1年間に渡ったお手伝いの最終日
2時に寝て7時に起きた。昨日は23時ぐらいまで送別会やっててまた寝るのが遅くなった。
隔週の雑談⌗
顧問のはらさんと隔週の打ち合わせ。今日の議題はこれら。
- オフィス引っ越し計画 の共有
- SECI モデルのワークショップ の共有
昨日の送別会で、システムはいくらでも社員を監視して効率や最適化を要求できるけれど、そんな働き方は嫌だろうし、幸せじゃないだろうと私が話した。それに対して次のような反論がきた。
そんなことはなく誰か (何か) に管理されたいと考える人間の方が多数派だ
私はまったく同意しないのだけど、はらさんにも聞いてみた。リスクの多寡や有無ではないかと。リスクを取りたくない≒管理されたいと考える人が多いのではないかと答えてくれた。上司の言うことさえ聞いていれば自分は何も責任を負わなくてよいと考える人たちが一定数いることは私も理解できるが、そんな卑屈な人たちが多数派になるのかな?とやはり懐疑的に思えた。
プロジェクトの最終日⌗
スプリントレビュー、送別会、今日のデイリースクラムと、今週は「最後なんで」の挨拶を3回ぐらいした。毎回話すことを用意しているわけでもなかったので即興で話すわけだけど、こういうところを私はもう少し準備してちゃんとした方がよいのかもしれないと反省もした。自己肯定感のセミナー でも書いたが、私は他人との比較をやめてから自分の尺度でしか生きていない。このプロジェクトで私が為したことはもちろん私の全力ではあるが、私がもてるスキルや知識のすべてを提供できたわけではない。それは組織の壁、業務の壁、伝えるスキルの稚拙さなど、様々な要因がある。一切の他責はなく、いまの成果物はすべて私の実力を反映しているものだけれども、その成果に自分自身では満足していない。10段階で言えば3ぐらいの成果だろう。自分では低い評価を下しているにも関わらず、他人からの賞賛を受け入れるのは難しい。辞めるときなので社交辞令もある。それも考慮して感謝の言葉をもらうときに、自分はそんな感謝を伝えられることをしていないというギャップに違和感を覚える。これは何を為しても満足できない、私が抱えている心の闇かもしれない。
それはともかくプロジェクトメンバーが オンライン寄せ書き にメッセージを書いて送ってくれた。オンラインの寄せ書きは無料だけど1年経つと削除されてしまう。メンバーが私のためにわざわざ時間をとって書いてくれた寄せ書きが消えてしまうというのはみんなに申し訳ない気持ちになって、プリントしてお届けを購入 (2,948円) することにした。情に訴えるビジネスモデルは抗いがたい。せっかくなので内容を秘匿して会社の宣伝にも使うかなぁ。
葬送のフリーレン で勇者ヒンメルは依頼人とあっさり別れるといったエピソードが出てくる。
旅をしてる以上また会うことだってあるだろう、また会った時恥ずかしいからね。
依頼人から報酬を受け取って貸し借りなし。それでお終い。この感覚は私にもあって、いまの時代、一緒に働いた同僚と離れても転職やなにかの縁でまた一緒に働くことは多々ある。あまり仰々しくしたくないと私も思う。送る側も良かれと思って気遣いしてくれている。それもわかるのでこういう価値観を伝えるのはなかなか難しい。