0時に寝て6時に起きた。

朝活: アジャイル開発とスクラム 第2版

第7章の残りと第8章を読んだ。事例紹介なので軽く読み流した感じ。インタビュー記事のタイトルが気になった。

「合宿で、「仕事での同僚」から「チームの仲間」になれました

このタイトルと内容に私は違和感があるので反論としてそれを書いていく。

心理的安全性のつくりかた に書いてあったが、MIT のオスターマン教授によると、チームという概念は比較的新しいものらしい。

職場における、チームという概念は1980年以降、最も広まったイノベーションのひとつだ。

「心理的安全性のつくりかた」ではチームとグループの違いは次になる。

  • チームは共通の目標に向かってともに問題解決やアイディアを出す集団
  • グループはそうなっていない、ただの寄せ集めの集団

共通の目標に対して互いに対話や協働することでチームになっていく。この考え方は私の経験則とも合致するし支持している。実際の業務や作業を通してチームは築かれていくと私は考える。しかし、コミュニケーションの活性化や親睦を深めればチームになると誤解している人もいるように思う。

件のインタビュー記事では、次の内容があった。

合宿の最大の成果は、何だったのでしょう?

「仕事での同僚」から「チームの仲間」になれたことだと思います。昨今、ハラスメントやプライバシーの観点からなかなか個人の深い話ができないことが多いと思いますが、お互いを信頼した上で自分の生い立ちや経験から「私がなぜここにいるのか」を深掘りできたことが大きいと思います。

具体的には、誰とも話さず、自分を見つめる時間として三浦海岸の浜辺に全員を1時間放置しました(笑)。その時間で自分の今までをふりかえり、再集合したときに1人ずつ語り、お互いのことを尊重し受け入れることで心理的安全性が一気に高まったと思います。

私だったら転職を考えますね。浜辺に放置されて再集合して生い立ちとか語れとか言われて、そんな上司だと懸念を抱くと思う。その場で抗議はしなかったとしても。仕事を通して結果的に信頼関係が深くなって、同じ行動をするなら理解できるが、そうじゃない状態で職位の高い人がメンバーに合宿を半強制参加させてプライベートの内容を話させるのはハラスメントと紙一重かもしれない。おそらくこれはたまたまうまくいったケースだというだけで再現性のあるプラクティスにはまったく思えない。厳しい言い方をすると、偉い人の自己満足によるチームごっこではないかと思う。

本番リリース作業

今日は非稼働日なんだけど、インフラ周りの修正をしていたので本番リリースの作業を見守っていた。ハドルで画面共有しながらみんなでわいわいできるので、これはこれでリリース作業の雰囲気を学ぶ機会にもなる。私が本番リリースすることはないだろうけど、担当者がどういった作業でリリースしているかを知っておく方が運用に役に立つ仕組みも導入できるかもしれない。音声通話と画面共有さえあればフルリモートワークでもなにも困ることはない。よい世の中になったと思う。RabbitMQ と Dapr 周りで私が懸念に思っていたことを本番リリースを通して検証したり振る舞いを観察できたので新たな知見を得た。