩ご飯を食べて気付いたら寝てた。
ストレッチ⌗
今日の開脚幅は開始前154cmで、ストレッチ後160cmだった。年末の葬儀で不摂生、且つ身体に負担のかかる状態で3日間を過ごし、その影響で腰や右足周りに負荷がかかっていた。それは正月明けからもあまり予後がよくないなと思いながら過ごしていた。年末はストレッチを1回休みで2週間ぶりに行った。懸念しているところはトレーナーさんからみてもあまりよくないということでいつも通りストレッチで伸ばしてもらって少し楽になった。一方で正月明けはあちこちお出かけして平時よりも歩く機会が多かったので運動量は多く健康的な生活を送っていた側面もある。悪いことばかりでもない。来週は東京出張が控えていて体調がよくなるか悪くなるか、まだなんとも言えない見通しではある。
フリーランス、40歳の壁⌗
フリーランス、40歳の壁 の前半を読んだ。
- 「第1章 自由業者フリーランス・40歳の壁。」
- 「第2章 とみさわ昭仁 「好き」を貫く代償。」
- 「第3章 杉森昌武 フリーランスとは自分で選択する生き方のこと。」
- 「第4章 50歳の壁はさらに高い。」
1980年代からのそれぞれのフリーランスの半生を紹介している。いまとは時代の違いがあるため、理解が難しい状況や雰囲気などもある。大雑把に言えば、人生の落伍者の半生、そういった人たちがやってくれたのは時代背景とフリーランスという生き方だったからだといった切り口で展開される。普通のサラリーマンとして働きつつ組織に馴染めずに辞めてきた私とはまったく相容れない生き様や考え方があって素直に受け入れ難い内容ではある。まったく生き様が異なるのに、読んでいていくつか共通項を見いだせるのは、ひとえに組織や集団に馴染まないという性格や特性によるものだと思える。彼らも私も、自分自身が納得いかない論理や仕事をずっと続けられないという点で合致している。それが生活の先行きを不透明にしていても。
ここまで読み進めて40歳の壁も50歳の壁も、一般人の感覚からしたら壁でもなんでもない。著者は恵まれた環境が与えられているにも関わらず、自らがその環境を投げ出し辞めていて、それを壁があるからと表現しているに過ぎない。身勝手で努力不足にもみえるが、全力で擁護するとしたら、組織に馴染まない人間はそうせざるを得なくて他の選択肢などない。だから壁に突き当たってしまうという主旨に読める。
参考になる内容や共通項はあるのでいくつか引用してみる。
そこで浦沢さんはまず「戦略的に」受けを狙って『YAWARA!』をヒットさせ、圧倒的な実績を築き上げることで、「描きたい作品が描ける」作家に自分を鍛え上げたと言えます。これは誰もが考えますが、実現は至難の技です。私はあそこまで商業作家としての戦略を立て、実行し、成功した作家を見たことがありません。作家はつい「自分の描きたいものを描くんだ!」と思いがちですが、 プロ作家として成功するためには、自分の苦手なものでも描かなければならないことがあるのです。芸術家肌の作家と、プロ作家は違います。浦沢さんは、ほんもののプロ作家だと私は思います。
浦沢直樹 さんの凄さを説明している。浦沢さんはもともとデビューして「MONSTAR」のような作品を描きたかったが、新人が描くには編集者の反応は芳しくなかったという。そこで苦手だったが、当時流行りの美少女ものを選び、「YAWARA!」「HAPPY!」とヒットさせることで人気を盤石にした上で本当に描きたかった「MONSTAR」に取り組めたという。it 業界で例えたら、受託開発でお金を稼いでいつか自社プロダクトまたは自社サービスを提供したいと考える会社はたくさんあれど、それで成功している会社は本当に少ない。まさに誰でも考えるが実現は至難と言える。
フリーにとっての40代は、自分の「マンネリズム」との戦いだと言えるかもしれません。 作家を含めたフリーランスは、ふたつのタイプに分けられると思います。 ひとつのパターンの仕事をえんえんと続けることができる「職人タイプ」と、つねに新しいテーマや手法を開拓しようとする「芸術家タイプ」です。 もちろんどちらのタイプにも勉強・研鑽が必要になります。
フリーランスに限らずサラリーマンも同じだと思う。40代は出世競争の結果が出てから敗れた人たちがどう生きていくのかに近いものがある。私はわりと両方の特性がある方な気がするけど、どちらかを選べば「芸術家タイプ」なんだろうと思う。
少なくとも 私は、ブログを書き続けたことで、40歳以降におちいっていたスランプから脱出することができました。
この一文に関心を示す人とそうではない人に分かれると思う。まだ論理的に説明できないが、私は書くことをずっと続けることに大きな意義と実利があると考えている。書くことをやめた人たちが悲惨な状況に陥っているのをみかけることもたまにある。私も日記を書き続けて人生が安定したように考えている。日記を書くことに時間を取られる分、個々の業務のパフォーマンスは下がっているけれど、人間としてのパフォーマンスが安定するようになった。まだ感覚的にしか表現できない。
私にとっては、お金より、やりたいことがやりたいようにできるかが大事で、それができなかったら、仕事をなげうってしまうのです。その後、どうなるかなんておかまいなし。後悔もしません。
この一文も共感できる人とそうではない人に分かれると思う。私はまったく共感できる。