Posts for: #2024/12

地元の友だちとの話題

実家へ帰って3年ぶりに高校の友だちと会うことになった。毎年大晦日に会ってご飯を食べて麻雀をやっていたのが、最近は葬儀があったりお正月に仕事があったりで集まりがなくなっていた。久しぶりに集まれそうと準備をしていたものの、直前に参加者の1人の身内に不幸があって4人集まることはできなかった。したがって3人になったので麻雀はやらずにお昼に集まって雑談して夜早めに解散した。

車を買ったのが2年前。3年前から友だちに会っていなかったので私が車を所有していることを知らなかった。11時に高校の友だちと待ち合わせて一緒に車で実家へ帰ることにした。1人で帰るよりも、誰か乗ってくれた方が話し相手になってくれるから同じ距離を運転していても到着するのが早く感じる。淡路島へ帰ってから、友だちの家に3人で集まってただひたすら雑談していた感じだった。3年ぶりに会ったというのもあって近況を話すネタもいろいろあった。その中でもやはり兵庫県知事の話題が一番盛り上がった。みんな兵庫県には住んでいるので背景をよく知っていてそれぞれの調べた情報や意見を交換して楽しめた。

私もちょうど年末に 百条委員会や定例会見をみてまとめた ところだった。その記事にもさいとうさんのコミュニケーションスキルに懸念があるように書いた。そして、私の友だちもそのことについては言及していた。詳細を忘れてしまったが、次の「ひょうご地域創生交付金」の廃止について話していたと思う。さいとうさんの前の知事の時代に作られた県から全市町を対象にした補助金で10億円程度の予算だった。これをいきなり廃止すると打ち出して、それについてさいとうさんは一切の説明をしなかったらしい。その友だちが言うには、大阪の維新でも改革するときに利権に対する喧々諤々の論争をした上で改革していったという。大阪の維新と比べても、さいとうさんは一切の説明も議論もなく改革しようとしたため、強い反発があり、結果的に「ひょうご地域創生交付金」を廃止はできず23-25年度は3億円の補助金となったらしい。

こういった急な改革を議論せずに独断で進めようとした結果、県議や自治体とのコミュニケーションがうまく取れていなかったのではないか?という背景が浮かび上がってきた。その友だちと話した後に「コミュニケーション」のキーワードで検索したらそれっぽい記事もいくつか出てきた。既得権益がどうこうというのもあるのだろうけれど、急過ぎる改革と説明すらしないという不遜な態度もあって反さいとうさんの陣営が大きくなっていったのではないかと考えられる。

兵庫県政のゆくえ

26日に仕事納めをして時間に余裕があったので百条委員会の証人尋問、さいとうさんの定例会見、それからいくつかの報道や記事などをみていた。

百条委員会は2月をめどに、第三者委員会は3月をめどに報告書がまとめられる予定になっている。第三者組織における調査結果となるため、それをもって一定の客観性のある結論が出ると思われる。私のスタンスとしては、さいとうさんは政治家として若いし、若い人たち向けの政策を取り入れようとしていて支持している。支持か不支持かで言えば支持する立場ではあるものの、いくつかの疑惑や取り上げられている問題への説明責任を果たそうとしない姿勢は残念に思っている。がんばれと思う一方でモヤモヤすることもあってこれまでの経緯をずっと見守ってきた。

私がこれまでの経緯を1次ソースである百条委員会や定例会見、それらについて書かれた記事をみてきて思うことは内部告発の内容自体は大した問題ではない。もっとも大きい問題であった優勝パレードのキックバック疑惑も、片山元副知事の自信満々の答弁をみている限りは、補助金を増額することが先に決定事項であり、その状態で信金へ寄付のお願いに行けば忖度して寄付してくれるだろうと見越した元副知事の政治手腕であると私はみている (あくまで私の推測) 。おねだりもパワハラもまったくの事実無根ではないが、大した問題ではないように私はみている。

内部告発そのものは大した問題ではなかったようにみえるのでスルーしておけば怪文書扱いでいまのように騒がれることはなかったように思える。しかし、犯人探しをして処分したことで公益通報者保護法の疑いが問われていまも焦点となっている。もちろん県議会にもさいとうさんに反対する政治的な動きはいくつかみられており、百条委員会の中で県議が誤った証言をしたり、さいとうさんが不利になるような情報を流したりもしている。さいとうさんに政治的に対立するグループからの工作のようなものもいくつかあったのだろうと推測する。それはそれで訂正されて最終的な報告書では取り除かれることになるとは思われるが、マスメディアと一緒になって政治的にさいとうさんを陥れようとした動きそのものもあったとみなす方が自然に思える。一番不可解なことは百条委員会の途中に不信任決議が行われたこと。調査の結論がなんら出ていない時点で不信任決議案が全会一致で可決されたことは政治的な駆け引きとしか考えられない。しかし、それも含めて政治の世界なので政治家としてうまくおさめることはさいとうさんの責任の一端にはなるだろうと思う。

片山元副知事の辞任は早かった。元西播磨県民局長が自殺されたという事件も大きな影響を与えたと言えるだろう。県政を停滞させたことへの責任をとったという説明だった。百条委員会での片山元副知事の明確な答弁をみていて県政を仕切っていたのは元副知事であろうことは伺える。またリーダーは結果責任を取るという側面では正しい判断とも言えよう。さらに元副知事は「知事はコミュニケーション能力不足」と辞任会見で表明している。他にもいくつかの記事で県政の複雑なところの調整はすべて元副知事が行っており、職員がさいとうさんとコミュニケーションをうまく取れないという記述もみかけたりしている。その1つに考えられるのは、さいとうさんが問題の有無を正しく認識して改善するという当たり前の手続きを取れないことにあるのではないか?と私は考えている。これまでのさいとうさんの会見における回答は「適切だった」「問題はなかった」といった答弁しかしていない。失敗を認められないリーダーにみえている。ふりかえりができないから改善するときの論理が成り立たず、周りの人たちとコミュニケーションが取れないのだろうと推測する。

その根拠の1つに、さいとうさんの味方として関わった人たちが失職したり不幸になったりしている。県政を停滞させた責任として元副知事だけが辞任するという状況はおかしい。元県民局長の公用PCの内容を漏えいさせたとみなされている元総務部長とは証言が食い違っており、さいとうさんが悪くないのであれば元総務部長が嘘をついているということにならざるを得ない。PR 会社の note の記事もさいとうさんが公選法違反していないということであれば、PR 会社の社長が嘘をついているということにならざるを得ない。さいとうさんは決して自分の味方の人たちの疑惑をかばうことはしない。そのため、責任問題や疑惑が持ち上がったときにさいとうさんは自身の潔白を表明するがために関係者の過失を追及することになってしまう。このことはさいとうさんの疑惑が一向に解消しない原因の1つではないかと考えられる。

28日に放送された tbs の奉読特集の番組がある。x 上ではさいとうさんの支持者から偏向報道のように避難されていたりする。さまざまな意見があることは伺える。

私もこれまでの経緯を1次ソースである百条委員会や定例会見、それらについて書かれた記事をみてきて思うことは諸問題の一面のみをストーリー仕立てで取り上げているため、さいとうさんに不正や不備があったように受け取れるような報道になっているのはそうだと思う。一方で不確かな情報や悪質なデマを取り上げて報道しているわけではないため、こういった疑惑がさいとうさんに持ち上がっていることそのものは誤っていない。支持者からみたら納得いかない内容かもしれないが、さいとうさんはこれらの疑惑に対して客観的に納得のいく回答を返していないということもまた事実ではある。

私がいまもっとも共感できる意見としては次の特集の橋下さんの考えに近いと感じている。

  • 権力者として疑われる行為そのものを避けようとしていない
    • おねだりやパワハラで疑われるような振る舞いがいくつかあったことを証言している
    • 内部告発に対して犯人探しを側近に指示して人事処分したことは判明している
    • PR 会社にポスターやスライドを発注しつつ、個人として sns 運動をボランティアとして手伝ってもらったと主張している (ここはまだ疑惑)
  • 問題の有無を話すのではなく、法律に違反していないとずっと言い続ける姿勢への違和感
    • 内部告発への対応は適切だったといまも一貫して答えている (しかし、兵庫県に外部通報の窓口を設置したり、消費者庁でも公益通報保護法の見直しが議論されている)
    • 失職前に県政を停滞させた道義的責任について問われたときに「道義的責任が何かわからない」と答えた
    • PR 会社の一件も公選法違反の認識はないと一貫して答えている

知人とさいとうさんのハラスメントについてやり取りしていたときにこんなやり取りがあった。知事失職前の2回目の証人尋問で次のような証言がある。

片山元副知事は「2月の終わりごろに、案件はよく覚えていないが、知事に相談に入った時、非常に怒り、付箋を投げた。少し厚い5ミリ程度の付箋だったと思うが、知事は真正面に向かって投げてアクリル板に当たったのをはっきり覚えている」と述べました。

【詳細】兵庫県知事 百条委で2回目の証人尋問「徹底調査指示」

元副知事はこの一件をパワハラとは認識していない。しかし、いまどきの基準で言えば、怒ってモノを投げるというのはハラスメントとみなされて仕方ないと私は考える。知事も行き過ぎた行為だったと認めて反省すれば終わる話しなのをさいとうさんは「適切な対応だった」という姿勢で一貫している。モノを投げるのを適切な指導の範囲内とみなすことはできないよね?一般論としてハラスメントがあったとみなされても仕方ないよね?と知人とやり取りしていたときに「問題がある行為かもしれないが、これをパワハラだと断罪する百条委員会の運営方法は報道関係者に問題を感じる」と主張して知人はハラスメントと認めず、委員長や報道関係を非難したことがあった。「問題がある行為かもしれないが」と自身も認識しているのにそれはハラスメントではないと言ってしまう論理が私には理解できなかった。

政治的な支持・不支持と、客観的な事実や論理的な帰結をわけて考えることができないという状況があるようにみえる。多少の失敗や瑕疵があっても政治家を支持すること自体はかまわないと私は考えている。さいとうさんはよくなかったところを認めて改善に努めていれば、いまの状況になっていなかったのではないか?と私からはみえてしまう。広義ではコミュニケーション能力というかもしれない。プライドなのか政治的な駆け引きなのかはわからないが、誤りを認めるという振る舞いができないさいとうさんに対して周りがリーダーとしての資質への懸念を抱かせるのは仕方ないことだと私は考える。

時間とモチベーションの関係

朝から磯上体育館の先着利用申込みに並んで、それからオフィスへ行って作業して、午後からバドミントンして、カフェ行って買い物して、またオフィスへ戻って作業という1日だった。

体育館でバドミントン

前回の所感 。先週の土曜日も 兵庫区文化センター の体育館でバドミントン練習をしてきた。そのときにやったフットワークの練習や打ち込みの練習などを今日やってみたりしていた。今日の参加者は私を含めて2人なのでゆっくり打ち合いしたり、プッシュとロブの練習をしたり、試合形式をしたりと休憩しながらラケットコントロールの感触を確認したりしていた。参加者の人数調整はなかなか難しくて1面を借りるなら4人いたらダブルスできてよいのだけど、そんなうまいこと人数調整できない。それでも1人来れば相手と打ち合う練習はできるから最低限の練習にはなる。

磯上体育館の 冬期スポーツ教室 の申込みはうまくいって1月7日から通うことになる。約3ヶ月 (全10回) になる。先週バドミントン練習に行ったコミュニティにそのスポーツ教室の参加者がいて、3ヶ月終えても連続して受講していたりするという話しも聞いた。私も3ヶ月やって練習が足りないと思ったら追加でさらに3ヶ月行ってもよいかもしれない。教室で教えてもらった練習方法などをうちのコミュニティでもやるようにすれば、初心者向けのコンテンツが充実していくのではないかという見通し。

時間は平等に成果を生む

1ヶ月ほど日記を書くことをやめていた。12月3日がお仕事の開発フェーズの区切りになっていたのと、11月の最終週はそのためのパッケージングや検証に忙しかったのと、その週末に親戚の引率旅行に2泊3日でまた城崎温泉へ行っていたのと、戻ってきてからも暫定的な開発フェーズで突貫で追加要件の機能拡張をやらないといけなかったと、いろいろ業務と生活の繁忙期になっていた。疲れて義務的に日記を書くモチベーションがなくなっていたのと、お仕事で突貫の開発をやらないといけないという物理的に時間を要する目的もあって、日記を書くのをやめていたらどうなるかな?と1ヶ月ほど休んでいた。日によってはメモも残ってはいるので気が向いたら過去の日記も書くかもしれない。

日記を書くのをやめてみてメリット・デメリットがある。

メリット

  • 空いた時間を他のことに使える
    • 開発に集中していたら、ずっと設計を練ったり試行錯誤でコードを実装したりして、それもやはり「書く」ことなので1つのことに集中できる
    • なにもせず家で休む時間を増やせる
      • お仕事を終えてから残って1-2時間書いたり、休日を使ってまとめて書いたりといった作業をせずに休める
  • 業務中にもたくさん書いているので書くモチベーションがないときは楽になる

デメリット

  • 日々の気付きや所感が流れてしまうことをもったいなく感じる
    • 書いておかないと2-3日後には忘れてしまうだろうなと思うことが多々ある
  • 日々のルーチンを継続せずに怠けてしまうことへのインセンティブを与えてしまう
    • これは休むことと継続することのトレードオフになる
  • 言語化することで曖昧な状態や理解不足であることを自身で確認する機会が失われる
    • 書けないことを認めることが大事

疲れて体調が悪くなってくると、日々の生活を簡素化していく。自炊したり、掃除したり、運動したり、日記を書いたりといった、毎日やらなくてもよいことを後回しにする。そこで本業の業務量を減らせばよいという考え方もあるのだけど、課題管理にも通じることでもあるが、私は開発を積み重ねることにアイデンティティをもっているから自身が納得いかない状況に対しては、開発の業務を逆に増やしてしまうことがある。そして若い人向けにも模範たれという思いもある。それで12月に入ってからはだいたい8-20時を開発を割り当てて突貫の開発に集中していた。休日もできる範囲でコードを書いていた。そして、それ自体はスコープ外の機能も作ってしまってすごくうまく進捗した。日記を書く時間を開発に使った成果はあったと言える。

日記を書くことに義務感とそれなりのコストを費やしているなと感じていたときに次の記事をみかけた。

この記事に書かれている内容は私もかなり共感できる。どんなことでもずっと続けているとマンネリ化して義務感になったりモチベーションがあがらないときがある。この状況に対してイチローの言葉をよく思い出すが「続けることが大事」であることに変わりはない。「プロ野球の一流選手とそうじゃない選手の違いはスランプ期間の差でしかない」といった要旨を原田隆史さんからも聞いたことがある。私が日記を1ヶ月書くのをやめていたのはまさにここでいうところのスランプなのだろうと思う。なにか理由があってもしんどくても続けることが大事で、休むとしても1ヶ月よりは2週間、2週間よりは1週間、1週間よりは3日といった、スランプ期間を短くすることが大きな成果を出すための日々の活動になっていくのだと、知識や理屈の上では理解できる。そのため、この問題はモチベーションコントロールと、仮にモチベーションはなかったとしても継続するための仕組みや環境づくりの方がずっと大事だという話しでしかない。そのやり方は人それぞれの工夫でよいと思うが、どんな新しい方法を見出してもいつかはマンネリ化して飽きたり、モチベーションのあがらない時期はやってくると、私の過去の失敗経験からのふりかえりでもある。そして一時的に休んでもやめてしまわなければ、着実に前へ進むことも知っている。だから、日記をやめてしまっても開発を積み重ねることだけはやめなかったので今月の機能開発は大きな成果を出せたとも言える。時間は平等であって、なにかを為した分なにかを為せなかったという事実に大きな差はないと思う。そして、為したことの成果や評価が本人にとってどうなのか、周りからみてどうなのかだけの違いでしかない。

3回忌

前日の夜から法要のために実家へ帰っていた。前日は19時にお仕事を終え、お風呂に入って準備をして21時半には出発した。しばらく日記を書くことをお休みしていたから夜に帰る余裕をもてた。今日は夕方には神戸へ戻ってきて、夜はオフィス行ってお仕事のコードを書いていた。

三回忌

亡くなって1年後に行う法要を 一周忌 と呼び、2年後に行う法要を三回忌と呼ぶ。初めての人は勘違いしやすい。私も半年前まで勘違いしていた。

10時から住職に来ていただいてお経をあげていただく。住職が来られたらまずお茶を出す。お教を読み始めたら、回し焼香を参加者が順番にやっていく。15分ほど住職がお教を読んだ後に、参加者も一緒に般若心経を読む。これも15分ぐらいかな。だいたい20-30分程度でお経をあげるのは終わる。その後の住職の法話が始まる。このタイミングで新しいお茶とお茶菓子を用意しつつ、一緒にお布施とお膳料も添えて渡す。

今日の住職の法話は亡くなった人との関係性において自分を知る機会になるという発見について話された。住職の父親はうちの父親が亡くなった翌日に亡くなられた。当時、葬儀の打ち合わせのためにお寺へ伺った際に住職自身も葬儀の準備でバタバタしていると話されていた。そのときに住職の父親は厳しい方だったと伺ったことを覚えている。うちの父親は逆にほとんど子どもには怒ることはなかった。住職は自身の父親が亡くなって最近になってから、自分は父親に褒められたかったのだと、そのことにふと気付いたと話されていた。父親が亡くなってからの1年目は日々の生活に追われ、2年目になってからそのことをゆっくり考えられるようになったのだという。お釈迦様も自分を知るのは難しいといった説法をしているそうな。他人との関係性からふと自分を知るきっかけが訪れるという気付きについて話された。住職にとっては父親との関係性において2年目というタイミングがそうだったのだという。

3日前にお手伝い先の忘年会に出席した。5人で話していて、私以外は家庭をもっていて子どもがいて、そういった家族の話しをしている中、私は独身だから家族の話題にはついていけないし提供することもできない。もしかしたら周りに気を遣わせてしまっているかもしれないと、この卓に私がいて申し訳ないといった気持ちにもなった。懇親会や忘年会のような親睦を深めるための一般的な社交イベントに、プライベートに何も共通の話題がない私のような状況は向かないのだろうと思えた。とくに是非の話しではない。城崎温泉の開発合宿の参加者は独身者の方が多かったのでそのことに気付いていなかった。住職の法話を聞いていてそのときの自身の空虚さや違和感に気付いたことを思い出していた。

法話を終え、今回は卒塔婆が用意されていたのでお墓へもっていって供える。線香とライターを持っていってお墓で線香を3本たてる。お墓参りを終えたらそこで住職は帰られる。その後に参加者との法要後の食事へ行く。今回は身内だけだったので近所の回転寿司で簡単な食事で済ませた。12時過ぎには法要を終えた。

粗大ごみの処分

午後から実家の掃除をして粗大ゴミを整理していた。親戚からベッドをもらってきたようで、それを置くためのスペースを空けるために不要な家具を粗大ゴミとして捨てることにした。戸棚、ローテーブル、過去に使っていた古いベッドの残骸、扇風機、給湯ポットなどで軽トラックの荷台はいっぱいになった。いまベッドは2つあるのでこの離れに2人泊まれる。半年前に取り組んでいた実家の離れのコワーキングスペース化も一段落していて設備面では5人程度が作業するスペース分の机と椅子はある。あとはコンテンツを用意していく必要がある。思いつくキーワードを列挙していくと次になる。

  • 農業体験
  • 近所の温泉
  • バドミントン

設備面で wifi のインターネット回線がないという最大の懸念が残っている。回線を引くと5千円/月はかかるので毎月のように誰か来るなら引いてもいいが、現状だと経費的にもったいないから躊躇している。もう少し寝かせて先送りする。

古本の処分

粗大ゴミの整理をしていて あかつき教育図書 出版の「昭和日本史」という図鑑のような本が全巻 (16巻) あった。故祖父が通販で買ったものらしい。離れに置いておいても読む人はいないし場所も取るので処分することに決めた。保存状態がよかったし、図鑑のようなものを捨てるのはもったいないと思い、古本屋さんへ持っていけば必要とする然るべきところで活用されたら嬉しいなと実家から神戸まで運んできた。淡路島よりも神戸の方が古本屋さんがたくさんあるから引き取ってもらえるだろうと考えた。花隈駅近くの 古書ノーボ さんに電話して帰りの車でそのまま運び込んだ。査定してもらって買取価格は全巻で500円だった。店主曰く「こういったセットものは価値そのものはあるのだが、全巻セットを家に置こうという人が少ないために買取価格は安くなってしまう。」と話されていた。価値はあるが需要はないという話し。まさに私が処分しようと思った動機そのものだったので納得感は高かった。