キャリアは知識と経験の差分でわかる
23時に寝て2時に起きてその後どうしていたかあまり覚えていないが気付いたら8時だった。
ストレッチ⌗
今日の開脚幅は開始前160cmで、ストレッチ後163cmだった。今週も全然ストレッチできなかったのになぜか数値はよくなっていた。ストレッチを受けていて調子の悪さも感じなかったので気候が過ごしやすくなってきて体調がよくなった結果として普段の生活における活動量や新陳代謝などにも影響を与えているのかもしれない。トレーナーさんからは涼しくなったのだから運動をしてくださいと言われた。ほんとその通り。
知識と経験⌗
たまたま目を通した medium のおすすめ記事に出ていて、タイトルにひかれて斜め読みしたらおもしろかったので後で deepl を使って精読した。最近は英語の記事を deepl で訳して読んでいる。まず deepl で全訳した後に文脈から訳文の意味をとれなかったり、明らかにおかしいところだけを手直しする。著作権的に機械翻訳を公開はできないため、その翻訳内容は課題管理システムのイシューで管理している。この記事だと手直し数回ぐらいで大意を読める。普段、英語の記事を日本語アカウントで紹介することはないんだけど、これは素晴らしい内容だったのでそのまま共有することにした。軽く所感も書いてあるが、課題管理システムのイシューにはさらに詳細な分析やコメントも残している。
知識とはやり方を知っていることで、経験とはやってはいけないことを知っていること。素晴らしい記事だった。 / You’re Not a Senior Software Engineer by @repsofsunshine https://t.co/3qitFOFTJp
— Tetsuya Morimoto (@t2y) September 10, 2022
多くの若いチームでは課題管理の重要性を理解していない。その無理解の原因の1つとして、ものごとを検討したり判断したりした時点では正しかったことが未来のある時点で誤りになってしまう可能性を想像できないからだと私は考えている。記憶と忘却の仕組みから前日のことですら半分以上忘れてしまうので数ヶ月前の詳細など、ほとんどの人は覚えていない。にも関わらず、日々の小さい判断の積み重ねや意思決定の履歴を記録として残さないのはなぜだろうか?それはその詳細があとで重要になるかどうか、多くのケースでその発生時点ではわからないからだ。例えば、システムのアーキテクチャに関して言えば Architectural Decision Records (ADRs) というドキュメントが提唱されている。アーキテクチャのような大きなものでさえ、明示的に残さないと経緯がわからなくなるのに、もっと小さい粒度である日々の開発や運用の誤りを、一般の (普通の) 開発者がその発生時点から数ヶ月や数年経ってふりかえって見直すことができるだろうか?いやできないというのが、多くのチームやメンバーをみてきた私の所感だ。多くのメンバーは過去のある時点の見逃しや判断ミスをなかったことにしようとする。それは無意識にしろ意識的にしろ起きやすい。客観的に詳細を確認できればなかったことになってしまうのは仕方のないことでもある。
私は課題管理システムのコメントに、こういう状況からこう判断したとか、誰それと相談してこういう事情でそうしたとか、自身の感覚からとくに意味もなく決めたとか、常々なぜに相当する内容を残している。そして、あるとき過去の経緯を見返して、そのときの判断は適切だったか、過去のある時点で気付けたはずのことを見逃してなかったか、見逃していたとすればどうすればその時に気付きを得られたか、というふりかえりを日常的なチケット整理の一環として実践している。件の medium の記事にはなぜそれが重要なのかの概念を書いてあるように私には受け取れた。課題管理 + 情報共有の需要な概念の1つだと認識して寝かせておこうと思う。