1時に寝て何度か起きて7時に起きた。能の本を読みながら寝落ちした。新しい開発のマイルストーンに入って、初日からいくつかリファクタリングしたり、コードレビューしたりしていた。開発が始まったなーって感じ。
能―650年続いた仕掛けとは―
少し前から 能―650年続いた仕掛けとは― を読み始めている。読んでいておもしろいので参考になりそうなことや気付いたことを忘れないように書いておく。著者の安田さんは能が本当に好きなんだなというのが伝わってくる文章で好感がもてる。
はじめに
著者が能のとりこになったきっかけが書いてある。最初に観た舞台で著者は「幻視」を体験したという。著者は高校教師であったが、能の師匠に弟子入りして週末に習い始め、その後、能楽師としてプロになったという。著者が能の歴史を調べるうちにいまの社会は能から大きな影響を受けていると気付いた。たしかに650年も続いているのだからそれは容易に想像できる。個人的にこの序文は見事な内容だなと思う。私が本書に興味をもったのもこの序文の秀逸さを感じたから。
第一章 能はこうして生き残った
能は室町時代に観阿弥・世阿弥によって大成された芸能になる。それまでも猿楽や田楽と呼ばれていた芸能ではあるが、それらを洗練させ、ときの将軍の庇護もあり大成に至ったらしい。
初心忘るべからず
いまでも知られている世阿弥の有名な言葉であり、一般的には「始めたときの気持ちを忘れてはいけない」といった意味で使われる。それ自体も誤りではないが、世阿弥自身はそのような意図で使っていたわけではないらしい。
「初心」という言葉にも深い意味があり、変化が起こったときの境になる状況や心境を「初心」と表している。人は生きている限りさまざまな変化を経て成長していく。そのところどころに過去の自分を断ち切らないといけない状況がある。その断ち切りには痛みを伴うが、成長のためには避けて通れない。その選択を突きつける境こそが「初心」なのだという。
能の稽古にもその仕組みが含まれていて、稽古で師匠は決して弟子に及第点を与えることはない。ただ「ダメだ」と言うだけ。弟子はなにがダメかも分からず練習に励み、その状態で本番の舞台を迎えて、練習でダメなのだから本番でもうまくできなくて不本意な結果に終わるものの、本番を迎えたことでなにかしらその人の壁を乗り越えているはずだとみなす。舞台の前後におけるその人のなにかの変化を「初心」というらしい。そして、能を習う人はなにかしら新しい挑戦に立ち向かい、「初心」の壁を破ったときにある変化の快感を忘れられなくて能にはまるという。
第ニ章 能はこんなに変わってきた
能の歴史は次の4つに大別されるという。
- 形成期 (奈良時代〜)
- 大成期 (室町時代〜)
- 展開期 (戦国時代〜)
- 式楽以降 (江戸時代〜)
能の起源は、奈良時代に唐の大衆芸能である散楽 (さんがく) が日本に入ってきて、それが猿楽 (さるがく) になったとみられている。一方で日本古来の神楽 (かぐら) にも影響を受けている。世阿弥も「猿楽はもとは神楽なのだが、」という件を書き残しているらしい。世阿弥は能の始祖として 秦 河勝 (はた の かわかつ) という人物をあげている。
戦国時代の能への大きな貢献は豊臣秀吉だという。秀吉が能に凝って推奨したことで劇的に広まったとみられている。
第三章 能はこんなふうに愛された
江戸時代に入り、家康も秀忠も能を好み、家光・家綱の頃から式楽として定着し、大きな影響を与えたのが5代将軍の 綱吉 だという。生類憐みの令で有名な犬好きな将軍であるが「能狂い」と言われるほどの能を好んだ将軍であったという。将軍が並々ならぬ熱意で能を推奨するので大名や家臣も能を学ばざるを得ず、諸藩でも能が学ばれるようになっていったという。おもしろいのが能が盛んな藩は外様であり、譜代代表や徳川家の血筋である松平家ではあまり盛んでないことから関係性の厳しさも伺える。そんな背景もあり、武士の教養の1つとして能を学ぶようになっていった。また庶民にも 謡 (うたい) という能の詞章を謡うことが広まり、寺子屋でも教えられ、庶民の教養の1つになっていったという。大工さんの棟上げ式、縁起ものを納めるとき、結婚式などで謡われたという。