雨降りのバドミントン教室

コードレビュー

プロジェクトの開発体制の移行もあり、go 言語の初心者メンバーに go の開発文化やコーディングのコツだったり、プロダクト特有のアーキテクチャや背景知識を伝えたりしている。web api のハンドラー関数を1つ作るにあたって2週間ぐらいかけて、動くものは出来たものの、プロダクト開発の品質に満たないため、私がコードレビューをして勉強してもらっている。レビューイは開発者としての経験もほぼないため、go 言語のコード以前にプログラミングや設計の考え方なども指導したりもしている。そして既存のコードを読まずに実装していることも伺えるため、そういうところも勉強不足があるようにみえる。時間をかけて1つずつ教えていくしかない。

バドミントン練習

先週は障害対応をしていて翌日4時まで調査していたのでバドミントン教室をお休みしていた。2週間ぶりのバドミントン教室。先生の話しを聞いていて関心をもてたところ。

  • バドミントンはラリーを続けて相手のミスを待つ競技
  • 速いスマッシュを打てる選手が強い競技ではない
  • 打ち込まれたシャトルを返してラリーをうまく続けられる選手が勝つ

今日は基礎打ちせずにいきなり3人練習になってシャトルを打つ感覚をつかめないまま練習が始まって戸惑った。2人練習なら、いつも一緒にペアになってもらっている相手がいる。3人だと知り合いがいないのでもう1人探すのに苦労する。他でもあぶれた1人に入ってもらって3人でやったものの、あまりうまく練習できなかった。それは私ともう1人は初心者で、3人目の方はうちらよりは少し上手い方だったから、うちらの下手さのために練習にならないと不機嫌だったのではないかと推測される。バドミントン教室は後半になると人が減っていくと、以前に先生が話されていた。その理由の1つがわかった気がした。知り合いがいない状態で初心者がバドミントン教室へ来て、同じぐらいのレベルの仲間をみつけられないと、相手の練習の妨げになっているように感じて気まずくなってくるんやろなと思う。私も1人で参加していて、たまたま同じレベルの初心者のペアをみつけられたので毎週その方とペア練習できて不満はないが、3人練習になってうちらより上手い人と組むとその人の性格による。もちろん中級者の方がうちらにあわせてやってくれて練習しやすいときもある。その一方で嫌そうな態度をされる場合もある。うちらが下手なのは事実でもある。練習しないと上手くならないため、これはどうしようもないなと思えた。一緒にやってくれた方に何度かお礼を述べるぐらいしかできなかった。

軽い筋トレと散歩を再開

目次

2月は体調を崩してよくない状態だったのを改善するための行動として運動や食事に気を配り始めた。もしかしたら昨年の半年間で一気に24kgを削減する急な変化が体調管理によくなかったのではないかという懸念もある。過去1年の勤怠報告を見返してみて、昨年の夏以降、お手伝いのお仕事でも開発を抱え込んで平均1.5時間/日、40時間/月の業務時間が増えている。お手伝いの業務とは別に、自社のお仕事もやっているから全体の労働時間も増えていたと推測される。日記を書く時間も拘束時間を増やすものになっているからそのペースや配分も見直していくべきなのかもしれない。

体が健康且つ頑丈なことから長時間労働できることが私の武器の1つだった。開発に集中していると、3-4時までコードを書いて、帰って寝て次の日も8時から働くといったことを普通にできる (体調崩していてもできる) 。しかし、そういう行動はよくないのかもしれない。原因はなんであれ、長時間労働が成り立たないと今後の働き方を変えていかないといけないかもしれない。休憩時間をとって散歩へ行ったり、以前おこなっていた腕立て、腹筋ころころ、スクワットを軽く行う。

更年期障害やミッドライフクライシスなどを調べると、男性は40代以降いつ発生してもおかしくないらしい。男性更年期障害の代表的な症状が次になる。まさにいまの症状とも合致する。

  • 無気力
  • 不眠
  • 不安感

男性ホルモン (テストステロン) が減少してそういった症状が起きるという記事がいくつかみつかる。男性ホルモンを増やすための取り組みも考えていく。

男性ホルモンのバランス調整を chatgpt に相談すると次の項目があがる。

  1. 適度な運動
  2. 栄養バランスの取れた食事
  3. 質の高い睡眠
  4. ストレス管理
  5. アルコールとカフェインの適量管理
  6. 環境ホルモン(内分泌かく乱物質)を避ける
  7. 適正体重を維持
  8. 性的健康を保つ

この中でもっとも私のよくない項目をあげると睡眠だと思う。

  • 7~9時間の睡眠を確保することが、テストステロンの分泌に最も効果的
  • 22時~2時の間に深い睡眠をとることで、ホルモンの分泌を最大化できる
  • 寝る時間が遅いと、ホルモンバランスが崩れやすくなるため、なるべく早めの入眠を心がける

いまはだいたい1-2時に寝て6-8時に起きる。休日にだらだら寝ていることはあるが、平日は4-5時間睡眠が多い。そして3時間ぐらいで目覚めるので深く眠れていない。この生活の乱れを早寝早起きの生活スタイルに変えていかないといけない。冬の寒さもやわらいできてちょうどよいかもしれない。

メガネ散歩

2時頃までオフィスで日記を書いてから帰って4時頃に寝て10時頃に起きた。睡眠時間は5時間ほど取れているし fitbit の睡眠スコアも82と悪くないが、眠る時間が完全にズレてしまった。

メガネに慣れるための時間

慣れるためにお昼にメガネを付けて1時間ほど散歩してきた。遠くの標識、看板やビルの名前などを眺めながら歩いた。小雨が降っていてメガネを汚してしまった。メガネの正しい扱い方 から手入れを学ぶ。

  • 落としたり下敷きにならないよう、外したときは必ずケースにしまう
  • 水滴によるシミ汚れ防止のため、濡れたメガネを放置しない
  • (ケースにしまうとき) フレームの左耳側を先にたたみ、次に右耳側をたたむ

1時間ならしんどさは感じないが、メガネを外すと視界がぼやけるのでその違和感や気持ち悪さを少し感じた。その違和感もあって今日はそれからメガネを外して裸眼で過ごしていた。

2024年度の個人の確定申告

昨年の確定申告はこちら 。本番切り替えがあったのと、少し前から体調がよくなかったのもあり先送りしていた。過去の印税収入はほぼなくなり数千円 (印税の源泉徴収は 10.21% になる) 。このために源泉徴収をつけた取引明細を作り直すのは面倒ではあるけど、誤った明細であることをわかっていて申告するのも気持ち悪いから手直しする。言うても4明細だけ。

今年から変わったことは1つだけ。雑収入として家族信託の信託報酬を受け取ることになった。信託報酬は雑収入として所得税の対象となるが、消費税は非課税らしい。chatgpt に聞いたら次とのこと。調べても信託報酬の消費税は非課税であると明確に書いている記事をみつけられないものの、課税対象と書いてある記事もみつけられないことから非課税だと解釈する。公正証書に信託報酬の金額を記載しているが、消費税について記載はないことから非課税だと解釈する。

受託者報酬(家族信託の受託者が受け取る報酬)
非課税: 信託に基づく資産の管理や運用に対する受託者報酬は、消費税法上の「資産の譲渡等」には該当せず、消費税の課税対象にはなりません。
参考: 消費税法基本通達5-2-11では、「信託の引受け及び信託事務の処理に係る役務の提供」は非課税とされています。

個人事業主アカウントで freee 会計の契約をする。2,980円/月になる。電子申告ができるので確定申告のコストとして十分に安い。確定申告データを作成するのに過去データをみたり、取引明細をチェックしたり、自動取引ルールをメンテしたりと3時間程度。スマホでも電子申告できるそうだが、カードリーダーを使ってマイナンバーカードを読むために windows マシンを使う。windows 向けの電子申告アプリもいインストールしてブラウザと組み合わせて使う。マイナンバーカードの署名をしていて、私のカードの有効期限が次の誕生日で満了するため、更新が必要だと警告が出ていた。2-3ヶ月前に更新通知が届くらしいのでそれからの手続きとなるように読める。

マイナンバーカード、マイナポータル、windows アプリを組み合わせて電子申告を完了した。簡単。昨年は認定 NPO 団体 (国境なき医師団) への寄付の紙の領収書を別途、窓口で提出した 。今年から電子申告は紙の領収書添付も不要になったらしい。

初めてのメガネ

眼科と眼鏡市場とメガネ選び

いつから (1ヶ月前か、2週間前か) 朝起きると右目の視界がぼやけるようになった。起きて身支度を整えたりして時間が経つうちに普通にみえるようになるので生活に支障はなかったものの、視界が一時的に悪化している状態に不安を感じていた。まぶたを痛めたのか、3ヶ月ほど前から右目をこすると痛みがあって右目を触らないようにもしていた。その後、まぶたの痛みは小さくなり自然治癒で治ってきたかな?と思い始めた頃に視界がぼやけるようになった。もしかしたらまぶたの痛みの延長で目の状態が悪くなっているのではないかと不安に感じていた。

「貧すれば鈍する」で神戸に引っ越してきてから眼科へ行ったことがないからどこへ行っていいかわからない。仕事にも支障がないからと放置していた。ようやく今日 菊地眼科 へ行くことができた。予約が不要だったので空いていれば受診しようと考え、実際に訪問して5-6人しか待ちがいなかったのでそのまま受診した。スタッフも親切丁寧で設備もよかったと思う。一通りの検査をして眼の病気はないとのこと。寝起きに視界がぼやけるのは眼の疲れからくるドライアイではないかとのこと。冬だと乾燥して起こりやすいらしい。2月は 本番切り替え が予定されていて、前月よりも長時間働いているし、本番開始のストレスやプレッシャーもあったように思える。いくつかの条件がたまたま重なった症状なのかもしれない。目薬を処方してもらったのでしばらく様子をみる。

眼科へ行ったついでにメガネを作るための視力検査も行った。但し、眼科で視力検査の処方をすると、その処方結果に従う強制力があり、メガネショップでの微調整やレンズ交換のサービスなどを受けられないとのこと。同じような視力検査をメガネショップで行った方がよいとアドバイスをもらった。視力は片目はどちらも 0.3 、両目で 0.7 ぐらいのとのこと。近視と乱視もあるとのこと。右目よりは気持ちだけ左目の方が視力がよい。目の前にモニターがあって仕事をする分には 0.3 という視力はちょうどよいらしい。これまで私がお仕事で困ることはなかった。しかし、車の運転に必要な視力の最低基準でもある。車に乗るときは眼鏡をした方がよいとアドバイスを受けた。

その後、近所の 眼鏡市場 さんへ行ってきた。眼科と同じような視力検査と微調整をして 1.0 のレンズを選択することにした。乱視を矯正する強い?レンズを選択すれば 1.2 まで視力は上がる。しかし、初めてのメガネだと眼に負担がかかってしんどいのではないかとのこと。別に視力をあげる理由もないので慣れることも考慮して 1.0 から始めるのがよいだろうという総合判断となった。余談だが、スタッフの方から私ぐらいの年齢で 0.3 からメガネをつけて 1.2 まで視力が回復するのはよい方だという。メガネをつければ誰でも視力が回復するというわけでもなく、メガネをつけても 0.7 程度といった状況もあるらしい。

フレームもよくわからなくてスタッフさんと相談して選んだ。バドミントンのときにも付けてみたいと話したらスポーツ向けのフレームがあって、値段も他と変わらず、たしかに装着感があってよかったのでスポーツ向けのフレームにした。i-ATHLETE (アイアスリート) IA-472 というモデルで、フレーム+レンズで 19,800 円 (税込)、ブルーライト対策レンズ が 3,300 円 (税込) とのことで、スマホやモニターをみる機会が多い生活をしているし、そのぐらいの値段なら付けておくことにした。合計で 23,100 円 (税込) になる。paypay で支払いすればクーポンを使って 10% はポイント還元された。

眼の健康のためにメガネを付けて過ごす方がよいのか、あまり付けない方がよいのかをスタッフへ尋ねた。はっきりとした答えではないが、メガネを付けることでいまの視力がどんどん悪くなるといったことはないとのこと。裸眼だと遠くがぼやけてみえないが、メガネを付けて遠くがみえる状態になったら、それを維持するように意識するとか、遠くを眺める機会をもつことそのものは眼の健康によいとのこと。運動するときや外へ出掛けるときにメガネを付けて遠くをみる意識付けをしてみようと思う。

メガネを付けて帰ってくるときに遠くの看板や文字がはっきりみえることに驚いた。20代の頃は 1.5 から 1.2 ぐらいの視力があったと思う。比較することで視力が大きく悪化していることに気付いた。

ai 談義の続き

昨日に続いて やぎさんと ai について雑談した。うちの会社の課題管理ビジネスの展望を根底から考え直す上で多くの人と話していきたい。

  • github copoilot の評判

    • チャットがすごくよいとのこと
  • 課題管理の文脈で ai と協業するための書く技術が大事になっていくのではないか

    • 人間は既存ドキュメントに書かれていることをちゃんと読まない
      • 既存ドキュメントを調べずに質問する人は一定数いる
        • 私もよく知らないプロジェクトなどだとそういう経験はあるかも?
    • 聞く相手として ai がいると助かる場面は容易に想像できる
      • 人間相手に次のことをすると、サポートコストを上げたり、相手を苛つかせる (ストレスを与える) ことにつながる懸念がある
        • 同じことを何度も聞く
        • 自分で調べずに丸投げで聞く
    • 課題管理は ai にインプットを与え続けるような役割になるかもしれない
  • 文章を書けない人たちが組織にどのぐらいかの所感

    • 4象限マトリクスで考える
      • 書くスキルがあり、書く習慣がある
        • 2割ぐらい
      • 書くスキルがあり、書く習慣がない
        • 1割ぐらい
      • 書くスキルがなく、書く習慣がある
        • この割合はあまりいない
        • 一般論として書く習慣があれば書くスキルは上がっていく
      • 書くスキルがなく、書く習慣がない
        • 5割ぐらい
    • スキル/能力と習慣という分け方も分析に使えるかもしれない
  • 分業制の弊害と ai の全体最適への可能性

    • 【解説】OpenAI発表[生成AIの進化5段階]とは?-未来がUtopiaかDystopiaかは"最終ステップ"にかかっている の記事ではレベル5で組織マネジメントに言及している
    • 現代の開発は分業制になっているため、部分最適はできるが、全体最適が難しい
      • 言われたことだけをやるような開発者は、自身のドメイン以外の分野などに関心をもたない場合がある
        • その結果として自身の職務に関係ない最適化や改善を行わない場合がある
      • 権限をもっていて改善を明示的に指示するマネージャー/リーダーが価値を発揮する
        • この全体最適の役割は人間よりも ai の方が知識をもつことで上手くなっていくのではないか
    • 開発環境の構築を本番構成しか用意していないあるプロジェクトの話題
      • 小さく起動、小さく改善、小さく検証ができる仕組みを先に作る必要がある
        • UNIX哲学 からの示唆
        • この視点に気付かない開発者へ誰がどのように示唆を与えるか?
      • アーキテクチャやインフラに関心がない開発者ならそうなる

雑談を休憩して、やぎさんの 将棋ウォーズ の対戦もみせてもらった。初段同士の対戦なのでどちらも一進一退の攻防で見どころがあった。持ち時間が10分で時間切れになったら負け。複雑な局面を相手に仕掛け、相手に考えさせて時間を使わせるという戦略があることを、実際の対戦をみせてもらってよくわかった。やぎさんが自分の打ち筋の考えを解説しながらうっていて、ゲーム実況をみているような感覚でおもしろかった。

やぎさんとは同年代なのでここ3ヶ月ほどの体調不良を相談してみた。平日の業務時間は普通にオフィスへ行って仕事できているが、それ以外の時間に調べものしたり本を読んだり日記を書いたりといったことが手につかなくなっていた。予定が入っているとこなすが、それもしんどいからなるべく予定を入れないようにもしていた。(健康な) 若い人に相談するのは難しいから同年代の友だちや知人がいると助かる。年齢による体調不良の可能性も高い。同じような経験があれば、相談して参考になることがあるかもしれないし、そうじゃなくても身近な話題として聞いてもらえるだけでも、自分の中に抱え込まず気分転換になる。話してみてずいぶんと気持ちが楽になった。心の中にある思考や感情などを外部に出す無意識の防衛機構のことを 思考の外在化 と呼ぶことを過去にも調べたことがある。過去の記事から改めて「書くこと」と「話すこと」の比較を読み直してみた。書くことだけでは得られない「気付き」はある。さらに今回は体調不良からの不安やストレスを軽減する目的で「話すこと」の方が役に立った。書くよりも話す方がずっとコストが低いからだと思う。書く意欲や余裕をなくしてしまって書けなくなっていた。日記を書くことさえできないしんどい状況でも、身近な人たちと話すことはできる。それによって、いま書ける状態を取り戻せつつある。「書くこと」と「話すこと」はどちらも大事。

ストレッチ

今日の開脚幅は開始前151cmで、ストレッチ後156cmだった。昨日ジョギングした後に軽くストレッチしたので少し数値はよかったように思う。トレーナーさんとメガネの話しをした。トレーナーさんは学生の頃から裸眼で 0.2 程度、普段はメガネをつけずに過ごしているが、車に乗るときだけメガネをつけるという。0.2 から下がるわけでもなく、そのぐらいの視力をずっと維持しているという。ちょうど私と同じぐらいの視力だったので視界がぼやける感覚やメガネを付ける生活のあれこれを尋ねたりした。トレーナーさんは夜間の運転が怖いと話されていた。私もたまに夜に車で実家へ帰ったりしていたものの、神戸市街や高速道路は街灯があるせいか、あまり夜に低視力を気にしたことはなかった。運転の話しをしていて、うちの母親は70歳を超えていて私よりもずっと視力が悪いはずだけど、毎日、車の運転をしていて大丈夫なんやろか?と心配になった。田舎は車がないと生活できない。いずれ私も車を運転できなくなることを想定して実家を離れる必要があるだろう。

ai 進化への不安や危機感をそのまま吐き出す

隔週の雑談

顧問のはらさんと隔週の打ち合わせ。今日の議題はこれら。

2月に入ってから ai についての記事を読んだり、知人と話したりする機会が増えてきた。日々の業務で chatgpt (plus 契約) で質問しながら調べたことを裏付けして業務を進めることが増えてきた。顧客のオンプレ環境で起こる問題やその際に気付いた運用の非機能要件を調べる過程でググるよりも chatgpt に質問した方が生産性も品質も高いように実感している。ai を業務で使う頻度が増えるに従い、ai への関心が高まり、ai と協業する業務スタイルへ移行していこうと考えている。

ちょうどお手伝い先でも github copoilot を導入し始めた。うちの会社でも近いうちに導入する。この機会にエディターも vim から vscode へ移行してよいかもしれない。

はらさんと ai の雑談をしたことを書いておく。

課題管理の文脈で ai に指示するために人間がテキストを書く需要は高まるのではないか。

  • 課題管理システムは ai へのインプットデータや学習データになっていく?
  • ai がドメイン知識を学習する上でイシューをどんどん作る必要があるのではないか?
  • ai を最適化するための学習データは人間が作る必要が在るのか?

ai が既存の事業や業務の人件費を削減していくのは間違いがない。小さい会社の有利な点として ai にプロダクト開発をさせて、1人では開発できない規模のプロダクトも開発できるようになるのではないか。

  • 今後はマイクロユニコーンが増えていくという予測がある
  • si やアウトソーシングが削減されると、自社で稼げるプロダクトが重要になっていく
  • ai を活用して自社で収益をあげるプロダクトやサービス開発への転換が大事

デジタルの仕事はどんなものではコモディティ化して総合職のようになっていく

  • ここ数年のプログラマーの高待遇は終焉していく
  • キャリアアップとともに収入や待遇をあげていく必要があると考えていたが、世の中の変化にあわせて見直す時期にきているかもしれない
    • 業務委託の単価やプログラマーの待遇が中長期的に悪化していくことを見込む
  • 人間がやらないといけない仕事はなにかを考え直す機会になっていく

私は人間が「ソースコードを書く」という行為のプログラミングがアイデンティティになってしまっている。10年以上のキャリアから、web のバックエンド開発の領域ではシニアプログラマーとして競合優位をもっていると考えてきた。それはプログラミングというスキルの習熟に年単位の経験や学習を要する技能だったからである。いま行っているソースコードを書くというプログラミングは数年以内に別の行為に変わっていく確度は高くなってきている。自身のアイデンティティが失われるのは、40代という年齢もあるのか、精神的な不安が大きいように感じている。

漠然とした不安を一人で抱えているよりも、そういった話しをはらさんと雑談することで少し気が紛れたように思える。話したり、書いたりして言語化することで自分の中で受け入れるための土台になっていくように思う。今後もプログラミングが変わることをしっかりと見定めていきたい。

お昼休みに、やぎさんにも雑談しようと声をかけてみた。

リファレンス

本番切り替え

目次

2022年11月から2年以上に渡って開発してきた id 連携のプロダクトが初めてお客さんの環境に導入された。今日が本番切り替えの作業日だった。9時から作業が始まり14時過ぎには完了した。私は直接的に立ち会いの義務はないのだけど、初めての本番切り替えなので自主的に連絡を取れるように待機することにした。本番切替作業は無事に済み、初めてのお客さんへの導入も、当初の計画通りに進捗した。お手伝い先の cto からも品質には満足されているようにコメントを受けている。

この3ヶ月ほどお客さんから追加要件の開発やお客さんの運用環境での検証などでバタバタしていた。プロダクトや運用の品質を上げるために、私がどこまで介入してよいか、起きている課題をどのぐらい対応すべきかのバランス感覚を見失ってしまい、体力のある限り、できるだけやるといった対応にしてしまった。これは他社のプロダクト/プロジェクトなので自身で判断できないという問題でもあったと思う。お仕事が完全にプロジェクトの要件対応や雑多な作業に追われるようになってしまい、自社のためのお仕事を考える余裕はなくなって、生活のためのお仕事に追われる日々に疲れて、書くモチベーションも下がってしまい、しばらく休もうと日記を書いていなかった。別のツールやローカルのテキストファイルに書いていた日もあったのだけど、ここの日記は意図的に休んでいた。今日の本番作業で区切りもついたのでまた少しずつ書いていければいいかなとも思う。

日記を書く時間を減らした分、開発のコーディングや他のことをやる時間が取れるというメリットはあるものの、そのときそのときに考えたことや起きた出来事が日々の生活の中で流れていってしまい、自身を考えをまとめるための時間を失ってしまう。落ち着いて書くことの大事さはあると思う。毎日だと断片的な思慮を書くことにコストがかかったり、考えがまとまらなかったりもする。日をまたぐようなメモを残しておいて、数日に渡って考えていることを、あるとき整理するためにまとめるような書く作業もあったよいように思う。日記と考えを整理するための書く作業を分割してもよいのかもしれない。

地元の友だちとの話題

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実家へ帰って3年ぶりに高校の友だちと会うことになった。毎年大晦日に会ってご飯を食べて麻雀をやっていたのが、最近は葬儀があったりお正月に仕事があったりで集まりがなくなっていた。久しぶりに集まれそうと準備をしていたものの、直前に参加者の1人の身内に不幸があって4人集まることはできなかった。したがって3人になったので麻雀はやらずにお昼に集まって雑談して夜早めに解散した。

車を買ったのが2年前。3年前から友だちに会っていなかったので私が車を所有していることを知らなかった。11時に高校の友だちと待ち合わせて一緒に車で実家へ帰ることにした。1人で帰るよりも、誰か乗ってくれた方が話し相手になってくれるから同じ距離を運転していても到着するのが早く感じる。淡路島へ帰ってから、友だちの家に3人で集まってただひたすら雑談していた感じだった。3年ぶりに会ったというのもあって近況を話すネタもいろいろあった。その中でもやはり兵庫県知事の話題が一番盛り上がった。みんな兵庫県には住んでいるので背景をよく知っていてそれぞれの調べた情報や意見を交換して楽しめた。

私もちょうど年末に 百条委員会や定例会見をみてまとめた ところだった。その記事にもさいとうさんのコミュニケーションスキルに懸念があるように書いた。そして、私の友だちもそのことについては言及していた。詳細を忘れてしまったが、次の「ひょうご地域創生交付金」の廃止について話していたと思う。さいとうさんの前の知事の時代に作られた県から全市町を対象にした補助金で10億円程度の予算だった。これをいきなり廃止すると打ち出して、それについてさいとうさんは一切の説明をしなかったらしい。その友だちが言うには、大阪の維新でも改革するときに利権に対する喧々諤々の論争をした上で改革していったという。大阪の維新と比べても、さいとうさんは一切の説明も議論もなく改革しようとしたため、強い反発があり、結果的に「ひょうご地域創生交付金」を廃止はできず23-25年度は3億円の補助金となったらしい。

こういった急な改革を議論せずに独断で進めようとした結果、県議や自治体とのコミュニケーションがうまく取れていなかったのではないか?という背景が浮かび上がってきた。その友だちと話した後に「コミュニケーション」のキーワードで検索したらそれっぽい記事もいくつか出てきた。既得権益がどうこうというのもあるのだろうけれど、急過ぎる改革と説明すらしないという不遜な態度もあって反さいとうさんの陣営が大きくなっていったのではないかと考えられる。

兵庫県政のゆくえ

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26日に仕事納めをして時間に余裕があったので百条委員会の証人尋問、さいとうさんの定例会見、それからいくつかの報道や記事などをみていた。

百条委員会は2月をめどに、第三者委員会は3月をめどに報告書がまとめられる予定になっている。第三者組織における調査結果となるため、それをもって一定の客観性のある結論が出ると思われる。私のスタンスとしては、さいとうさんは政治家として若いし、若い人たち向けの政策を取り入れようとしていて支持している。支持か不支持かで言えば支持する立場ではあるものの、いくつかの疑惑や取り上げられている問題への説明責任を果たそうとしない姿勢は残念に思っている。がんばれと思う一方でモヤモヤすることもあってこれまでの経緯をずっと見守ってきた。

私がこれまでの経緯を1次ソースである百条委員会や定例会見、それらについて書かれた記事をみてきて思うことは内部告発の内容自体は大した問題ではない。もっとも大きい問題であった優勝パレードのキックバック疑惑も、片山元副知事の自信満々の答弁をみている限りは、補助金を増額することが先に決定事項であり、その状態で信金へ寄付のお願いに行けば忖度して寄付してくれるだろうと見越した元副知事の政治手腕であると私はみている (あくまで私の推測) 。おねだりもパワハラもまったくの事実無根ではないが、大した問題ではないように私はみている。

内部告発そのものは大した問題ではなかったようにみえるのでスルーしておけば怪文書扱いでいまのように騒がれることはなかったように思える。しかし、犯人探しをして処分したことで公益通報者保護法の疑いが問われていまも焦点となっている。もちろん県議会にもさいとうさんに反対する政治的な動きはいくつかみられており、百条委員会の中で県議が誤った証言をしたり、さいとうさんが不利になるような情報を流したりもしている。さいとうさんに政治的に対立するグループからの工作のようなものもいくつかあったのだろうと推測する。それはそれで訂正されて最終的な報告書では取り除かれることになるとは思われるが、マスメディアと一緒になって政治的にさいとうさんを陥れようとした動きそのものもあったとみなす方が自然に思える。一番不可解なことは百条委員会の途中に不信任決議が行われたこと。調査の結論がなんら出ていない時点で不信任決議案が全会一致で可決されたことは政治的な駆け引きとしか考えられない。しかし、それも含めて政治の世界なので政治家としてうまくおさめることはさいとうさんの責任の一端にはなるだろうと思う。

片山元副知事の辞任は早かった。元西播磨県民局長が自殺されたという事件も大きな影響を与えたと言えるだろう。県政を停滞させたことへの責任をとったという説明だった。百条委員会での片山元副知事の明確な答弁をみていて県政を仕切っていたのは元副知事であろうことは伺える。またリーダーは結果責任を取るという側面では正しい判断とも言えよう。さらに元副知事は「知事はコミュニケーション能力不足」と辞任会見で表明している。他にもいくつかの記事で県政の複雑なところの調整はすべて元副知事が行っており、職員がさいとうさんとコミュニケーションをうまく取れないという記述もみかけたりしている。その1つに考えられるのは、さいとうさんが問題の有無を正しく認識して改善するという当たり前の手続きを取れないことにあるのではないか?と私は考えている。これまでのさいとうさんの会見における回答は「適切だった」「問題はなかった」といった答弁しかしていない。失敗を認められないリーダーにみえている。ふりかえりができないから改善するときの論理が成り立たず、周りの人たちとコミュニケーションが取れないのだろうと推測する。

その根拠の1つに、さいとうさんの味方として関わった人たちが失職したり不幸になったりしている。県政を停滞させた責任として元副知事だけが辞任するという状況はおかしい。元県民局長の公用PCの内容を漏えいさせたとみなされている元総務部長とは証言が食い違っており、さいとうさんが悪くないのであれば元総務部長が嘘をついているということにならざるを得ない。PR 会社の note の記事もさいとうさんが公選法違反していないということであれば、PR 会社の社長が嘘をついているということにならざるを得ない。さいとうさんは決して自分の味方の人たちの疑惑をかばうことはしない。そのため、責任問題や疑惑が持ち上がったときにさいとうさんは自身の潔白を表明するがために関係者の過失を追及することになってしまう。このことはさいとうさんの疑惑が一向に解消しない原因の1つではないかと考えられる。

28日に放送された tbs の奉読特集の番組がある。x 上ではさいとうさんの支持者から偏向報道のように避難されていたりする。さまざまな意見があることは伺える。

私もこれまでの経緯を1次ソースである百条委員会や定例会見、それらについて書かれた記事をみてきて思うことは諸問題の一面のみをストーリー仕立てで取り上げているため、さいとうさんに不正や不備があったように受け取れるような報道になっているのはそうだと思う。一方で不確かな情報や悪質なデマを取り上げて報道しているわけではないため、こういった疑惑がさいとうさんに持ち上がっていることそのものは誤っていない。支持者からみたら納得いかない内容かもしれないが、さいとうさんはこれらの疑惑に対して客観的に納得のいく回答を返していないということもまた事実ではある。

私がいまもっとも共感できる意見としては次の特集の橋下さんの考えに近いと感じている。

  • 権力者として疑われる行為そのものを避けようとしていない
    • おねだりやパワハラで疑われるような振る舞いがいくつかあったことを証言している
    • 内部告発に対して犯人探しを側近に指示して人事処分したことは判明している
    • PR 会社にポスターやスライドを発注しつつ、個人として sns 運動をボランティアとして手伝ってもらったと主張している (ここはまだ疑惑)
  • 問題の有無を話すのではなく、法律に違反していないとずっと言い続ける姿勢への違和感
    • 内部告発への対応は適切だったといまも一貫して答えている (しかし、兵庫県に外部通報の窓口を設置したり、消費者庁でも公益通報保護法の見直しが議論されている)
    • 失職前に県政を停滞させた道義的責任について問われたときに「道義的責任が何かわからない」と答えた
    • PR 会社の一件も公選法違反の認識はないと一貫して答えている

知人とさいとうさんのハラスメントについてやり取りしていたときにこんなやり取りがあった。知事失職前の2回目の証人尋問で次のような証言がある。

片山元副知事は「2月の終わりごろに、案件はよく覚えていないが、知事に相談に入った時、非常に怒り、付箋を投げた。少し厚い5ミリ程度の付箋だったと思うが、知事は真正面に向かって投げてアクリル板に当たったのをはっきり覚えている」と述べました。

【詳細】兵庫県知事 百条委で2回目の証人尋問「徹底調査指示」

元副知事はこの一件をパワハラとは認識していない。しかし、いまどきの基準で言えば、怒ってモノを投げるというのはハラスメントとみなされて仕方ないと私は考える。知事も行き過ぎた行為だったと認めて反省すれば終わる話しなのをさいとうさんは「適切な対応だった」という姿勢で一貫している。モノを投げるのを適切な指導の範囲内とみなすことはできないよね?一般論としてハラスメントがあったとみなされても仕方ないよね?と知人とやり取りしていたときに「問題がある行為かもしれないが、これをパワハラだと断罪する百条委員会の運営方法は報道関係者に問題を感じる」と主張して知人はハラスメントと認めず、委員長や報道関係を非難したことがあった。「問題がある行為かもしれないが」と自身も認識しているのにそれはハラスメントではないと言ってしまう論理が私には理解できなかった。

政治的な支持・不支持と、客観的な事実や論理的な帰結をわけて考えることができないという状況があるようにみえる。多少の失敗や瑕疵があっても政治家を支持すること自体はかまわないと私は考えている。さいとうさんはよくなかったところを認めて改善に努めていれば、いまの状況になっていなかったのではないか?と私からはみえてしまう。広義ではコミュニケーション能力というかもしれない。プライドなのか政治的な駆け引きなのかはわからないが、誤りを認めるという振る舞いができないさいとうさんに対して周りがリーダーとしての資質への懸念を抱かせるのは仕方ないことだと私は考える。

時間とモチベーションの関係

朝から磯上体育館の先着利用申込みに並んで、それからオフィスへ行って作業して、午後からバドミントンして、カフェ行って買い物して、またオフィスへ戻って作業という1日だった。

体育館でバドミントン

前回の所感 。先週の土曜日も 兵庫区文化センター の体育館でバドミントン練習をしてきた。そのときにやったフットワークの練習や打ち込みの練習などを今日やってみたりしていた。今日の参加者は私を含めて2人なのでゆっくり打ち合いしたり、プッシュとロブの練習をしたり、試合形式をしたりと休憩しながらラケットコントロールの感触を確認したりしていた。参加者の人数調整はなかなか難しくて1面を借りるなら4人いたらダブルスできてよいのだけど、そんなうまいこと人数調整できない。それでも1人来れば相手と打ち合う練習はできるから最低限の練習にはなる。

磯上体育館の 冬期スポーツ教室 の申込みはうまくいって1月7日から通うことになる。約3ヶ月 (全10回) になる。先週バドミントン練習に行ったコミュニティにそのスポーツ教室の参加者がいて、3ヶ月終えても連続して受講していたりするという話しも聞いた。私も3ヶ月やって練習が足りないと思ったら追加でさらに3ヶ月行ってもよいかもしれない。教室で教えてもらった練習方法などをうちのコミュニティでもやるようにすれば、初心者向けのコンテンツが充実していくのではないかという見通し。

時間は平等に成果を生む

1ヶ月ほど日記を書くことをやめていた。12月3日がお仕事の開発フェーズの区切りになっていたのと、11月の最終週はそのためのパッケージングや検証に忙しかったのと、その週末に親戚の引率旅行に2泊3日でまた城崎温泉へ行っていたのと、戻ってきてからも暫定的な開発フェーズで突貫で追加要件の機能拡張をやらないといけなかったと、いろいろ業務と生活の繁忙期になっていた。疲れて義務的に日記を書くモチベーションがなくなっていたのと、お仕事で突貫の開発をやらないといけないという物理的に時間を要する目的もあって、日記を書くのをやめていたらどうなるかな?と1ヶ月ほど休んでいた。日によってはメモも残ってはいるので気が向いたら過去の日記も書くかもしれない。

日記を書くのをやめてみてメリット・デメリットがある。

メリット

  • 空いた時間を他のことに使える
    • 開発に集中していたら、ずっと設計を練ったり試行錯誤でコードを実装したりして、それもやはり「書く」ことなので1つのことに集中できる
    • なにもせず家で休む時間を増やせる
      • お仕事を終えてから残って1-2時間書いたり、休日を使ってまとめて書いたりといった作業をせずに休める
  • 業務中にもたくさん書いているので書くモチベーションがないときは楽になる

デメリット

  • 日々の気付きや所感が流れてしまうことをもったいなく感じる
    • 書いておかないと2-3日後には忘れてしまうだろうなと思うことが多々ある
  • 日々のルーチンを継続せずに怠けてしまうことへのインセンティブを与えてしまう
    • これは休むことと継続することのトレードオフになる
  • 言語化することで曖昧な状態や理解不足であることを自身で確認する機会が失われる
    • 書けないことを認めることが大事

疲れて体調が悪くなってくると、日々の生活を簡素化していく。自炊したり、掃除したり、運動したり、日記を書いたりといった、毎日やらなくてもよいことを後回しにする。そこで本業の業務量を減らせばよいという考え方もあるのだけど、課題管理にも通じることでもあるが、私は開発を積み重ねることにアイデンティティをもっているから自身が納得いかない状況に対しては、開発の業務を逆に増やしてしまうことがある。そして若い人向けにも模範たれという思いもある。それで12月に入ってからはだいたい8-20時を開発を割り当てて突貫の開発に集中していた。休日もできる範囲でコードを書いていた。そして、それ自体はスコープ外の機能も作ってしまってすごくうまく進捗した。日記を書く時間を開発に使った成果はあったと言える。

日記を書くことに義務感とそれなりのコストを費やしているなと感じていたときに次の記事をみかけた。

この記事に書かれている内容は私もかなり共感できる。どんなことでもずっと続けているとマンネリ化して義務感になったりモチベーションがあがらないときがある。この状況に対してイチローの言葉をよく思い出すが「続けることが大事」であることに変わりはない。「プロ野球の一流選手とそうじゃない選手の違いはスランプ期間の差でしかない」といった要旨を原田隆史さんからも聞いたことがある。私が日記を1ヶ月書くのをやめていたのはまさにここでいうところのスランプなのだろうと思う。なにか理由があってもしんどくても続けることが大事で、休むとしても1ヶ月よりは2週間、2週間よりは1週間、1週間よりは3日といった、スランプ期間を短くすることが大きな成果を出すための日々の活動になっていくのだと、知識や理屈の上では理解できる。そのため、この問題はモチベーションコントロールと、仮にモチベーションはなかったとしても継続するための仕組みや環境づくりの方がずっと大事だという話しでしかない。そのやり方は人それぞれの工夫でよいと思うが、どんな新しい方法を見出してもいつかはマンネリ化して飽きたり、モチベーションのあがらない時期はやってくると、私の過去の失敗経験からのふりかえりでもある。そして一時的に休んでもやめてしまわなければ、着実に前へ進むことも知っている。だから、日記をやめてしまっても開発を積み重ねることだけはやめなかったので今月の機能開発は大きな成果を出せたとも言える。時間は平等であって、なにかを為した分なにかを為せなかったという事実に大きな差はないと思う。そして、為したことの成果や評価が本人にとってどうなのか、周りからみてどうなのかだけの違いでしかない。

3回忌

前日の夜から法要のために実家へ帰っていた。前日は19時にお仕事を終え、お風呂に入って準備をして21時半には出発した。しばらく日記を書くことをお休みしていたから夜に帰る余裕をもてた。今日は夕方には神戸へ戻ってきて、夜はオフィス行ってお仕事のコードを書いていた。

三回忌

亡くなって1年後に行う法要を 一周忌 と呼び、2年後に行う法要を三回忌と呼ぶ。初めての人は勘違いしやすい。私も半年前まで勘違いしていた。

10時から住職に来ていただいてお経をあげていただく。住職が来られたらまずお茶を出す。お教を読み始めたら、回し焼香を参加者が順番にやっていく。15分ほど住職がお教を読んだ後に、参加者も一緒に般若心経を読む。これも15分ぐらいかな。だいたい20-30分程度でお経をあげるのは終わる。その後の住職の法話が始まる。このタイミングで新しいお茶とお茶菓子を用意しつつ、一緒にお布施とお膳料も添えて渡す。

今日の住職の法話は亡くなった人との関係性において自分を知る機会になるという発見について話された。住職の父親はうちの父親が亡くなった翌日に亡くなられた。当時、葬儀の打ち合わせのためにお寺へ伺った際に住職自身も葬儀の準備でバタバタしていると話されていた。そのときに住職の父親は厳しい方だったと伺ったことを覚えている。うちの父親は逆にほとんど子どもには怒ることはなかった。住職は自身の父親が亡くなって最近になってから、自分は父親に褒められたかったのだと、そのことにふと気付いたと話されていた。父親が亡くなってからの1年目は日々の生活に追われ、2年目になってからそのことをゆっくり考えられるようになったのだという。お釈迦様も自分を知るのは難しいといった説法をしているそうな。他人との関係性からふと自分を知るきっかけが訪れるという気付きについて話された。住職にとっては父親との関係性において2年目というタイミングがそうだったのだという。

3日前にお手伝い先の忘年会に出席した。5人で話していて、私以外は家庭をもっていて子どもがいて、そういった家族の話しをしている中、私は独身だから家族の話題にはついていけないし提供することもできない。もしかしたら周りに気を遣わせてしまっているかもしれないと、この卓に私がいて申し訳ないといった気持ちにもなった。懇親会や忘年会のような親睦を深めるための一般的な社交イベントに、プライベートに何も共通の話題がない私のような状況は向かないのだろうと思えた。とくに是非の話しではない。城崎温泉の開発合宿の参加者は独身者の方が多かったのでそのことに気付いていなかった。住職の法話を聞いていてそのときの自身の空虚さや違和感に気付いたことを思い出していた。

法話を終え、今回は卒塔婆が用意されていたのでお墓へもっていって供える。線香とライターを持っていってお墓で線香を3本たてる。お墓参りを終えたらそこで住職は帰られる。その後に参加者との法要後の食事へ行く。今回は身内だけだったので近所の回転寿司で簡単な食事で済ませた。12時過ぎには法要を終えた。

粗大ごみの処分

午後から実家の掃除をして粗大ゴミを整理していた。親戚からベッドをもらってきたようで、それを置くためのスペースを空けるために不要な家具を粗大ゴミとして捨てることにした。戸棚、ローテーブル、過去に使っていた古いベッドの残骸、扇風機、給湯ポットなどで軽トラックの荷台はいっぱいになった。いまベッドは2つあるのでこの離れに2人泊まれる。半年前に取り組んでいた実家の離れのコワーキングスペース化も一段落していて設備面では5人程度が作業するスペース分の机と椅子はある。あとはコンテンツを用意していく必要がある。思いつくキーワードを列挙していくと次になる。

  • 農業体験
  • 近所の温泉
  • バドミントン

設備面で wifi のインターネット回線がないという最大の懸念が残っている。回線を引くと5千円/月はかかるので毎月のように誰か来るなら引いてもいいが、現状だと経費的にもったいないから躊躇している。もう少し寝かせて先送りする。

古本の処分

粗大ゴミの整理をしていて あかつき教育図書 出版の「昭和日本史」という図鑑のような本が全巻 (16巻) あった。故祖父が通販で買ったものらしい。離れに置いておいても読む人はいないし場所も取るので処分することに決めた。保存状態がよかったし、図鑑のようなものを捨てるのはもったいないと思い、古本屋さんへ持っていけば必要とする然るべきところで活用されたら嬉しいなと実家から神戸まで運んできた。淡路島よりも神戸の方が古本屋さんがたくさんあるから引き取ってもらえるだろうと考えた。花隈駅近くの 古書ノーボ さんに電話して帰りの車でそのまま運び込んだ。査定してもらって買取価格は全巻で500円だった。店主曰く「こういったセットものは価値そのものはあるのだが、全巻セットを家に置こうという人が少ないために買取価格は安くなってしまう。」と話されていた。価値はあるが需要はないという話し。まさに私が処分しようと思った動機そのものだったので納得感は高かった。

compose 環境のバックアップ

今日は溜まった日記をまとめて書くためにバドミントン練習はおやすみ。

コンテナの環境変数の再利用

朝から rpm パッケージングのリファクタリングをしてインストール検証をした後、バックアップスクリプトの調査をしていた。コンテナの環境変数は次のようにして取得できる。

  • 環境変数をすべて表示
$ docker compose exec mongo env
  • 任意の環境変数の値を取得
$ docker compose mongo printenv MONGODB_PORT_NUMBER
  • パスワードの隠蔽

コンテナ内の mongodump を実行するときにパスワードを隠蔽するにはパイプを使って標準入力から渡す。

$ echo ${passwd} | docker compose exec --no-TTY mongo mongodump --authenticationDatabase admin --uri mongodb://${user}@localhost:27017 --db mydb --archive > mydb.dump

tar ball によるバックアップ

普通に tar ball を作ると次のようになる。

$ tar --exclude path/to/dir/subdir1 --exclude path/to/dir/subdir2 -czf backup.tar.gz path/to/dir

お手伝い先の社員さんに zstd という新しい圧縮アルゴリズムを使う方がよいとアドバイスをもらって変更した。別途 zstd のパッケージはインストールしておく必要がある。

$ tar --exclude path/to/dir/subdir1 --exclude path/to/dir/subdir2 --zstd -cf backup.tar.zst path/to/dir