目標はもうない
0時に寝て5時に起きて2度寝して8時に起きた。前日やや飲み過ぎて軽い2日酔い。
目標考察⌗
この前ストレッチを受けているときにトレーナーさんから「来年の目標はなんですか?」とふと聞かれた。目標という単語に私は忌避感をもっているなと感じた。というのは、普通の規模の会社でサラリーマンやっていれば、期首に目標設定やって期末に評価して昇格やボーナスの金額が変わるといった制度になっていることが多いと思う。私は昔から目標とか意識して働くよりも、働いている過程や状況の変化の中でそのときに大事だと自分が思ったことに注力するような方だった。なので、期首に立てた目標とは全然異なる業績をあげたりすると、目標とか無関係に評価が決まることが多かった。この評価には高い評価を受けたこともあるし、低い評価を受けたこともある。そして、評価は上長やより上位の人たちのさじ加減で決まることも多かった。目標とか組織の論理よりもプロジェクトの状況にとって大事かどうかを自分で判断して行動するから目標が有名無実化しやすい方だった。そういう働き方をしていると、目標とか評価とか無駄な労力よなと思ってしまう。いまマイクロ法人として独立して、目標と評価という無駄な労力を費やさなくて済むので、そういったストレスからは解放された生活を送れるようになった。
閑話休題。トレーナーさんにはこう回答した。目標とかとくにないです。日々、健康で過ごすぐらいのことしか考えてませんと意識の低い回答をした。一方で私はやりたいと思ったことはすでにやっているところはある。サラリーマン時代の刷り込みからか、目標とは計画を指していて、すでにやっていることは目標に含めないように考えてしまうところがある。進行中であってもやり終えるまでを目標と設定して喧伝してもよいとは思うけど、私がすでにやっていることを目標とみなさないのは、上述したように、やっている過程や状況の変化にあわせて変えていくため、予め事前に立てておいた目標とは異なる結果になることが経験的に多かったことに起因する。もうこの歳になると目標を立てるというよりも、目標となることをやっているかどうかの方が重要になってきたという思いもある。
いずれにしても目標や評価のような行動を私は2度とやることはないだろうという話し。
実践知本の読み直し⌗
課題管理における背景の理論考察を始めたとき、早い段階で読んだ本に 実践知 — エキスパートの知性 がある。8月頃に読んだ。当時は知識にもいろんな分野や研究成果があるとわかった程度だった。その後、認知心理学やスクラム開発の背景を学ぶうちに実践知とも関連があるように思えてきた。背景知識が増えた状態で、いまこの本を読み返せばまた違った理解があるのではないかと考えてまた読み直すことにした。