1時に寝て3時に起きた。それから家へ帰ってお風呂に入ってきた。5時頃に斎場へ戻って朝ご飯にサンドイッチとおにぎりを食べたら急に眠くなって6時から7時半まで軽く仮眠した。

告別式は10時から。親族でも9時集合であったものの、8時過ぎに親戚が2人来られた。前日に通夜のみ参加の親戚がいて、告別式に参加できない事情があるせいか、無理を通して香典を置いていった。うちは家族葬で香典を辞退するという理念で葬儀をしている。とはいえ、親戚もさまざまな考え方や事情があるので香典をどうしても送りたいという思いを遺族が断固として拒否することも実際のところ、難しい。

そういった隠れ香典が最終的に5家になった。当然、香典をいただいたらお返しをする必要がある。記事にもあるが、香典という制度を辞退する背景として次の2つのメリットがある。

  • 弔問客の経済的負担を下げる
  • 葬儀後の遺族の作業負荷を下げる

香典辞退が行われるようになってきているのは合理化といった狙いもあるのだろう。世の中の変化における効率化と慣習と文化と人の思いという、一概にこうですとはいえない、複雑な調整作業をしながらバランスをとっていく必要があるようにみえた。その後、弔問客の集まりがよかったので10時前には告別式が始まったように思う。住職がお経を読んでいる間に焼香を行い、住職の法話、喪主の挨拶と、ほぼ通夜と同じ流れで葬儀は進んでいく。

その後、棺の中に故人の物やお花を入れて出棺となる。11時頃。私は喪主なので霊柩車に乗って火葬場へ向かった。火葬場へ住職も着いてきてくれて、お経をあげていただき焼香をして最後のお別れをする。住職が要所要所でお経をあげてくれていたように思う。火葬場の装置に棺を設置して火葬のスイッチは喪主の私が押す。私はそこに躊躇はなにも感じなかったのだけど、人によってはそういった行為が苦手な人もいるらしい。

火葬場から戻ってきて、残った人たちで 精進落とし と呼ばれる会食に入る。告別式よりは参加者も減って、みんな黙々と食べてすぐに休憩に移っていった。火葬は燃やした後に冷ます時間もいるので2時間ほどかかる。たまたま斎場には別の家の告別式も開催されていて、火葬場は1つしかないので順番に行くしかない。それで少しだけ予定よりも遅れて13時過ぎから火葬場に骨を取りに行くことになった。喪主は骨壷をもって運ぶ役割となる。これはとくに骨壷をもっているだけで他の参列者とやることはほとんど変わらない。

火葬場から骨壷をもって帰ってきたら、14時からそのまま 初七日 を執り行う。住職が再登場してお経をあげていただく。昨日の通夜から告別式、火葬場、初七日と住職はお経をずっと唱え続けていて、このお仕事も大変だなと真後ろで唱える姿をみながら敬意を払ってみていた。これまでも住職の姿をみてきた機会があったにも関わらず、喪主としてより当事者の意識が高い状態でみるとまた違った趣を感じた。法要は参列者も経典を受け取って一緒に唱える。それまで眠気はなかったが、お経を一緒に唱え始めて急に眠気が襲ってきて3回ぐらい寝落ちしそうなリスクの高い状態になっていた。危うく経典を落としてカクってなるところだった。お経のリズムや単調さが眠気と相関があるように思える。お経を終えた後、住職の法話を聞く。父の入院生活にも触れながら私が聞いたことのないお話をされた。

大人が子どもの振る舞いを喜んだりする背景に、自分ができなかったことややりたかったことなどを子に託すという側面があるのではないか。

家の主が代替わりしていくことの摂理や在り方のお話だった気がする。その後に喪主の挨拶へと続く。おそらく通常の法要なら少し長い挨拶をすべきなのだろうけれど、参列者はすべて通夜からずっと参加されている人たちなので長くは話さず簡潔に終わらせた。それは私の判断で長い挨拶はやめたのだけど、おそらくそれでよかったと思う。

法要が終わった後、親戚で一緒に会食するのがこれまでの慣習だった。昨今はコロナ禍対策と家族葬という建前もあり、法要膳は基本的にお弁当を持ち帰るという制度に急速に変わりつつあるらしい。おそらく施主・参加者にとって合理的であり、且つコロナという大義名分もあるのでこの流れに抗うことはできないようにみえる。社会的な事情も含めて時代の流れと言えるように思えた。法要膳と膳先のものをお渡して斎場では14時半に解散となった。

斎場のスタッフの方に家に着いてきてもらい、祭壇の設置、提灯・カゴ、今後の供養の作法などを教えていただいた。それらが全て終わって15時半ぐらいかな。それから隣保の方々へ会葬御礼と一品つけて挨拶にまわる。これまでの慣習では葬儀の手伝いに隣保の方々が参加するところを、家族葬なのでと私がお断りを入れた。隣保もこれまでの慣習があるため、手伝うと食い下がるのだけど、お気持ちだけでとここはやや強引にお断りした。そのご挨拶も兼ねてまわってきた。言うても8軒なので小一時間で終わった。

これで一通りの葬儀の諸々は終わった。17時頃には家に帰って休むことができた。